はひふへほっ。 笑う門には福来たる

~視えない世界にアプローチ、”愛”と”調和”の宇宙の法則で、地に足つけてみんなで幸せ❤~

自分の心を自分で満たさずにいると引き寄せる目から鱗なイロイロ

毎年10月というのは体が宇宙の変化についていかず、
風邪のような微熱が続き困ったシーズンです。
なんとか月に2度のアップを間に合わせたいと思っているのですが・・・昨日も23時まで奮闘し、やっと今♪(ほっ)文字数を見ても、いつもより1.5倍になってます!次回は短くすることにして、さてさて前回

自分の心は自分で満たす~これも自愛 - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

 に予告していました通りに
「自分の心を自分で満たさずにいると起こってしまう事例」なる傾向をご紹介したいと思います。


そもそも”ある”という大宇宙の中に生まれた私たちは”ある”という存在。
だけれども、生きていくうちに”ない”を覚えてしまったところから始まり、”満たす”を忘れてしまった私たち。
そんな「自愛」から離れた方に、”ある”を思い出してほしいという想いで”満たす”コツを前回のブログでは書きました。

 


人は自分で自分の心を満たしていないとどうなるか?

 

 

簡単です明快、シンプルです。
何かや誰か、自分でない他のものに心の”ない”埋めてもらいたい思いが出てきます。

 

ここで、私は”ない”ままでいいです!と思って生きている方は、
これ以上傷つきたくない思いからすねてしまっている状態です><(これも問題)
スピリチュアル的によく言われていると、「足るを知るだ!」と言って”ない”でいいのだと諦めに似たような変に納得をしてしまっている状態では、これちょっと?いやかなりマズイです。
”ない”という世界観を前提にしている人に、足るを知れと言っても、もともと”ない”んですから無理な話です。”ない”前提で、満たせと言われても・・・です。
すると、頭で”足るを知る”とか恵まれていると思考するだけで、実際”ない”ままなのは当然です。


”ない”から与えてもらいたい
与えてもらいたいと思うから”ない”が続く。 


こんな”ない”の満たされない心が引き寄せる典型的なパターンを3種を記してみたいと思います。

 

①【ひつじ型】
このタイプは、必要とされたい、頼りにされたいという「人依存」のケースと言えると思います。
必要とされることで自分の存在を感じる、
頼りにされることで自分の存在価値があると思う、と言ったような
人から求められることで、自分の存在を感じて自分を”満たす”方法を取っています。

 

例えば、以前から「自分の事に集中して、自分に使うエネルギー90%、人には10%でいいですから。」とアドバイスをしても、なかなかそれが実行できない方がありました。
すると起こってきたのは、職場での不要な愚痴なのか相談なのかわからない話に付き合わされるようになったり、
同じように知人からも愚痴なのか相談なのかという話がどんどん多くなってきて、ますます自分にエネルギーを使うことができない状況に。
ご本人は、宇宙の法則を知り、自分が成長した中で培った知識を伝えて助けてあげたいという思いでやっておられたのですが、
心の底には、「頼られたい・必要とされたい」という自分がいらっしゃいました。
知らず知らずの間に、人の相談という話を聞くことで自分の時間の過ぎるのを納得し、自分を満たす、自分を保つ、そのような感じになっておられたのです。
でも、結局人にふりまわされてしまい、自分自身のことに手が回らない・・・

 

つまり、”思ったことは現実になる”という宇宙の法則に従って、
「頼られたい・必要とされたい」という思いが、自分は関わりたくないという意図とは反対に、頼りたい人や解決してもらおうという問題を引き寄せていたのです。
それで、自分のしたいことに集中できないくらいエネルギーや時間を取られてしまっていたのです、自分では嫌々と言いながら・・・
関わりたくないと言いながら、自分から関わりに行っていたことになります。
これでは、自分の人生を自分のために生きられない、自分の時間が使えなってしまうのも当然です”自愛”できていない状態ですよね、これ。神様は早く気づけ早く気づけと合図を送っているのですが、”満たす”自愛に気づかないままで・・・・


これは、職場という仕事の面でも、家族の日々の出来事でも同じです。
ひつじ型タイプだと自分で少しでも思った方は、もう自覚症状あり!!
いくら自分軸が出来ているからといっても、「頼られらる・必要とされる」ことで自分を満たそうとしていると、
自らトラブルや時間を割かれる状況を引き寄せてしまうので要注意です★

 

仕事が多く回ってくるとか、トラブルに巻き込まれることの多い人もこのタイプの可能性大です。
時間的に忙しいから充実していると思っている方も、このひつじ型の傾向にないかと振り返ってみてください。時間がなくて充実しているのと、心が充実しているのとは別ものですから。
自分で自分の心を充実・満していると、必要とされようが、頼られようが、そんなことどうでもよくなりますので、不要なことは引き寄せませんし、関わることもなくなります。本当に自分に必要だと思うことだけに時間を使えるようになり、忙しさから解放されることにも繋がります。

 


②【うさぎ型】
このタイプは、さびしい・愛されたいという「愛情依存」のケース。さびしいと死んじゃう?!うさぎちゃんタイプです。
このタイプは、恋愛相談が一番多い、本当に多いですね。
自分の心を満たさないまま、好きな人や大切な人や家族と一緒にいるのは、相手からどう見られているのかを基準に考える他人軸にもなり、自分で自分を見失うことになりどんどん苦しくなっていく・・・・そんなタイプです。旦那様や子供さんの顔色を窺ってしまう方も、このタイプに入るでしょう。


例えば、恋愛だと
「さびしい(から愛されたい)!」
「愛されたい!」
「ラブラブになりたい!」
という心の裏側には、どんな思いがありますか?


この愛情の渇望です。足りてい”ない”という愛情で満たされていないという思いです。
「愛されたい!!」
「もっと愛されたい!!」という願いです。
そして、
その心の奥には「愛されていない」という思いがあります。

 

だからこのうさぎ型も、ひつじ型同様、”思ったことは現実になる”という宇宙の法則に従って、
その「愛されていない」という思いの通りに自分の願いとは逆の「愛されていない」という現実を引き寄せてしまうのです。
愛し愛される関係になりたいのに・・


お互いさびしい者同士が、付き合うとなると、
お互いにさびしさを埋め合うことを求め、
相手が自分の心を満たしてくれるようにと望み、
お互いにクレクレ星人になるのです。
「彼氏だったらそれくらいしてくれてもいいのに」
「彼氏なのにどうして私をほっておくの?」など 
恋人関係という契約でお互いをコントロールしようとするようになります。それでも、衝突が増え、理解してもらえずという状態が続くと、
これでは不満がつのり、長続きしなくなるのも当たり前です。
クレクレ・コントロール・エゴ・不満などなど、まあ”負”の波動を発生する考え方だらけ心地の悪い恋人関係ですからもう、自爆と言ってもいいくらいです。


では、どうしたらいいの?


自身への愛という”自愛”で自分の心を満たしてあげれば、
あなたを愛してくれる人を引き寄せることができるのです。宇宙の法則通りに!

 

「自分の心は、自分で満たす」という心の土台ができていなければ、
料理したりやプレゼントを贈ったり、尽くすことを重ねても小手先のあがきに陥り、うまくいかなくなってきます。
結局、いくらがんばっても、ますますうまくいかなくなります。

自分で自分の心を満たすという”自愛”が出来ていれば、
さびしいので埋める何かを求めたり、
愛されて安心するとか、
相手からの愛情をもらうことで自分が”満たされよう”としなくてもすむようになります。
すでに自分で自分の心を満たしていれば、人に求めないでいいですからね。


今まで恋愛でうまくいかず、
自分磨きとして容姿や能力、器量や愛嬌などの外側の条件で堀を埋めてきたあなた。
もう外側は十分埋めたと思うのです。もう十分にやってきたと思うのです。
「もっとやらないと!」と思うのは、自分に足りないと思うことで自分を”満たす”という自愛の反対になるのですから、自分いじめです。
そろそろ外側でなく、内側である心の土台作りに来たとは思いませんか?(このタイミングでブログを読んでくださっているのですから^^)


そして、
”一人でもいつも楽しい、二人でいればもっと楽しい!” 
自愛が出来ている人が二人集まれば、より楽しいという”快”の波動の相乗効果で、素敵な二人の関係が築ければいいですね^^


くれぐれも
”一人は寂しい、だから二人で~”とクレクレ星人的”負”の波動に飲み込まれませんように★

 


③【かっぱえびせん型】
”やめられないとまらない!”という
このタイプは、「もの依存」のケースです。物だけでなく、賭博やお酒、ドラッグも含まれます。

「もの依存」は、ある種の現実逃避であり、自己逃避。
ただ虚しさと後悔がつのるという反”自愛”の現実を伸ばしていくことになります。
これで幸せを感じろという方が無理な話です。

 

自分軸になり、「自分は自分らしくでいい!」などなど、自分自身で心を満たす”自愛”をしていると、
他人は他人と自他の区別がはっきりできるようになり、
ストレスの原因となる人から何を言われてもあまり気にすることもなくなるので、
そこまでストレスを受けることがなくなります。相手に引きずられることがなくなるんですね。
また、落ち込んだり腹が立っても切り替えが上手になっているので、長引かせないですむようにもなります。

 

すると、
食べることでストレス発散!
ショッピングでストレス発散!
飲んでストレス発散!!  などなど
一時の楽しみで心のストレスをごまかす
        ↓
また買ってしまった!また食べてしまった!という”負”の波動を発生する考え方の罪悪感を持つ
        ↓
またやってしまった!と自分を責めてストレスが・・・


という、この”やめられないとまらない”という悪循環をストップでき、「もの依存」を断てるようになります。


「もの依存」が落ち着いてくると、
自分にとってどうでもいいもの・どちらでもいいものを選ばなくなり、
自分にとって”快”の波動を感じるものだけを取り入れ、
自分を置く環境をも自分の愛する空間に変えることができます。無駄遣いもなくなります^^


もし、あなたに「もの依存」の傾向があるならば、無理に買わないようにとか、食べないようになど「禁止」で自分を縛って自分を苦しめるのではなく、
自分の心を満たすという”自愛”を一度試してみてください。

 

この”ない”から引き起こす3種のパターンいかがでしたか?

 

自分は①と③かなとか、①~③全部当てはまるかもと、複数に該当した方もあるでしょう。例えば「子供が生きがい」と思ってやってきて子供が自立してしまって・・・・という方の場合、子供に必要とされることが少なくなったという①のひつじ型と子供が自立し急ないきがいの欠落感で②のうさぎ型、①と②の両方なんてこともあるのです。

でも、①~③、たとえ複数あったとしても自分を満たすという”自愛”をやっていけば3つとも解消されます。

 

そろそろあなたは”ある(満たされた)”から生まれた”ある(満たされた)”という人であることを受け入れてみてはいかがでしょうか?
生きながら覚えてしまった”ない(満たされない)”に心をむしばまれないで。
あなたのために・・・

 

そして、自分を満たさないでいると引き寄せてしまうことを、これでもかという程に書き足すことにします^^
仕事や経済面という誰もが気になる、知りたい部分だと思います。


”ない”という満たされない心は、”ない”という満たされない人やもの、出来事を引き寄せてしまう。
類は友を呼ぶ、似た者は集まるという典型的な宇宙の法則のパターンが発動します。
仕事の面でも当然、宇宙の法則は作動するわけです。
”ない””ない”と思う同士が集まると、より”ない”状況を生み出し相乗降下↓、満たされない”ない”心をますます強くしてしまい、その”ない”の心が
自分の願いや希望とは逆に、
どんなにがんばっても好転していかない・がんばっているわりには実りが少ない状況を生み出したり、
最適な同僚や取引先・転職先に出会えない状況を引き寄せ作っていきます。
これでは、自分にとって最適な仕事の状況・実のある結果に結びつかないのは容易に想像がつくと思います。


経済面でも、”ない”と思っていると”ない”状況をますます引き寄せることに。
主婦だという場合にも、あなたが心を自分”ある”と満たしていると、
あなたの収入口であるご主人のお給料が増えたり、
どこからか意図しないところから入ってきたりと、
あなたの”ある”の波動が”ある”という満たされる状況を引き寄せることができます。

 

今、状況として経済的に豊かとは言えなくとも、
”ある”と満たされた心でいると、”満たされた”波動が”満たされた”状況をしっかりと運んでくるので、
次第に心だけでなく実際に生活が豊かになっていきます。

 

一生けん命行動やっているのに、なんだか違う気がするとか、これ以上どうしたらいいのかわからないという方には、
自分の心は自分で満たすという”自愛”にたちかえり、満ちた”ある”という心の土台作りをお勧めします^^ 自分を満たさないと思った方は、前回のブログを一読あれ♪


                                 寧楽感恩

自分の心は自分で満たす~これも自愛

”ある”という見えない大宇宙から生まれた魂の親。
その”ある”という魂の親から生まれたわたしたち。
万物は、すべて”ある”という宇宙神理のシステムの中に存在しています。
気も草も花も空も海も人も動物も、”ある”というあるがままで教えられてもいないのに完全な本質や本能・機能を持っています。

 

だから”ある”とは、そのままで十分に本来「満ちている(不足ない)」という状態です。

 


しかし、私たち人間は、生まれ育っていく中で、
「何か」自分に足りないものを見つける習慣を身に着けてしまいます。
他との比較が引き金になり、
うらやましさ・競争心・批判・卑下・不平不満・自責・不安・嫉妬・ひがみ などなど
”負”の波動を発生する”ある”という大宇宙の発生している波動とは逆の考え方を強めていきます。
”ある”でなく、「不足だ」という考えを強めているということです。


”ある”ということを学ぶために
”ない(不足だ)”を知る社会に生まれたわたしたち。
ないないと探していたら、実は一番近くにあった。
この青い鳥論が、自分を満たすという自愛になるのではないかと思います。
(この”ある”が経済的豊かさをもたらすために最も大切な柱になる考えの一つです)

 


ここまで読んでいただいて、自愛自愛と言いながら満たすを考えたことがなかった方は、どうしたらいいかな~と頭をめぐらせておられると思います。

 

自分の生活や自分自身に関わる”ある”に視点を移しておられるかもしれませんね。


ここで注意していただきたいことがあります!
自分を満たすための”ある”を何で満たすか?なのです。

 

他の何か」で埋めようとしてもダメなんです!!!! 


お腹いっぱい食べたから”満たされている”
欲しかったカバンが手に入ったから”満たされている”
先生に褒められたから”満たされている”
会社で評価されたから”満たされている”
海外旅行に行けたから”満たされている”
痩せたねと言われて嬉しかったから”満たされている”
「いいね」が沢山もらえたから”満たされている”
子供が進学校に入ったから”満たされている”
お酒を飲んで楽しいから”満たされている”
今”ある”と思える生活費や生活環境があるから”満たされている”
収入が安定しているから”満たされたいる”
今いる地位があるから”満たされている”  など

 

いろいろな”ある”という満たされ状況があると思います。


が、これらに共通しているのは、
何かがあって、
何かを言われて、
何かをしてもらって、
何かを得て、 というような
「何か」という対象物や対象者がはっきりとしていることです。


「何か」があるのに”不足”だとするより、一歩自愛への道は進んだのですが、
この「何か」がないと、”満たされる”ことがない心の状態が続きます。
満たされた心の状態でいようとするならば、
常に「何か」他のもので満たされるような状況を作らねばならない。
この「何か」を追いかけるほど、本当に苦しくなっていきます。(私も苦しかった時代がありました)


人間、もっともっと・・・・・と追いかけることになるからです。(満たそうともがくアリ地獄状態です)

 

食べ過ぎ
飲み過ぎ
ギャンブル
過度なショッピング などなど
ストレス発散の定番になっている事柄は、
どんな状況下にそれぞれの人があるので具体的な理由は異なりますが、
”満たされていない”が心の状態が共通しています。
”負”の波動を発生する考え方から起こるストレスの根源には”満たされていない”自分がいるからです。
それほど、この”満たす”ということは自愛の中でも大切なポイントです。

 


では、「何か」ではなく”満たす”考え方はないのでしょうか?

 


その方法とは
自分の心は自分で満たす!!!❤

 


つまり、
「何か」で満たすのではなく
自分の心で感じた思い自分を満たすということです。

 


例えば、
お腹いっぱい食べたので満たされたのでなく、
⇒お腹いっぱい食べられた満足感! おいしかった!と心が十分に満たされた

(こう考えられると少量でも心は満たせるのです)

 

マラソンを完走したので満たされたのではなく、
⇒苦しい時もあったけれど自分はよくがんばった!と心が十分に満たされた

(完走した結果に満たされたのでなく、完走した自分を認める心が自分を満たします)

 

いつも同じ仕事でつまらないけれど、お給料のためにがんばったでなく、
⇒いつも同じような中でも自分なりの楽しさをみつけて励めた!と心が十分に満たされた(楽しく仕事をしようと心を尽くした自分を褒める心や充実した心で自分を満たします)


こういうように、心で感じた思いで自分を満たすことができます。
反対に言えば、
心で感じていなければ、どんなにいい「何か」を与えてもらっても”満たす”ことはできないのです。

 

心が感じることができてくれば
例え人からは評価されなくても、また自分がうまくいかなかったなという時でも、悲しい気持ちや悔しい気持ちになったりもしますが、
心は瞬間瞬間に精一杯やっていて、いろんなことを感じながら自分の心を満たしているので、
結果がどうであれ、自分としては”満たされた”という感じが残ります。
(不快な感じで心が満たされたとしても、感じない虚無感は生まれてきません。心には思いが満ちているので、後悔しない生き方に繋がります。)


しかし、その反対に、気の向かない飲み会に行ったけれども、結局つまらなかったというのは、
自分が行きたくないのに無理して行って時間をつぶして自分の心を満たすという
”自愛”とは逆の行為ですから、”不足”というつまらなさや虚しさが残って当然と言えば当然なのです。

 

心が感じなければ、
いくら「何か」で満たそうとしても
決して満たされることはありません。


心なんです、肝心要は!!

 

感じる心を取り戻し、比較せず、自分は自分だと人の目を気にせず
そしてその瞬間瞬間を感じながら生きる。

それが、心を満たす生き方。

(だらだらも心に決めてだらだらすると自愛なのも前々回の「だらだらのススメ~時間を尊ぶ者、自愛を修む 」ブログに書いた通りです)

 

これが、

なんとなくで過ぎる毎日から脱出する方法です。
虚しい毎日から脱出する方法です。


だから、特に何か取り柄があったり、すごいことが出来なくても、自慢できる何かがなくても、大きな目標がなくても、大きなことができなくてもいいのです。
人の目を気にせず、自分らしく毎瞬間毎瞬間を心を込めて感じて生きていれば”満たす”ができるのです^^

心ここにあらずでは、勿体ない時間を過ごしてしまいますから・・・


究極は、生きているだけですでに”ある”を達観することなのだと思います。 

                               寧楽感恩                                        

 

 

追伸;次回は「自分の心は自分で満たす」ができないことで起こってしまう相談の際に多い事例をご紹介したいと想います。

あなたもすでに代表選手!

 

愛と調和を以て、自分の命を輝かせる。

 

という宇宙の流れに乗る生き方をするためには、
最たるものとして”自愛”! これに尽きます!

 

いくら”快”の波動を発生する考え方や思考癖を持ったとしても
この”自愛”がなければ、がんばってもがんばってもなかなか苦しい現実が変わらない。
それくらい”自愛”が大切なのです。(鑑定をしていても本当に実感します)

 

”自愛”と言っても
いろいろありますが、
その中でも
「自己認証」「自己受容」・・・生まれて来たのはよかったのか? 
「自己否定をしない」・・・私はダメな人なんです
「存在価値の認識」・・・生きている価値があるのか?   など
あなたの命そのものの尊厳についての自愛は、命の根の部分でないかなと思います。
生き方・生きるということに疑念を持ち、自分なりの答えを探せず苦しんでいる方も多くあると思います。


そういう私も以前は言葉で頭ではわかっても、何か心でしっくりこない。否定するなと言われてもでも疑問が残る、そんな感じでした。
そういう時期を過ごし、みなさまにお話しできる今があります。
私の神様はかなりユニークというか、人とは違うアプローチでの宇宙の法則的生き方を教えてくれています。
命の尊厳についても同じく、頭の固かった私に「ほう~、そうか」という伝え方をしてくれました。

 

記事を書こうかなと思ったのはオリンピックの前半ごろだったのですが、
オリンピック・パラリンピックはもう終わってしまいました。
遅くなったのは、

だらだらのススメ~時間を尊ぶ者、自愛を修む - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

で先に”愛の三大神器”に自愛と宇宙の関係を書いて次に自己の命の尊厳という順序があったからです。
先に前回のブログを読んでいただいてから、今回分を目を通してくださると、より理解いただけるかもしれません。

 

さて、今日のテーマ始めます。
「あなたも すでに 代表選手」 まさに言いたいことはこれです。

 

私たちは、誰もが

魂の親が選びに選び、
この世に生み落とした、
愛と調和を学ぶ代表選手。


開会式という誕生から始まり、
閉会式という死で終わります。
大会期間は、それぞれが自分の役割を果たしながら命を輝かせます。


そして、大会期間中は選手村で過ごすことができ、

食べるもの・寝る場所は保証されているように、
閉会式というそれぞれの死が来るまで、
食べる物や寝る場所、空気、経済面など、生活できるものを魂の親が何としてでも与えるという”ある”というシステムの中にいます。
(ここでは詳しく書きませんが、未来に経済的な面で心配のある方は心配しすぎて生活の困難を引き寄せることはやめましょう。
 また、お金を含む経済面に関しては、愛と調和に基づくものでない、反対の自分のエゴやストレス発散、名誉見栄などに使う場合には、神様は”気づき”のために苦しい状態を作られる場合も多いです。)

 

 

生まれた時点で「代表選手」なのです!!!!
生まれた時点ですでに代表選手として唯一無二の存在なのです!!!

 

 

だから、
オリンピック選手それぞれが堂々と輝いているように
あなたの魂の親に選ばれたあなたも堂々と胸を張っていればのです!!!

人と比べることなく、
自分に向き合い、自分に最適だと感じることに取り組めばそれでいいのです。
大会中には、緊張したり、苦しかったりと、葛藤したりと、本当にいろいろな感情に出会いますが、
そんないろいろな感情をひっくるめて”大会を楽しむ!!”、大会出場者という命あるものだけにスペシャルな経験が許されています。

 

仕事ができなくても
友達がすくなくても
貧乏でも
容姿がどうであっても
健康でなくても
人から好かれなくても
不器用で要領が悪くても
自分を否定したり、生まれたことを否定したり、存在価値を否定したりしないでいいのです。
わざわざあなたの劣るところを自分で探して落ち込まないでいいのです。

 

どうして?って?

 

生まれた時点で
あなたは すでに 代表選手だからです!!!

 


私も、自己否定するのを辞めようとか、人から認められることで存在価値を感じる自分を辞めようとか、生まれたことを後悔するのを辞めようとか、いろいろな考え方を変えようと思っては自己を尊ぶこと、”自愛”ができないことに難しさを感じていました。

 

自己否定するのを辞めようとか、人から認めらることで存在価値を感じる自分を辞めようとか、生まれたことを後悔するのを辞めようとかいう方法で”自愛”をしようとしたのですが、この方法ではなかなかできなかったというわけです。で、これは違うと。


言い方を変えると、
「自己認証」「自己受容」
「自己否定をしない」
「存在価値の認識」という角度から自分の存在価値・存在を感じるという”自愛”を目指すことを辞めました。諦めたという方がいいと思います。

 


こんな風にとことんまでやって、諦めて、神様に預けた結果もらった答えが
「あなたもすでに代表選手!!!」

 

さらに、「生まれてもって”ある”のに、なんで”ない”をわざわざ考え苦しむの~!」と。


前者が、自分には”ない”という宇宙の法則とは反した視点からの考え方。
それに対して後者の「あなたもすでに代表選手!!!」は、自分には”ある”という宇宙の法則に則した考え方なのです。

”ある”ということが前提の宇宙神理があるので、”ない!”を前提にすることは大きな勘違い。
(私たちが生まれたということ自体、”ある”で始まる宇宙の法則に則した上で命が始まっているからです。)

 

あなたは生まれもって、あなたの魂の親が決めた代表選手。
唯一の存在。もうすでに開会式も終わり、大会期間まっただ中にいるのです。

 

だから、
自分が生きている意味がないとか
自分はダメな人間だとか
罪悪感を感じるだとか
価値のない人間だとか
”ない”を探してこれではダメだと、
”ある”自分になろうと「何かがあるから・できるから価値がある」という人間を目指そうとしないでいいのです。そもそも”ある”んですから!!


そもそも、”ある”というこの世(選手村)に生まれた、”ある”という唯一の存在なのに、自分から”ない”をあら捜しして苦しむ必要はないのです。


生まれた時から、
すでに選ばれた代表選手なのですから、
無条件に唯一の存在だと自分に胸を張っていいのです!!


すると、
「何もできなくても、取り柄がなくても、唯一の存在である自分が、
一生けん命、その時自分がベストだと思う選択をし、
ベストだという行動をする、
それで十分なんだ。」
と頭に入れることによって、次第に”ない”という価値の自分・尊厳のない自分探しをしなくなります。(人と比べて、どうしてできないとか自分で落ち込まないといけないのか? これ自分いじめです。)
⇒次に、できない自分、取り柄のない自分、価値のない自分を考えるのがどうでもよくなってきます。
⇒そして、「昔はそんなことで悩んだな~」と過去の話になってきます。

 


だから、自分の存在の価値を疑ったり、自分の存在の有無を考えたならば、
そちらは”ない”視点からの自分のあら捜しになるので、いつまでたってもそれでは解決しないので辞めましょう!

 

代表選手として
”ある”という選手村に生まれてきたあなた。

誰が何と言おうが
あなたがこの世(選手村)にいるということは消えない事実。
するっとまるごと、どんな自分も価値存在意義があると包んで・認めてあげてください。

 


生まれた環境や社会で、人と比べてしまう習慣がつき、
生まれたこと自体が尊い存在だと教わってこれなかった私やあなたへ

 

生まれたということだけで、すでに選手村に入るくらい尊い選手だということ

 

この宇宙神理のシステムを忘れないでいることが”自愛”です。
そして閉会式まで、一緒に思いっきり楽しみましょう! 
                          同じ選手村にて 寧楽感恩

 


ウルフルズ - ええねん

大学時代、なぜか購入し、でも封も開けずに(今も)いたCDがこの歌でした。えらいノリノリだなと関東にいた頃の私には関西のノリが懐かしかったのもあると思います。呪文のように「ええねん」が出てきます。頭が爆発しそうな時には、こんな自愛ソングをどうぞ♪ 私もあまり聞かない感じのド関西ロックです。神様、あんな昔から私にすでに”自愛”ってメッセージ送ってくれてたんだな~~~

だらだらのススメ~時間を尊ぶ者、自愛を修む

だらだらしてはいけません!
ごろごろしてはいけません!

だらだらしているんだったら、何かしなさい!
ごろごろしているんだったら、何かしなさい!

だらだらしているのを見ていると、イライラするから!
そんなところでごろごろしていると、邪魔だから!

 

本当に私も小さい頃から、
躾けが厳しい母親(そういう母は少しでも休もうとすると人間自体がなまくらになるとよく言っています)に、そのように教えられ、私自身もあれやこれやと技術や語学を学び、月間誌を編集するなど、今の私の考え方になるまでには、本当に生き急ぐように、ただ上を上を見ていた生き方をしていたと思います。


際限なく頑張ってしまう根性だけはあったので、
「これではいけませんよ!」と、一旦止まりなさいと言われんばかりに、八方は塞がるわ、死に直面するわとのた打ち回っている内に人生の転機が訪れ、
今のように神様の声に耳を向けるようになりました。


過去の私のように、何かを懸命に追いかけ、自分を顧みる余裕もなく走って来ておられる方に、
そして走りすぎ休憩を余儀なくされている方に、
ようやくこのままではいけないと自分の立て直しを始め「自愛」生活に取り組まれている方に、
時間に追われて休むことが苦手な方に向けて、

 

だらだらすること、ごろごろするやのんびりするも含めて、
「のんべんたらりん」とすることについて”自愛”視点から書いてみたいと思います。

 

 

「自愛」 

 

 

宇宙の波動に同調し、スムーズにあなたが人生の流れに乗るには、
私たちがこの世で生きる意味でもあり、学びのテーマである
自愛し
慈愛す。(他を愛す)
己と和して
他と調和す。
をいかに日々の生活で体現していくかにかかっています。

 

”愛”や”調和”と漠然とした言葉では掴みにくいので、
”愛””調和”を基にした波動を発生する考え方・思いを、私はブログでいつも使っていますが”快”と呼んでいます。
したがってその中でも”愛”の中でも”愛”いう字がそのままつく「自愛」「慈愛」”快”の最たるものになります。

 

これに対して、その反対を基にした波動を発生する考え方・思いを”負”と私は呼んでいます。


だから、”負”の波動の波動を発生している考え方・考え癖・思いが多くなると
踏ん張って踏ん張っても流れに乗れず疲れ果て、なかなか宇宙の波動に同調できず、人生を辛く感じる状態になります。
まるで、流れに逆らい踏みとどまるとする川の石のように・・・
(私たちの魂の親である神様は、この宇宙の波動に乗れるようにと見守り、合図を24時間送ってくれています。あなたが苦しいと思っている時や停滞していると思っている時には、流れに逆らわないでいいよ~と神様は踏ん張るのをやめるようにと、合図を出してくれているまさにその状況の時です。そうは思えない時でも)

 


ここまで大まかに説明しましたが
さてさて「自愛」。
何を自愛するのか?

 


一般的に書かれているものは
今私が書いていたような考え方や思いなどの心の「自愛」が多いと思います。


しかし、私の神様がおっしゃっているのは
忘れてはならない3つの自愛として
①心
②体 
③時間 
3つを挙げておられます。
「愛の三大神器」とも命名したいくらいです。


①は、すでに上に書きましたのでわかっていただけると思います。
②の体。前回のブログ 体は生命維持用宇宙服★ - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

を参考にくださればと思います。
そして、③の「時間」です。


私も最初「時間」?と思いました。
しかし、②の「体」と同じで、こちらも命尽きるまでという意味では有限なのです。
スピリチュアルの世界では、とかく言われるようにパノラマ式になっていて過去も未来も現在もないと言いますが、それはそちらの世界のお話です。
我々はそんな中に生きてはおらず、時間という過去⇒未来へと時間のベクトル旅行をしています。
実際に、私もセッションをしていますと、未来や過去の映像を見ますが、そこには「過去」「未来」が存在して伝達されます。だから、この世では時間軸を持って対処せざるを得ないのです。


だから、この世にだけ与えられたシステム・・・魂制の「心」、
この世にだけ与えられたシステム・・・時間制の「時間」、
この世にだけ与えられたシステム・・・宇宙服制の「体」、
ともに限りのあるものとして、大切に尊ばれる”愛”の神器なのです。


時間を自愛する・・・・とは?

 

先ほど書いたように
時間を大切にする
時間を尊ぶ
この感覚、人のよってはこれに似た感覚でしょう。
この感じが時間の自愛ではないかと私は考えます。

すると、
より丁寧に生きようとする気持ちが出てきませんか?
心を込めて生きるということにも繋がりませんか?

 

でも、ここで注意をしてもらいたいことがあります。
このブログの冒頭で書いた昔の私に言いたい言葉になりますが
「時間を大切にするのは、時間がないと言って、がむしゃらに、体を壊しながら焦って、(名誉地位・収入・技術など)向上することではない」ということです。


当時も忙しいので、時間を大切にしていました。1分1秒がとにかく惜しく。
眠れないと、時間がないと眠らなきゃと思って、余計に眠れなくなったりと、時間との闘いと言ってよかったと思います。
それは、「自愛」からの時間を大切にするという感覚とは全く違うものでした。
時間も大切にしているようで幸せを感じる時間にできておらず、
体は無理をすればなんとかなると「自虐」同然、心も”負”の波動を発生する考え方のオンパレード。こんなではいつか転ぶしかなかったのですが・・・

 

「自愛」からの時間を愛すということ。同時に、体も愛すということ。心も同様です。
自分がより幸せを感じるため、自分らしく命を輝かせるため与えられた神器の時間なのです。

 

自分の時間を大切にする「自愛」。
それが心に定着してくると、
あなた以外の存在にも時間がありと他者の時間も大切にするという「慈愛」も自然と生まれてきます。

だから、遅刻も少し考え直さなければなりません。
自分が遅れるということは、相手を待たせてしまい「慈愛」に少し欠けていることになりませんか?
やむを得ない事情や交通事情の場合は仕方ないにしろ、
遅れる場合には、一報を入れるなど配慮をしたいところです。
自分の時間が大切なら、相手の時間も大切にする。
マナーだからでなく、相手を思いやる気持ちの「慈愛」から習慣にしたいものです。

 


時間を大切にするとなると、
「だらだらしてはいけないのですか?」という疑問が湧いてくる方もあると思います。
最後に書いてみたいと思います。


簡単に言うと、
「だらだらして構いません^^」
「ごろごろして構いません^^」


でもここで神様が大切なことを教えてくれました。
この時に、どう思ってだらだら・ごろごろするかなのです。

 

もし、あなたが
「わたしだけごろごろ休むのは悪い」と思うような罪悪感
「無理してでも起きていないと」と思うような体の自虐
「本当はごろごろしてはいけないのに、してしまっている」という自責
「無駄にだらだらしてしまった」という後悔 など
”負”の波動を発生する考え方や思いをしながら、ごろごろするのは辞めましょうということ。

 

だらだら・ごろごろするならば、
それは自分にとって「自愛」から必要なことと心で認めること。休むことも必要なのですから。
そして、
「この時間は(楽しく真剣に)だらだらするぞ!!!^^」自愛の意味合いを感じながら
正々堂々と心を込めて思いを尽くして、100%清々しい気持ちでだらだら・ごろごろする。すると、無駄にだらだらしたなんて思わないですから。だらだらはいけない事と思ってだらだらしても、心は疲れるだけでより心の悪影響です。
もし、家族の誰かがだらだらしていたら、「真剣に気合入れてだらだらしてね!」と言ってあげましょう♪

 

 

先日のセッションでも、
この”自愛”の考え方で腰痛が解消されたという方がいらっしゃいました。

腰痛 スピリチュアル的意味 - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

がんばらないで、お母さん! 腰痛 スピリチュアル的意味 - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

腰痛は、ここにも以前紹介したことがありますが、自分の土台、自分にとっての基盤という自分軸からの自愛という神様の合図であることが多いです。


ご主人に悪いと、腰痛で横になりたくてもなれない自分に悩んでおられました。
その腰痛は、神様からの”自愛”をしましょうというメッセージだとお話をし、
家族も大切なのですが、家族に悪いと思わず、まず自分、自愛を心掛けてやっていだだくことを意識していただきました。
そして、ご本人が「しんどい時にはゆっくり休んでいいと思えるようになったら腰痛がなくなった。」とご報告いただきました。
の自愛、
罪悪感を持たずに堂々と休むことをした時間への自愛、
休むというへの自愛、
こ3つがポイントだったとはっきりと言えます。


本当は
『神様の三大神器』と『だらだらのススメ』という2つにわけて書こうと予定していたのですが、
いざ書くぞ!とやっていると1つになってしまいました。
するとこんなに長いブログになってしまいました。


だらだらする時には、張り切ってだらだらしましょう!!!

時間も愛してきましょう♪       同じ時間を生きるご縁に、寧楽感恩

体は生命維持用宇宙服★

ここ数日前から奈良では大気や気温、エネルギーが急に変化をしています。
うだるような暑さから解放され、過ごしやすくなった方も多いと思います。
その反面、私も含めていろんなものに敏感な方は、体には応える日々です。


私でいうと急に体の循環が遅い、それに伴う筋肉のこわばり、だるさ・微熱・太陽光線によりむくみなど、そこに加え米花粉アレルギーと快適とは真逆の季節到来です。

 

自分よりも体はよくわかっていて、こんな状態になってから1時間ほど起きる時間が
自然と遅くなっています。私の場合、太陽に反応して起きるので、
1時間ほどずれると「風邪かも!?」と疑うのですが、様子を見て風邪の症状ではない場合には、
季節の変わり目のエネルギー変化について行けていないために起こる”霊的エネルギー不足”だと思っています。

 

東洋医学的には、この時期は夏の体の疲れが出るとも言われ、
人によっては、季節のエネルギー変化に追いつけない夏の疲れのダブルでの霊的エネルギー不足・循環不足状態だと思いますので
そんな時には、3種のエネルギー切れを参に(http://neiraku123.hatenablog.com/entry/2015/11/21/175024


霊的エネルギーの循環が悪くなる

→それに伴い内臓の循環エネルギーが悪くなる

→内臓の動きが悪くなる
このサイクルで、”食欲不振”が起こりますので、この場合には無理に栄養をつけたら回復できると思わずに、

①「しっかり ぐっすり 睡眠!!」
② いつもより増した「自愛の心掛け」
を意識してみてください。

 

体が不調だと、心も重くなり、生きている喜びも感じにくくなりますよね。
体とは何かを今日は綴ってみたいと思います。

 

ずっとずっと体は「あって当然」と思っていて、昔は当然のことをわざわざ意識したこともありませんでした。

しかし、生死をさまよう出来事があったり、怪我は多い、先天的な体のトラブルに出会ったり、
神様が”気づいてほしい”と送ってこられるメッセージをご本人に伝えると不思議なことに不調が消える・薄れることに立ち会っありと、物理的に理解できないことを目の当たりにしては、「体って一体何のためにあるの?」と思ったものでした。

 

Q.体とは何ですか?
A.この世で生きていくために着ている宇宙服です。
  あなたの”魂”を包んでいる、宇宙服です。
  


これが簡単明快な答えです。
光エネルギーで出来ている魂の親と繋がっている「素の自分・本来の自分・本当の自分・目で見えない自分(医学的に潜在意識・超潜在意識と言われる)
である”魂”を守るために着ている服が”体”です。
宇宙服なくしては、この世では”魂”が存在できないということです。

宇宙服がダメになってしまうと、この世から魂の親のいる世界に帰ることになります。


この宇宙服である大切な体。
どのようにして作られているのか?


以前にお話ししたことがあると思いますが
私たちには見える親と見えない親がいます。
見える親 =体の親・・・遺伝子の繋がりのある両親
見えない親魂の親・・・輪廻転生をした過去世のご一行様

私を視点に書くと、あの世では
1.私の魂の親が、私の父と母の魂の親たちに、「うちの子を産んでくれるように協力してくれんかのう?」と神様会議で協力要請
2.父の魂の親が、母の魂の親が、「私たちのもとで”愛と調和”を学ぶように協力しますよ~。私たちも親となり学びます」と承諾
3.父の魂の親が父に、母の魂の親が母に、子供を産むような環境を作る
4.そして私の体がつくられ、”魂”を私の魂の親が注入してくれ私が誕生★

 

したがって、父と母とは”魂”の遺伝子の繋がりはなく、
顔や骨格の特徴など、体の遺伝子は繋がっているということになります
(おとぎ話としてスルーされても構いません。
 けれど、魂と体の親は別だということ。そのポイントだけは押さえて欲しいです)

 

このように、
自分の魂の親が、この両親の間で”愛と調和”の勉強をしておいでとこの世に生み落してくれた。
自分の魂の親が、この両親とであれば一番”愛と調和”の勉強ができると決め、自分もそれでいいと許可をして生まれた。
”自分で親を選んできた!”と言われる由縁がここにあると私は思っています。


この体という宇宙服、生まれながらに先天的と呼ばれるもので、
私だと左膝のお皿が完全に割れていたり、
私の弟は心臓に穴が空いていたりと、
トラブルを持って生まれることもあります。
この理由は、
子供(本人)としては”自愛”を学ぶためでもありますし、
父母の立場としては”自愛”もありますが、”慈愛”をより学ぶようにというそれぞれの立場でテーマを持って生まれたということからです。


また、生まれながらにというのではなく、
生きている中で体の不調が出てくる場合があります。
これは、魂の親である神様が本人に「生き方や考え方を考えよう!波動を変えよう!」この視点からもう一歩「自愛を考えよう!」という合図とみて間違いがありません。

 

なぜなら体があっての、この世での”魂”の活動
魂の親として、なんとか”愛と調和”を学ぶことでより幸せを感じることができ、より幸せな日々を送り、命を輝かせ全うさせてあげたいという「親心」、親の愛!
ゆえ合図を出し続けてくれているのです。

 

例えば、
宇宙服も適度に使わないと使わない家が廃れていくようにくたびれてしまいます

⇒運動不足ですよの合図。暴飲暴食や生活リズムの乱れの場合も。


宇宙服をどこかに引っ掛けたり切ってしまい、ほっておくと大きなダメージになり着られなくなります

⇒風邪などと小さい事と甘く見ず、無理せず体を休めたり注意をして自愛せよの合図です


宇宙服の部分部分の調子が悪くなり着心地が悪くなりますよね

⇒部分部分におけるメッセージがあるので気づくまで不快感・つらいが続きますよの合図です


宇宙服がくたくたになっていきますよね

⇒老化という体の衰えのためより心と体の自愛しましょう
など、
このように宇宙服に例えて考えると、体との付き合い方、体のメッセージ性と向き合いやすくなり、
体にムチ打つことも一考できることもあるでしょう。
また、体に対しての本当の意味での”感謝”の念も深みを帯びてくると思います。(単に痛い部分に表面的な感謝を思うのではなく)


管理するのではなく
温かい気持ちで、自分の体の親になったような気持ちで
「自分の体を愛する」という”自愛”をする。

 

宇宙服、
生まれた時から着せていただいている”魂”である貴方を守る大切な服。
たった一枚しか持てない、限りのある服。つまり、生命維持服。プライスレスの超高級品!
それだけで愛しむ存在に自然と思えると思います。

 

この上のブログを読んで、
何かご自身で感じて、
体の不調が少しでも緩和された方、
それは”自愛”が足りなかったということ。
あなたの魂の親がピンポイントで言いたい何か具体的に生きる場面での”自愛”、愛と調和に則した”気づき”へのヒントがあるはずなのです。


この世を去るその時まで、
”魂”からの声と、
その”魂”の声を伝えてくれる体の声、
しっかりと聞けるように耳を傾けながら
この世という宇宙の旅をみなさまが楽しめるよう願って♪


                             寧楽感恩

追加;セッションなどで痛みが引かれた経験をもとに、記した

体∞ホリスティック/霊的な器 カテゴリーの記事一覧 - はひふへほっ。 笑う門には福来たる も覗いてみられると、「魂の親からの体への合図とは何だ?」ともう少し具体的に触れていただけると思います。

夢や目標、やりたいことがなくても大丈夫★

You Tubeを見ていると合間合間にCMが入ってきます。
その中の一つの宣伝で違和感のあるものがあります。
子供が大人に対してため口で、大人が子供に敬語を使っている(人を敬うという点でひっかかり)部分もありますが、もっと思ったのは、
”夢”がない大人が責められているように見えた、その違和感でした。

 

具体的な目標や夢という望みがあって
スピリチュアルな世界に興味を持ち始めた方もあるでしょう。
楽しみとワクワク・キラキラな世界になりますよと、スピリチュアルや引き寄せの法則の世界を謳う勘違いするような情報が多いこの世の中。現実逃避をせず、宇宙神理にそいながら地に足つけて幸せになれるようにと今日のブログを書いていきます。


今の社会では
具体的な目標があったり、
具体的な夢を持ったり、と大義名分に向かうことが
さも素晴らしいように掻き立てる風潮があると思います。


すると、
具体的な目標がなかったり、
具体的な夢がなかったり、
その瞬間を幸せを感じながら大切に生きている人が生きがいのない人のような扱いになっている。何か物足りない人間のように扱われている。

 

具体的な目標や夢があれば
それはそれでいいのです。
目標や夢がある人は、それでいいのです。それは否定しません。
(具体的な目標や夢を通して、地位や名誉・お金ではなく愛と調和を学ぶことになりますから)
(子供時代には、続けるという姿勢を学ぶこともできますから)


しかし、具体的な夢や目標が無い人が”何か物足りない人扱い”されること、
具体的な夢や目標を絶対に持たないといけないとすることに大きな疑問を感じます。

 

というのは、
私の神様曰く、
愛と調和でもって、自分の命を輝かす、
これが私たちの生まれてきた意味でもあり使命なのです。


愛と調和を学ぶことが絶対なるテーマですから、
そこに”目標”や”夢”は含まれていない。あってもなくてもどちらでもいいのです。
(必死にやってきた人には、認めたくないことでしょう。10,20代の私もそっちの人だったと思います。夢や目標に辛くても向かっていける人が強い人で、人生の成功者だと思っていましたから・・・当時は。)

 

目標や夢がなくとも
自分を愛し、他を愛し、自分と調和し、他と調和しながら
その瞬間その瞬間を大切に生き輝いていれば
それでいいのです!

 

人に言えるような大それた

夢がなくてもいいのです!
目標がなくてもいいのです!

目指すものがなくてもいいのです!

 

具体的な夢や目標を追いかけている時に陥りやすいのは、
どうしても数字や結果を追うことばかりに心が向かってしまい
愛や調和という神様からもらっている一番大切なテーマをおざなりにしてしまうこと。

 

何か大きなことが出来たり、世間でいう成功をした人が素晴らしいという風潮、
こちらに踊らされてしまうと、
愛と調和という神様からのテーマとは離れてしまいがちになります。
だから、CMで見た内容にすごく違和感を感じました。

 

愛と調和を学ぶのに、具体的な目標や夢がなくても出来ます。
また、命を輝かせるということも、仕事に就いていなくても日々の生活の中でも出来ます。
誰にでも、あなたの置かれている場所で十分に出来ることなのです^^


夢を探すのをやめる、
目標を探すのをやめる。
そして、成績・結果や数字を追いかけるのをやめる。やめていいのです。


そして、本当に素の自分になった時、
あなたにとって必要なタイミングで、絶妙なタイミングで、
あなたのアンテナがあなたの魂の親からより直感という形で
”希望”や”したい”、”いいな”という心に合図をもらえるようになります。

 

その”希望”や”したい”、”いいな”という感じをたどって紡いでいけば

「あなた」という人生を全うすることに繋がります。人の目からすると、”夢”や”目標”があるの人に映っていることでしょう。


あなたが愛と調和を学び、気づきを得て、波動を上げていけば、
小さな時に思っていた理想の自分と違う自分を目指すことも多いにあります。
だって、小さな時にオリンピックで金メダルを取ると夢があっても、年齢によってはもう無理ですから。
だって、小さな時に社長さんは偉そうでお金持ちだからなりたいと思っていてたとしたら、偉そうでお金持ちの社長になりたいと思えないんですから。
だって、小さな時には先生になりたいと夢を持っていても、両親に言われていたからで本当は先生に興味ないんですから。など、
自分の魂レベルが成長すればするほど、愛と調和を大切にする方向にシフトしていき、
なりたいものも変化する。それは当然だと思います。
http://neiraku123.hatenablog.com/entry/2015/09/17/122727 ←”なれる自分像”と”なりたい自分像

 

しかし、
”あの時、諦めたから・・・・”と夢や目標への道を閉ざした過去に思いを残しておられる方もあるはず。
簡単に諦める性分だからとか
諦めざるえない状況になったからとか
それぞれの方に、それぞれの由縁があると思います。

 

でも、諦めるような状況になったということは
諦めという言葉は聞こえが悪いですが、
あなたの神様がその時点で”方向変えてみたら?””やり方を考えみたら?””考え方を見直しを!”などと
今後のあなたの人生を長いスタンスで鑑みると
今のままではもっと苦しくなるので、より幸せになって欲しいという意味で合図を出してくれていたのですから、
決して自分を卑下したり、自責したり、ダメな自分と決め込まないでいいのです。


ポケモンGOがふと思い浮かびました。(私はしないので、先週の出張時に、飛行機内でやっている人に遭遇してびっくり!)
ポケモンGOでいろいろGetすることが、
そのゲームを必死でやっている人には
目標となっていると思います。
それはポケモンGOをしている方の中であれば・・・・そのGetが意義のあること。
でも、ゲームをしないでいる人からすれば、そんなことはどうでも構わない。

なんだか、
この記事を書いていると
具体的な夢や希望を持ち功績・結果を重視するこの世の風潮でやっている人
ポケモンGOをやっている人とダブって見えてきました。
人間が持ちたがる名誉や地位やお金をGetするゲームに奮闘しているのを
神様は
”そんなことよりも、見えないものでもっと大切なものがあるのだが・・・”と苦笑されているに違いない。


それでも、
やりたいことがなくって、
夢がなくって・・・と悩む方へ


まず、無理に探そうとしない本来なくても大丈夫なものですから。
そのタイミングはいつか来るのです。
だから、しっかり心のアンテナだけは立てておきましょう^^
恋愛と同じで、
好きな人が現れたら、その時がタイミングってこと。

 

焦らない焦らない!
それよりも、いつ出会いがあるかわからないのですから
ダメだとか、無理だとか、諦めだとか自分の心に制限を掛けるのではなく、
「いつでもやって来てOK!」と心のレーダ―を敏感にしておいてください。
最近は、いろいろなことを考えすぎ察知できない心の状態になっておられる方も多いので。

 

今ある場所で心を込めてやっていく!

人間が作った夢や目標という概念で苦しまないでいいのです^^

心を込めて愛と調和をもとにして今を生きているだけで、

すでにあなたは具体的に夢や目標を持っている人のように輝いているのですから★

 

                         寧楽感恩

図々しくあっていい!図々しいを誤解しているあなたへ

図々しくある、
まずどういうことだと思いますか?

 

どうしても図々しいとは悪いイメージがある言葉に思っておられる方も多いはず。
私も苦手です。厳密に言えば、苦手でした。相手側の気持ちをついつい感じてしまうので・・・嫌われるかもと思っていたので・・・

 

鑑定をしていると過去の私と同じように
図々しいことがいけないという美徳が強すぎるために
生きにくくされている方も多いなと痛感します。

 

図々しさって何か?
図々しいのはいけないと思う理由とは?
まず考えてみてください。


図々しいのはいけないと思う理由に
図々しい人に出会って自分が困ったことがある
図々しことはいけないと罪悪感を身に着けてしまった
図々しいと人に迷惑を掛けてしまうと思っている
図々しいことは我儘だ・勝手だと思っている
図々しいと嫌われてしまう
図々しいと人とぶつかることが多くなる
図々しくなると相手が可愛そうになる気がする
図々しいと・・・・

いろいろな理由がそれぞれの方にあると思います。


さてさて、
「図々しいのは本当に問題なの?」ということで
神様から教えていただいたことを書いてみますね。


そもそも私たちがこの世で生きる大前提は
愛と調和でもって、命を輝かせるをテーマに
宇宙の法則の中で生きる
誰ひとり欠けることなく、この大前提は同じです。

 

愛とは、自愛と他人への慈愛、
調和とは、自分の体と心との調和、他人との調和。
これを基にすることが、
宇宙の法則としての宇宙の流れに則した考え方であり、問題への対処法となります。

 

端的に言うと
愛と調和を基にした思いなら、自由に思って構わない」
ということなのです。


それではまだピンと方もあると思います。
もっと噛み砕いて言うならば、図々しい場合に一番有効的な考え方としては、

”守る”という愛(自愛・慈愛)なら譲らないでいい!


自分の心に聴いてみて、それがどういう思いから来ているのか?
それが自分にとって自愛・慈愛から思いならば、
思いを貫き、行動してよいということです。

 

大切な人(自分を含めて)を守るために
図々しいのはいけないからと譲ってしまっていいのでしょうか?


当然、自分のことに図々しくなれない方が多いとは思いますが、
家族のことや親友のことになれば譲らない気持ちで自然とできていることに
気づかれる方もあるのではないのでしょうか。
人ためなら一生懸命になれる方に多いと思います。


でも、大切な優先事項としては
自分を守る、自愛を忘れてはいけないのです。
本当は自分のことも譲らないでいいのです。あなたを守れるのはあなただけだからです。

魂の親からすれば、あなた自身も大切な世界で一つの存在であるので、
自分で自分を守ることは当然してほしいことなのです。


でも、ここで注意していただきたい点があります。
それは、譲らないでいいと言って、自分を守ると言って、
世間の常識・今までのあなたの経験などなど
正しく正しくないや正論を基準として
相手を攻撃しないということ。
神様が正しいとされることと、世間の正論は違うのです。


あなたが何を守りたいか?
あなたは何を譲れないのか?
相手に調和を図る気持ちで伝え、
調和的解決の糸口を見つけていくことが
愛と調和の在り方を基にしたやり方となります。

 

だから
意地をはったり、
相手の意見を聞かなかったり、
頑固になったり、
心を閉ざしたりと、
調和をしようとしない心で相手と向き合っても
なかなか解決の糸口が見つけられないどころか、より問題が大きくなったりと、
”気づいたね~”と神様が神業にて解決してくれることも難しくなります。

 

例えば、お金のトラブル。
養育費(離婚後の年金分割の場合も)をもらっていいのでしょうか?という質問。

Aパターンは、
図々しくてもらっていいのか?という思いの方。
相手の生活も考えると図々しくもらえないという思いがあると思います。
あなたの子供さんを”守る”ためのお金だとすると
それは「愛」が形化したものなので、
感謝をして「愛」をもって家族(自分も含む)のためにいただいてもいいのです。
いただけるようにしてくれているのはあなたの神様なのですから。


Bパターンは
離婚したのは相手に多くの責任があるのだから
お金はもらって当然と思われる方。
何かしら原因があっての離婚ですから、
どちらかに大きな原因を作ってしまったとしても
「自分を不幸にした対価は払ってほしい」
「相手だけ幸せにお金があるのが憎らしい」など
という愛と調和とかけ離れた”負”の波動を発生する考え方でもって
お金をもらいたいという思いが強くなると、
豊かさは愛と調和の波動の一種なので、
心の豊かさはもちろんのこと、実際に豊かさとは逆の生活を創造していくことになります。
たとえば、約束をしても養育費を入れてもらえなくなったり、予期せぬ出費が出る可能性が生まれます。


もらうことに対して、
あなたの思いがどのようであるか?が問いかけられているるのです。

愛と調和からの”快”の波動を発生する考え方からなのか?
”負”の波動を発生する考え方からなのか?
この例でいうと、これがポイントなのです。

 


図々しくて人にしてもらうのは、ちょっと苦手という方には
”もらい上手が感謝上手”http://neiraku123.hatenablog.com/entry/2016/05/25/191326 ←こちらを参考に。


図々しいや、それに関連して厚かましいという言葉だと抵抗が生じる方には、
少し大きな視点も入った言葉で
”たくましい”という言葉に変換されることを提案してみたいと思います。

 

たくましさの上での歩調合せ。
それこそが自分を生かしながらの調和。
自分を犠牲にしながら人に合わせるのではない自愛から来る調和


わんぱくでもいい、
たくましくあれ!


プリマハムのCMでよく流れていた言葉ですね。
自分を最大限に生きる、輝かせられるよう
心に素直にたくましく生きていきましょう^^

                       寧楽感恩