読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

はひふへほっ。 笑う門には福来たる

~視えない世界と和の法則、地に足つけて幸せを~

だらだらのススメ~時間を尊ぶ者、自愛を修む

だらだらしてはいけません!
ごろごろしてはいけません!

だらだらしているんだったら、何かしなさい!
ごろごろしているんだったら、何かしなさい!

だらだらしているのを見ていると、イライラするから!
そんなところでごろごろしていると、邪魔だから!

 

本当に私も小さい頃から、
躾けが厳しい母親(そういう母は少しでも休もうとすると人間自体がなまくらになるとよく言っています)に、そのように教えられ、私自身もあれやこれやと技術や語学を学び、月間誌を編集するなど、今の私の考え方になるまでには、本当に生き急ぐように、ただ上を上を見ていた生き方をしていたと思います。


際限なく頑張ってしまう根性だけはあったので、
「これではいけませんよ!」と、一旦止まりなさいと言われんばかりに、八方は塞がるわ、死に直面するわとのた打ち回っている内に人生の転機が訪れ、
今のように神様の声に耳を向けるようになりました。


過去の私のように、何かを懸命に追いかけ、自分を顧みる余裕もなく走って来ておられる方に、
そして走りすぎ休憩を余儀なくされている方に、
ようやくこのままではいけないと自分の立て直しを始め「自愛」生活に取り組まれている方に、
時間に追われて休むことが苦手な方に向けて、

 

だらだらすること、ごろごろするやのんびりするも含めて、
「のんべんたらりん」とすることについて”自愛”視点から書いてみたいと思います。

 

 

「自愛」 

 

 

宇宙の波動に同調し、スムーズにあなたが人生の流れに乗るには、
私たちがこの世で生きる意味でもあり、学びのテーマである
自愛し
慈愛す。(他を愛す)
己と和して
他と調和す。
をいかに日々の生活で体現していくかにかかっています。

 

”愛”や”調和”と漠然とした言葉では掴みにくいので、
”愛””調和”を基にした波動を発生する考え方・思いを、私はブログでいつも使っていますが”快”と呼んでいます。
したがってその中でも”愛”の中でも”愛”いう字がそのままつく「自愛」「慈愛」”快”の最たるものになります。

 

これに対して、その反対を基にした波動を発生する考え方・思いを”負”と私は呼んでいます。


だから、”負”の波動の波動を発生している考え方・考え癖・思いが多くなると
踏ん張って踏ん張っても流れに乗れず疲れ果て、なかなか宇宙の波動に同調できず、人生を辛く感じる状態になります。
まるで、流れに逆らい踏みとどまるとする川の石のように・・・
(私たちの魂の親である神様は、この宇宙の波動に乗れるようにと見守り、合図を24時間送ってくれています。あなたが苦しいと思っている時や停滞していると思っている時には、流れに逆らわないでいいよ~と神様は踏ん張るのをやめるようにと、合図を出してくれているまさにその状況の時です。そうは思えない時でも)

 


ここまで大まかに説明しましたが
さてさて「自愛」。
何を自愛するのか?

 


一般的に書かれているものは
今私が書いていたような考え方や思いなどの心の「自愛」が多いと思います。


しかし、私の神様がおっしゃっているのは
忘れてはならない3つの自愛として
①心
②体 
③時間 
3つを挙げておられます。
「愛の三大神器」とも命名したいくらいです。


①は、すでに上に書きましたのでわかっていただけると思います。
②の体。前回のブログ 体は生命維持用宇宙服★ - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

を参考にくださればと思います。
そして、③の「時間」です。


私も最初「時間」?と思いました。
しかし、②の「体」と同じで、こちらも命尽きるまでという意味では有限なのです。
スピリチュアルの世界では、とかく言われるようにパノラマ式になっていて過去も未来も現在もないと言いますが、それはそちらの世界のお話です。
我々はそんな中に生きてはおらず、時間という過去⇒未来へと時間のベクトル旅行をしています。
実際に、私もセッションをしていますと、未来や過去の映像を見ますが、そこには「過去」「未来」が存在して伝達されます。だから、この世では時間軸を持って対処せざるを得ないのです。


だから、この世にだけ与えられたシステム・・・魂制の「心」、
この世にだけ与えられたシステム・・・時間制の「時間」、
この世にだけ与えられたシステム・・・宇宙服制の「体」、
ともに限りのあるものとして、大切に尊ばれる”愛”の神器なのです。


時間を自愛する・・・・とは?

 

先ほど書いたように
時間を大切にする
時間を尊ぶ
この感覚、人のよってはこれに似た感覚でしょう。
この感じが時間の自愛ではないかと私は考えます。

すると、
より丁寧に生きようとする気持ちが出てきませんか?
心を込めて生きるということにも繋がりませんか?

 

でも、ここで注意をしてもらいたいことがあります。
このブログの冒頭で書いた昔の私に言いたい言葉になりますが
「時間を大切にするのは、時間がないと言って、がむしゃらに、体を壊しながら焦って、(名誉地位・収入・技術など)向上することではない」ということです。


当時も忙しいので、時間を大切にしていました。1分1秒がとにかく惜しく。
眠れないと、時間がないと眠らなきゃと思って、余計に眠れなくなったりと、時間との闘いと言ってよかったと思います。
それは、「自愛」からの時間を大切にするという感覚とは全く違うものでした。
時間も大切にしているようで幸せを感じる時間にできておらず、
体は無理をすればなんとかなると「自虐」同然、心も”負”の波動を発生する考え方のオンパレード。こんなではいつか転ぶしかなかったのですが・・・

 

「自愛」からの時間を愛すということ。同時に、体も愛すということ。心も同様です。
自分がより幸せを感じるため、自分らしく命を輝かせるため与えられた神器の時間なのです。

 

自分の時間を大切にする「自愛」。
それが心に定着してくると、
あなた以外の存在にも時間がありと他者の時間も大切にするという「慈愛」も自然と生まれてきます。

だから、遅刻も少し考え直さなければなりません。
自分が遅れるということは、相手を待たせてしまい「慈愛」に少し欠けていることになりませんか?
やむを得ない事情や交通事情の場合は仕方ないにしろ、
遅れる場合には、一報を入れるなど配慮をしたいところです。
自分の時間が大切なら、相手の時間も大切にする。
マナーだからでなく、相手を思いやる気持ちの「慈愛」から習慣にしたいものです。

 


時間を大切にするとなると、
「だらだらしてはいけないのですか?」という疑問が湧いてくる方もあると思います。
最後に書いてみたいと思います。


簡単に言うと、
「だらだらして構いません^^」
「ごろごろして構いません^^」


でもここで神様が大切なことを教えてくれました。
この時に、どう思ってだらだら・ごろごろするかなのです。

 

もし、あなたが
「わたしだけごろごろ休むのは悪い」と思うような罪悪感
「無理してでも起きていないと」と思うような体の自虐
「本当はごろごろしてはいけないのに、してしまっている」という自責
「無駄にだらだらしてしまった」という後悔 など
”負”の波動を発生する考え方や思いをしながら、ごろごろするのは辞めましょうということ。

 

だらだら・ごろごろするならば、
それは自分にとって「自愛」から必要なことと心で認めること。休むことも必要なのですから。
そして、
「この時間は(楽しく真剣に)だらだらするぞ!!!^^」自愛の意味合いを感じながら
正々堂々と心を込めて思いを尽くして、100%清々しい気持ちでだらだら・ごろごろする。すると、無駄にだらだらしたなんて思わないですから。だらだらはいけない事と思ってだらだらしても、心は疲れるだけでより心の悪影響です。
もし、家族の誰かがだらだらしていたら、「真剣に気合入れてだらだらしてね!」と言ってあげましょう♪

 

 

先日のセッションでも、
この”自愛”の考え方で腰痛が解消されたという方がいらっしゃいました。

腰痛 スピリチュアル的意味 - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

がんばらないで、お母さん! 腰痛 スピリチュアル的意味 - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

腰痛は、ここにも以前紹介したことがありますが、自分の土台、自分にとっての基盤という自分軸からの自愛という神様の合図であることが多いです。


ご主人に悪いと、腰痛で横になりたくてもなれない自分に悩んでおられました。
その腰痛は、神様からの”自愛”をしましょうというメッセージだとお話をし、
家族も大切なのですが、家族に悪いと思わず、まず自分、自愛を心掛けてやっていだだくことを意識していただきました。
そして、ご本人が「しんどい時にはゆっくり休んでいいと思えるようになったら腰痛がなくなった。」とご報告いただきました。
の自愛、
罪悪感を持たずに堂々と休むことをした時間への自愛、
休むというへの自愛、
こ3つがポイントだったとはっきりと言えます。


本当は
『神様の三大神器』と『だらだらのススメ』という2つにわけて書こうと予定していたのですが、
いざ書くぞ!とやっていると1つになってしまいました。
するとこんなに長いブログになってしまいました。


だらだらする時には、張り切ってだらだらしましょう!!!

時間も愛してきましょう♪       同じ時間を生きるご縁に、寧楽感恩