はひふへほっ。 笑う門には福来たる

~視えない世界にアプローチ、”愛”と”調和”の宇宙の法則で、地に足つけて幸せを❤~

自分の心は自分で満たす~これも自愛

”ある”という見えない大宇宙から生まれた魂の親。
その”ある”という魂の親から生まれたわたしたち。
万物は、すべて”ある”という宇宙神理のシステムの中に存在しています。
気も草も花も空も海も人も動物も、”ある”というあるがままで教えられてもいないのに完全な本質や本能・機能を持っています。

 

だから”ある”とは、そのままで十分に本来「満ちている(不足ない)」という状態です。

 


しかし、私たち人間は、生まれ育っていく中で、
「何か」自分に足りないものを見つける習慣を身に着けてしまいます。
他との比較が引き金になり、
うらやましさ・競争心・批判・卑下・不平不満・自責・不安・嫉妬・ひがみ などなど
”負”の波動を発生する”ある”という大宇宙の発生している波動とは逆の考え方を強めていきます。
”ある”でなく、「不足だ」という考えを強めているということです。


”ある”ということを学ぶために
”ない(不足だ)”を知る社会に生まれたわたしたち。
ないないと探していたら、実は一番近くにあった。
この青い鳥論が、自分を満たすという自愛になるのではないかと思います。
(この”ある”が経済的豊かさをもたらすために最も大切な柱になる考えの一つです)

 


ここまで読んでいただいて、自愛自愛と言いながら満たすを考えたことがなかった方は、どうしたらいいかな~と頭をめぐらせておられると思います。

 

自分の生活や自分自身に関わる”ある”に視点を移しておられるかもしれませんね。


ここで注意していただきたいことがあります!
自分を満たすための”ある”を何で満たすか?なのです。

 

他の何か」で埋めようとしてもダメなんです!!!! 


お腹いっぱい食べたから”満たされている”
欲しかったカバンが手に入ったから”満たされている”
先生に褒められたから”満たされている”
会社で評価されたから”満たされている”
海外旅行に行けたから”満たされている”
痩せたねと言われて嬉しかったから”満たされている”
「いいね」が沢山もらえたから”満たされている”
子供が進学校に入ったから”満たされている”
お酒を飲んで楽しいから”満たされている”
今”ある”と思える生活費や生活環境があるから”満たされている”
収入が安定しているから”満たされたいる”
今いる地位があるから”満たされている”  など

 

いろいろな”ある”という満たされ状況があると思います。


が、これらに共通しているのは、
何かがあって、
何かを言われて、
何かをしてもらって、
何かを得て、 というような
「何か」という対象物や対象者がはっきりとしていることです。


「何か」があるのに”不足”だとするより、一歩自愛への道は進んだのですが、
この「何か」がないと、”満たされる”ことがない心の状態が続きます。
満たされた心の状態でいようとするならば、
常に「何か」他のもので満たされるような状況を作らねばならない。
この「何か」を追いかけるほど、本当に苦しくなっていきます。(私も苦しかった時代がありました)


人間、もっともっと・・・・・と追いかけることになるからです。(満たそうともがくアリ地獄状態です)

 

食べ過ぎ
飲み過ぎ
ギャンブル
過度なショッピング などなど
ストレス発散の定番になっている事柄は、
どんな状況下にそれぞれの人があるので具体的な理由は異なりますが、
”満たされていない”が心の状態が共通しています。
”負”の波動を発生する考え方から起こるストレスの根源には”満たされていない”自分がいるからです。
それほど、この”満たす”ということは自愛の中でも大切なポイントです。

 


では、「何か」ではなく”満たす”考え方はないのでしょうか?

 


その方法とは
自分の心は自分で満たす!!!❤

 


つまり、
「何か」で満たすのではなく
自分の心で感じた思い自分を満たすということです。

 


例えば、
お腹いっぱい食べたので満たされたのでなく、
⇒お腹いっぱい食べられた満足感! おいしかった!と心が十分に満たされた

(こう考えられると少量でも心は満たせるのです)

 

マラソンを完走したので満たされたのではなく、
⇒苦しい時もあったけれど自分はよくがんばった!と心が十分に満たされた

(完走した結果に満たされたのでなく、完走した自分を認める心が自分を満たします)

 

いつも同じ仕事でつまらないけれど、お給料のためにがんばったでなく、
⇒いつも同じような中でも自分なりの楽しさをみつけて励めた!と心が十分に満たされた(楽しく仕事をしようと心を尽くした自分を褒める心や充実した心で自分を満たします)


こういうように、心で感じた思いで自分を満たすことができます。
反対に言えば、
心で感じていなければ、どんなにいい「何か」を与えてもらっても”満たす”ことはできないのです。

 

心が感じることができてくれば
例え人からは評価されなくても、また自分がうまくいかなかったなという時でも、悲しい気持ちや悔しい気持ちになったりもしますが、
心は瞬間瞬間に精一杯やっていて、いろんなことを感じながら自分の心を満たしているので、
結果がどうであれ、自分としては”満たされた”という感じが残ります。
(不快な感じで心が満たされたとしても、感じない虚無感は生まれてきません。心には思いが満ちているので、後悔しない生き方に繋がります。)


しかし、その反対に、気の向かない飲み会に行ったけれども、結局つまらなかったというのは、
自分が行きたくないのに無理して行って時間をつぶして自分の心を満たすという
”自愛”とは逆の行為ですから、”不足”というつまらなさや虚しさが残って当然と言えば当然なのです。

 

心が感じなければ、
いくら「何か」で満たそうとしても
決して満たされることはありません。


心なんです、肝心要は!!

 

感じる心を取り戻し、比較せず、自分は自分だと人の目を気にせず
そしてその瞬間瞬間を感じながら生きる。

それが、心を満たす生き方。

(だらだらも心に決めてだらだらすると自愛なのも前々回の「だらだらのススメ~時間を尊ぶ者、自愛を修む 」ブログに書いた通りです)

 

これが、

なんとなくで過ぎる毎日から脱出する方法です。
虚しい毎日から脱出する方法です。


だから、特に何か取り柄があったり、すごいことが出来なくても、自慢できる何かがなくても、大きな目標がなくても、大きなことができなくてもいいのです。
人の目を気にせず、自分らしく毎瞬間毎瞬間を心を込めて感じて生きていれば”満たす”ができるのです^^

心ここにあらずでは、勿体ない時間を過ごしてしまいますから・・・


究極は、生きているだけですでに”ある”を達観することなのだと思います。 

                               寧楽感恩                                        

 

 

追伸;次回は「自分の心は自分で満たす」ができないことで起こってしまう相談の際に多い事例をご紹介したいと想います。