はひふへほっ。 笑う門には福来たる

~視えない世界にアプローチ、”愛”と”調和”の宇宙の法則で、地に足つけてみんなで幸せ❤~

図々しくあっていい!図々しいを誤解しているあなたへ

図々しくある、
まずどういうことだと思いますか?

 

どうしても図々しいとは悪いイメージがある言葉に思っておられる方も多いはず。
私も苦手です。厳密に言えば、苦手でした。相手側の気持ちをついつい感じてしまうので・・・嫌われるかもと思っていたので・・・

 

鑑定をしていると過去の私と同じように
図々しいことがいけないという美徳が強すぎるために
生きにくくされている方も多いなと痛感します。

 

図々しさって何か?
図々しいのはいけないと思う理由とは?
まず考えてみてください。


図々しいのはいけないと思う理由に
図々しい人に出会って自分が困ったことがある
図々しことはいけないと罪悪感を身に着けてしまった
図々しいと人に迷惑を掛けてしまうと思っている
図々しいことは我儘だ・勝手だと思っている
図々しいと嫌われてしまう
図々しいと人とぶつかることが多くなる
図々しくなると相手が可愛そうになる気がする
図々しいと・・・・

いろいろな理由がそれぞれの方にあると思います。


さてさて、
「図々しいのは本当に問題なの?」ということで
神様から教えていただいたことを書いてみますね。


そもそも私たちがこの世で生きる大前提は
愛と調和でもって、命を輝かせるをテーマに
宇宙の法則の中で生きる
誰ひとり欠けることなく、この大前提は同じです。

 

愛とは、自愛と他人への慈愛、
調和とは、自分の体と心との調和、他人との調和。
これを基にすることが、
宇宙の法則としての宇宙の流れに則した考え方であり、問題への対処法となります。

 

端的に言うと
愛と調和を基にした思いなら、自由に思って構わない」
ということなのです。


それではまだピンと方もあると思います。
もっと噛み砕いて言うならば、図々しい場合に一番有効的な考え方としては、

”守る”という愛(自愛・慈愛)なら譲らないでいい!


自分の心に聴いてみて、それがどういう思いから来ているのか?
それが自分にとって自愛・慈愛から思いならば、
思いを貫き、行動してよいということです。

 

大切な人(自分を含めて)を守るために
図々しいのはいけないからと譲ってしまっていいのでしょうか?


当然、自分のことに図々しくなれない方が多いとは思いますが、
家族のことや親友のことになれば譲らない気持ちで自然とできていることに
気づかれる方もあるのではないのでしょうか。
人ためなら一生懸命になれる方に多いと思います。


でも、大切な優先事項としては
自分を守る、自愛を忘れてはいけないのです。
本当は自分のことも譲らないでいいのです。あなたを守れるのはあなただけだからです。

魂の親からすれば、あなた自身も大切な世界で一つの存在であるので、
自分で自分を守ることは当然してほしいことなのです。


でも、ここで注意していただきたい点があります。
それは、譲らないでいいと言って、自分を守ると言って、
世間の常識・今までのあなたの経験などなど
正しく正しくないや正論を基準として
相手を攻撃しないということ。
神様が正しいとされることと、世間の正論は違うのです。


あなたが何を守りたいか?
あなたは何を譲れないのか?
相手に調和を図る気持ちで伝え、
調和的解決の糸口を見つけていくことが
愛と調和の在り方を基にしたやり方となります。

 

だから
意地をはったり、
相手の意見を聞かなかったり、
頑固になったり、
心を閉ざしたりと、
調和をしようとしない心で相手と向き合っても
なかなか解決の糸口が見つけられないどころか、より問題が大きくなったりと、
”気づいたね~”と神様が神業にて解決してくれることも難しくなります。

 

例えば、お金のトラブル。
養育費(離婚後の年金分割の場合も)をもらっていいのでしょうか?という質問。

Aパターンは、
図々しくてもらっていいのか?という思いの方。
相手の生活も考えると図々しくもらえないという思いがあると思います。
あなたの子供さんを”守る”ためのお金だとすると
それは「愛」が形化したものなので、
感謝をして「愛」をもって家族(自分も含む)のためにいただいてもいいのです。
いただけるようにしてくれているのはあなたの神様なのですから。


Bパターンは
離婚したのは相手に多くの責任があるのだから
お金はもらって当然と思われる方。
何かしら原因があっての離婚ですから、
どちらかに大きな原因を作ってしまったとしても
「自分を不幸にした対価は払ってほしい」
「相手だけ幸せにお金があるのが憎らしい」など
という愛と調和とかけ離れた”負”の波動を発生する考え方でもって
お金をもらいたいという思いが強くなると、
豊かさは愛と調和の波動の一種なので、
心の豊かさはもちろんのこと、実際に豊かさとは逆の生活を創造していくことになります。
たとえば、約束をしても養育費を入れてもらえなくなったり、予期せぬ出費が出る可能性が生まれます。


もらうことに対して、
あなたの思いがどのようであるか?が問いかけられているるのです。

愛と調和からの”快”の波動を発生する考え方からなのか?
”負”の波動を発生する考え方からなのか?
この例でいうと、これがポイントなのです。

 


図々しくて人にしてもらうのは、ちょっと苦手という方には
”もらい上手が感謝上手”http://neiraku123.hatenablog.com/entry/2016/05/25/191326 ←こちらを参考に。


図々しいや、それに関連して厚かましいという言葉だと抵抗が生じる方には、
少し大きな視点も入った言葉で
”たくましい”という言葉に変換されることを提案してみたいと思います。

 

たくましさの上での歩調合せ。
それこそが自分を生かしながらの調和。
自分を犠牲にしながら人に合わせるのではない自愛から来る調和


わんぱくでもいい、
たくましくあれ!


プリマハムのCMでよく流れていた言葉ですね。
自分を最大限に生きる、輝かせられるよう
心に素直にたくましく生きていきましょう^^

                       寧楽感恩