我慢ポイントがわからない人へ(2)
昨日、昔から知っていて時々人にも言っている言葉だったのですが、
”どきゅん!”となぜか突き刺さりまして、と言う言葉があります。
「伝えて欲しい言葉」なんだと思い書くことにしました^^
マザーテレサの言葉、
”愛の反対は、無関心です”
↓
人だけ使う言葉でなくって、”自愛”に置き換えると、
”自愛の反対は、自分に無関心です”
はっとした方! 何か心がざわついた方!へ
いくら悩みや苦しみを解決しようとしても、
自分の悩みや苦しみに感情がとらわれていていますよ。
自分の悩みや苦しみには向き合っていて、
それでは悩みや苦しみの原因になっている相手と向き合っていて、
それで自分と向き合っているつもりになっていて、
「自分」に無関心になっていませんか?
もっと「自分」に関心を持ってあげられませんか?
という優しいメッセージが込められいるのではないかと思います。
悩みや問題に向き合っている自分がいても(これ結局自分でなく問題の相手と向き合っている)、
自分自身に向き合っていないと、
被害者意識からの拗ねやひねくれやイジケ、それらを引き起こす自分が何を”我慢”しているのかはっきりとわからないといったり、すぐに出てこないということも。
いわば自分に関心があるようで(つもりで)あまり自分に関心を持てていない、
自分への関心の向け方と向け度がずれていることが往々にしてあります。
問題と問題の相手と向き合っていても、自分とは向き合っていないので、
自分の”我慢”が見つからないのも致し方ないと思います。
(悩みや苦しみという問題ばかりに焦点が合うと、自分に焦点が合わないんですよね)
自分の悩みや苦しみに関心を持つ(はまって)のではなく、
自分自身に関心を持つ。
問題に向き合うのではなく、
自分自身に向き合う、
そんな”自愛”をしていってほしいと思います。
と前置きをして、前回からお伝えしていた我慢ポイントの2つ目を紹介していきたいと思います。
さて、質問です。この質問の答えによって、
あなたが我慢していることもわからなくしている頭の”姑”の居座り度がわかりますよ。
Q. 自分が女性として、入りたい場所に、「女人禁制」の看板があります。
さて、あなたはどう思いましたか?
いろいろ考えるのでなく、
第一印象で、瞬間的にどういう思いが出てきましたか?
(最近騒がれている土俵についてでなく、一般全般的なことで)
3択でいってみましょう!
①仕方ないと、あきらめる
②どうしてダメなの?と疑問を持ち理由を考える
③入りたい!
あなたはどの番号を選びましたか?
この番号により、あなたの”我慢ポイント”わからない度合いがわかります。
それをタイプとして見てきます。
①無理なんだと鵜のみに従える、聞き分けのいいタイプ
②疑問や質問として理由を考える思考型タイプ
③心の声をそのままタイプ
もうちょっと踏込みますと、
①言われるがままタイプ、いい子タイプ
②世間体・経験・知識たっぷり頭優先”姑”タイプ
③心に蓋をしない心タイプ→(これ、自愛タイプ)
我慢ポイントがわからない度合いは、
① > ② > ③
他人軸 > 自分の中の”姑”(頭) > 自分(心) というようになり、
①の方がわからない人が多くなります。
なんとなくわかってきましたか?
今日ご紹介したい2つ目の”我慢ポイント”をわからなくしている原因。
この質問の場合だと、
「私は女性だから」ということがキーポイントになっています。
これ、最大のヒントです。
その原因とは、
肩書き
肩書き、またレッテルと言っていいと思います。
肩書きと言ってもいろいろありますが、
先天的に与えられている肩書き、地球人・日本人・男性女性・○○家の子。長女次女 など
後天的に与えられている肩書き、○○才・妻母親祖母夫父親祖父・仕事の職種(専業主婦も)・仕事場での肩書(社長や課長など)など
人によって、複数の肩書きを持って誰もが生きています。
肩書きを優先してしまうと、
・母親だから・・・しなければならない
・40歳だから・・・・していなければならない、持っていないと恥ずかしい
・日本人だから・・・・は普通だし
・◯◯家では・・・・が普通なのでしなければならない などなど
自分の思う
もしくは
自分の属している団体(家族や会社など)が思う、
・・・・だからという「肩書き像」に縛られることになってしまいます。
ひいては、・・・像に合わせなければと、自分に制限を作ってしまうことになります。
肩書きという「自分が制限で縛られている」状態が、普通で、疑問に思わない、慣れているので、自分の”我慢ポイント”がわからなくなっていることも、結構あるのです。
具体的に例えを挙げると、先に、肩書きから入る場合には、
「母親ならお弁当を作るのが普通、作らなければならないと思っている」となりやすいと思います。
お弁当を作ることが当然のように頭に刷り込まれている状態です。
(いろいろな家庭はあると思いますが、多いパターンで書いています)
お母さんがお弁当を作るのが当たり前という普通になっているので、
自分もまわりも疑問に思わない、慣れてしまっている・・・・・状態です。
この慣れの刷り込みが、”我慢ポイント”がわからないようになっている大きな要因です。
だから、自分が我慢してやっていることも”気づい”ていないので、自愛できていませんよと、体調を崩したり、風邪をひかせたり、スピリチュアルエネルギー切れのだるさを起こしたりなどして、
あなたに”自愛”促そうとしています。
といっても、習慣になっていることが、自分で習慣かどうかと見極めることは難しいのもわかります。
そんな時に、まず考えていただきたいのは、
「人間誰それは、それがしたいの? したくないの?」と自分に尋ねること
肩書きの前に、人間なのですから、
肩書きの前に、人間として、自分に尋ねるのです。
私ならば、書道家としての肩書きもあります。
書道家として、「正美ちゃん」はやりたいの? と聞く前に、
人間として、「正美ちゃん」はやりたいの? と尋ねます。
さっきのお弁当の例でいくと、
お母さんとして、「◯◯ちゃん」は作りたいの? と聞く前に、
人間として、「◯◯ちゃん」は作りたいの? と自分に尋ねます。
人間 > 肩書き なんです。
肩書きがあると、それに見合うように生きようとする時点で、自分に制限を掛け始めるので、
我慢することが普通になりますから、まず「人間としての自分」に尋ねる習慣を持ち、
そして、自分の心を知ること、自分に関心を持つのが ”自愛”習慣です。
そして、
人間としての自分が OKで
肩書きの自分が OKを出すこと、
この ダブルOKが出たことを優先的にやっていきます。
人間としての自分が嫌がって、
肩書きの自分が自分に「しなければ!!」とムチ打っている時は、
どうするのですか?と疑問になる方もあるでしょう。
本当は、ムチ打たずに「やらない!」というのがベストです。
嫌嫌やっても、その波動を流してしまうだけなので・・・・思い切って人の顔色を見ないでやらない勇気を持って、自分が「やれそう♪」「やりたいな❤」と思うまで、待ってあげる”自愛”です。
でも、その自愛をする勇気がまだ出ない時には、どうしても無理な時には、
①嫌がっている自分をしっかりと認めて受け入れる
②しないといけないけれども、自分がしなくていい方法を探す
もしくは、手を抜く方法を探す
③手を抜く方法であっても、自分がやったのであれば、「嫌なのによく頑張ったね!」と自分に愛する言葉でねぎらって、❤をフラットにする。(愛のある言葉を掛けていれば、自然と❤はフラットになり、スピリチュアルエネルギーも減りません)
また、「やりたくないのに、やらなければ」の逆パターンで、
「やりたいのに、できない」パターンもあります。
その場合も同じです。
「無理」「仕方ない」とばさっと切り捨てるようなやり方でなく、
やりたい心に十分に向き合って、
我慢したことをしっかり共感してあげ、
代案がないかと納得するところまでとことん自分に付き合ってあげる。
こんなふうに
自分が我慢してやっているということを自覚しながら、
やりたいのにできずに我慢していることを自覚しながら、
「人間としての自分」にしっかりと向き合う、寄り添って、
放置しないであげてください★
「肩書き」は人をしばったり、制限をつけたりする、反”自愛”の象徴かと思われるかもしれませんが、
そうではありません。
陰と陽、明と暗、があるように、相対するものがあることにより、より自分自身を知ることのできる材料となりえます。
そして、
先天的に持って生まれてきた国籍・性別などの「肩書き」にも
後天的に生きていく過程において与えられる「肩書き」にも、
その「肩書き」を利用することで、
「肩書き」を活かして、より自分の魂・命の持つ個性を発揮して、
より自分らしく充実した輝く人生を送れるよう、
その人が”愛と調和”の世界で最大に生かされ、幸せになれるようにとの
魂の親である神様からの”計らい”で与えられたものなのです。
制限のためという反”自愛”のためでなく、
最大限にあなたの命・個性が活かされ自己が全うできるようにという”自愛”のために、
この「肩書き」は与えられるのです。
だから、「肩書き」にふりまわされない!
「人間の自分」が先、
「肩書きの自分」があと。
これが、あなたがあなたらしく充実し幸せを感じて生きていける順番で、コツです。
あなたが「人間の自分」の心を知り、尊重し出すと、
宇宙の法則により、
周りの人もあなたの「人間」としての心を尊重してくれるようになります。
「お母さんなのに(ぶ~~~)」から
「私のお母さんだから❤」と、「人間」としてのあなた、同時に「母」としてのあなたを受け入れてくれるようになるのです。
「妻なのに(ぶ~~)」から
「大切な自分妻だから❤」と、「人間」としてのあなた、同時に「妻」としてのあなたを受け入れてくれるようになるのです。
人間の自分 > 肩書きの自分
いい意味で、自分の肩書きを捨てて、
自分自身で自分を人間とみなし、
その思いに素直になって生きていく!
それが、本当の自分を生きることに繋がりますから。
肩書きで動いているなら、さっそく「人間の自分」に振り向いて、
自分を生きていきましょう! 寧楽感恩