はひふへほっ。 笑う門には福来たる

~視えない世界にアプローチ、”愛”と”調和”の宇宙の法則で、地に足つけてみんなで幸せ❤~

そもそもあなたは希望です❤令和

今日から令和の時代に入りましたね。
テレビ越しであっても上両陛下の溢れんばかりの”慈愛”がいつも伝わってきておりました。
平成天皇、皇后様には、感謝の気持ちでいっぱいでの昨日となりました。


さて、先土曜日に梵字のレッスンでの”ほう~”と聞いたお話です。
「知り合いのチベットの人がな、レイワと聞いてすぐに”希望”とゆうてはったわ。
 レイワはチベット語で、”希望”やねんて!」と。
日本では万葉集からの引用にての説明をされていますが、
神様を大切にしているチベットから見ると、
日本は「希望の国」という意味づけを日本の神様はなさったのだなとすごく心にしっくりきました。
この意味づけは、きっとチベットだけでなく世界にとっての「希望の国」となってほしいという尊い意味があるのだろうと、
令和という日の始まりを感慨深く迎えています。



希望ってなんだろう?



って思ったんですね。
私が思う希望というのは、国語辞典に書いてある希望の意味ではなくて、
宇宙神理的な、スピリチュアル的な、”希望”という意味。


そして、「希望ってなんだろう?」ということを思っていたら、
昨日入ってきたことがあったので、書いてみたいと思います。

 


A.神様に「希望ってなんですか?」と聞きました!

 


Q.あなたそのものが”希望”です。

 


この言葉を説明していきますね。

宇宙はエネルギーで出来ています。
そのエネルギーの質・性格・種類というのは、
私たち地球に生まれる人間が解釈する言葉の中で同質のもので探すと、
”愛”にあたります。
↑ 私の神様がおっしゃったので、私はそうと理解していますので、違う意見の方もあるとは思います。

この”愛”というのには、
大きくは自分に対する”自愛”と自分以外のものに対する”慈愛”の二つがあります。

そして、この”愛”、 動詞にすると”愛する”には、
いろいろな”愛する”があります。
例えば、喜ぶ・楽しむ・自由・幸せ・ほっとする・安心・・・などなど。


この”希望”というのも、この”愛”の一つにあたるということ。

”希望”も”愛する”なんだ~~、
”希望”も”自愛”なんだ~~、
こんな風に、”愛””愛する”を理解しただけると
私がいつもブログで書く”自愛”するの捉え方をよりわかっていただけるかなと思います。


そして、この”希望”の意味ですね。
国語辞典であったり、私たちが社会で使ってきている意味の多くは、
「こうなって欲しいと願うこと」という未来への望み・要望で使っていることが多いと多います。
そういう使い方から、未来への大きな夢や目標に向かって進むこと、
つまり「がんばる」のスイッチをいれないといけないと思っている方も多いのではないでしょうか?

がんばってやることで、希望を得る。
がんばりが超過すると、楽しくなくても、希望が叶うまでただやり続ける。(続けさせる)
がんばりすぎていても、希望が叶うまでもっともっとやり続ける。(続けさせる)
こんな風に、希望の影には、山登り精神・達成精神という反”愛”で追いこむ、そんな側面も出てきます。


神様的に言うと、これは”希望”ではありません。
偽”希望”。
もっと言えば、自分の頭の”姑”的考え、親や上司ひいては社会の”姑”的考えで
「上へ上へ」「もっともっと」と何かと誰か比較して”希望”という言葉を使い「やらせている」、
そんな感じです。
わかりやすいのは、「あなたは私の希望だから」なんて言葉ありますよね。
一見、甘くなんだか耳ざわりのいい言葉のように思いますが、過度の期待からの「やってくださいね」という拘束・支配・コントロールとも捉えられます。
「期待」からのコントロール、自由とは反対ですから、これは”愛”ではないわけです。
(ただ本当に純粋に「宝物」という意味での”希望”はOKですよ❤)


こんな風に”希望”というのは、すごく響きの良き言葉そうに見えて、
その言葉の奥にある心によっては、”愛”ではなく、拘束や支配、反”愛”になってしまうのです。
自分が自分に対する希望で、自分を拘束、自分を支配することにもなります。
自分が人に対する希望で、人を拘束、人を支配することにもなります。
”希望”は思う人の心によって、本来の意味とは違うことになるのです。

 

 


では、私が神様から聞いた”希望”とは?

 

 


難しい言葉でなくって、わかりやすく教えてくれ~~~とお願いすると、
わかりやすかった。

 


明るいもの★

 

 

 

この明るいものは、光っているもの、そんなニュアンスもあるようです。
”希望”とは、「明るいもの」。


宇宙の”愛”のエネルギーは重く暗くなく、明るく軽く光っています。
私たちも、その宇宙の”愛”のエネルギーの一部なのですから、
同じように明るく軽く光っている。


私たちみんな、明るく光っている。
私たちみんな物質ですが、くだいてくだいて量子レベルにするとただのエネルギー。
だから見える人には人のオーラも見える。
みんな明るく光っている”愛”そのもの。
宇宙からすると、明るく光っている”愛”の一部。


私たちそのものが、宇宙・神様からすると、

”愛”のエネルギーでできた明るく光っている”希望”なんですって^^

 


私たちそのものが明るい”希望”。
私たちそのものが”希望。”
そもそも、私たちは”希望”なんです、神様視点では。
生まれながらの”希望”なんです。神様視点では。

もっと言うと、
わたしたち一人ひとりの存在自体が”希望”なんです。
あなたの存在は、先天的に”希望”(明るいもの)なんです。
あなたのの存在は、”希望”(明るいもの)そのものなんです。
(”希望”も”愛”の中の一種類と説明しましたが、
 置き換えると、自分の存在は”愛”そのものなんですとなります。
 あなたの存在そのものを肯定することは”自愛”ですと重なりますよね。)

そもそも存在自体が生まれながらの、先天的に明るい”希望”なのですから、
後天的にあなたが何をやっても明るい”希望”です。

そもそも”希望”なのです。
生まれながらの”希望”なのですから、
あなたがあなたらしく、
あなたがあなたがしたいと思ったことを、心に来るものを、
あなたの直感し従って、
あなたの心が向く方向に敏感に、
あなたの魂の親の神様からの合図と共に歩んで行けば、
あなたの未来は自然と明るい”希望”のあるものになるのです。


自然と明るい未来はやってくるのです。
そもそもあなたが”希望”なのですから・・・・


先天的に存在自体が”希望”のあなたが、後天的に何をやっても、”希望”になります。


その反対に、
先天的には”希望”なのに、
生まれてからの後天的な環境において、
自分で自分を否定したまま、自分は”希望”という”愛”の存在ではないと存在を否定したまま、
後天的に何をやっても明るい”希望”になれません、来ません。明るい存在にはなれないということなのです。
今、明るい”希望”でなはいけれども未来はなんとかなるとか、自分の存在を否定したままで未来もこの考え方だと未来に憧ればかりで明るい”希望”はやってきません。
算数で、マイナスに何を掛け算してもマイナスのまま、というのと同じです。

 


存在自体を”希望”ない(”愛”でない)と否定したまま、
”自愛”をしようとしたり、やりたいことをしようとしても、
反”愛”のエネルギーであれば、宇宙の”愛”のエネルギーと同調できず、
なかなか物事が進まなくなり、”愛”のお勉強をしてくださいというトラブルとも思えることが現れて、そういう人ほど被害者意識が強くなったり不幸体質だとすねたりしてしまいます。

 

 

そもそも”希望”なのですから、無理に”希望”を見つけなくていいんです!!!

 


将来に大きなことをするのが”希望””夢”というこの社会の”姑”が創り出した”希望”に惑わされないでください。何か目標を持って何かを達成することが”希望”ではないのです。


あなたがあなたらしく生きるということは
”希望”であるあなたが、
”自愛”(自分を楽しませる・自分を幸せにする・自分を喜ばせるなど)をかみしめながら、味わいながら
あなたの魂の親の神様のくれる合図から來る心が明るくなる(ちょっと気になる・ワクワク・嬉しいな・やりたいな・ほっとする)”希望”の方向に進むこと。


そうして、明るく光る”希望”の存在であるあなたが心明るく夢中にやっていれば
結果として、「何か大きなことができていた~~」という風に足跡が残っていきますから。
一歩ずつは、小さな一歩の場合でもいいのです。
例えば、「映画見たいな」「コーヒー飲みたいな」、こんな「・・・・したいな」というこの小さな心のひらめき・引っ掛かりからでいいいのです。資格を取らないととか、何か形として大そうなことをしないでもいいのです。(資格を取る勉強も楽しそうだし、資格を活かしてイキイキと活動するなら資格をとってもいいですけどね、しなければと取るのならそれは無理やりです)
小さなことでもいいのです。魂の親の合図からの心から「したい!」とすることで、わらしべ長者のように、いつの間にか大きくなって、「そういう意味だったのね」と過去を振り返るとわかりますから。
「何かをしないと!」という意気込みがすでに”姑”の頭の発想なので、
「え、こんなこと?」という肩すかしのようなことが1歩でいいのですよ。
みなさんがやろうと思われることが、すでに大きいですよ~というのが多いですから>< 「先ばかりみて、今を楽しめますかそれ?」ってなると本末転倒です。
今すぐに、今のあなたでできるようなことでしか、神様は合図を送ってきません。

 

 

大きな”希望”を持たないといけない!って焦らないでください。

何か大きな”夢”を持たないといけない!って焦らないでください。


花は時期が来れば咲くのと同じなのです。
咲かないからと言って、余計なことをすると、より遅れたり、花を咲かせられなくなります。 その時は必ず来ます! それまで、“自愛”をコツコツしておく。
待つというよりも、”自愛”を心がけて毎日を過ごしていたら、「あ、その時来てたわ~」という感じです。


焦ったり、”姑”の頭を使ってフル回転して探そうとすると、反”自愛”に入っていきますので、
本当のあなたが雲っていって、どんどんとあなたが出てこなくなります。
頭の思考癖の塊である”姑”主体として生きることになります。
すると、より焦って、ますますあなたが曇っていって、
そもそも「明るい存在」である”希望”が、どんより人形みたいになっていきます。
「もっと上に!もっと!」という偽”希望”を追いかけてしまうと、
”希望”の存在であるあなた自身・あなたの心をつぶしてしまう恐れもあるのです。

 

 

 

あなたが自身がそもそも”希望”なのです!

そして、みんなもそもそも”希望”なのです!


あなたがあなたらしく「したい」を少しずつやっていくことで、
先天的”希望”のあなたが、後天的にもっと”希望”存在としてのあなたは光っていきます(オーラが強くなる)★

 


花はタイミングがありますからね、くれぐれも焦らないように!!

 


”希望”の光が、世界に広がってく「令和」になりますように祈って♪                                                                                                 寧楽感恩

 


”希望”の子が何をやっても”希望”です。by.自分の神様より