はひふへほっ。 笑う門には福来たる

~視えない世界にアプローチ、”愛”と”調和”の宇宙の法則で、地に足つけてみんなで幸せ❤~

それも自分”見下し”が原因。”自愛”しているのに強烈キャラが出現する理由。(後)

前回に続いて書いていきたいと思います。
まずおさらいから。

 

基本的な宇宙の法則の考え方として
自愛すると、慈愛される(自分も愛される)
慈愛すると、慈愛される(自分に愛が返っくる)
だから、自分が愛されることには、まず”自分を愛する”ことを大切にということです^^

そして、“自愛”の土台をつくりながら、
”自愛”しているのに、こういう強烈なキャラからの影響が止まりませんという方からの質問がよくあるので、
この2点が自分の中に当てはまる部分がないかを振り返ってみてくださいという内容で
前回から書いています。


1点目、あなたは被害者意識のままでいませんか?
     あなたは拗ねてたり、いじけていませんか?
    (”自愛”の土台の部分に対しての確認)

2点目、自分を見下していませんか?
    自分をパワハラしていませんか?
    自分を癒せていますか?
    (一言で”自愛”してますか?と言う確認)

そしてこの2点目に対しては、
①過去の自分に対して
②現在の自分に対して
過去と現在の2つの時系列でわけて見ることが必要ですとお伝えしました。

前回の「過去の自分」に対しては、
A.【過去の自分】を見下していませんか?(”自愛”が出来ているか?)
B.【過去の自分と同じような相手】を見下していませんか? (”自愛”と“慈愛”が出来ているか?)
このA.とB.の2つで見ていきました。


では、「現在の自分」に対しても、
C.【現在の自分】に”まだまだ”と要求して、自分の敵になって見下していませんか? (”自愛”が出来ているか?)
D.【現在の自分】にイライラ”つっこみ”をさせて相手を見下していませんか? (”自愛”と“慈愛”が出来ているか?)
前回のA.B.に続いて、C.D.としてこの2つを見ていきたいと思います。


 

★C.【現在の自分】に”まだまだ”と要求して、自分の敵になって見下していませんか?(”自愛”が出来ているか?)


最初、「【現在の自分】に”まだまだ”と要求をしないで、自分の味方になって癒していますか?」と書いたのですが、
よりはっきりと伝わるように、書き換えました。意図が伝わると嬉しいです。

ここで書いた”まだまだ”要求している というところに着目してほしいのです。
自分が”自愛”をしていると思っていても、あなたの神様からすると、ちょっと足りないという合図です。

・”まだまだ”人と張り合って・比べて、競って戦って いる→神様から見たら
・”まだまだ”と自分をがんばらさせている→神様から見たら
・”まだまだ”人の目・人がどうしているかを気にして、自分だけ集中していない→神様から見たら

こんなふうに、
土俵に乗ったままだったり、
人の世界に入りに行って他人軸になりやすかったりと、
”まだまだ”自分をがんばらせている、
自分の頭の”姑”が、自分を無理矢理がんばらせている状態ですね。これらは癖なのでまだ残っていても焦らないでゆっくりやっていけばいいのです❤

これだけでも、息苦しい感じですよね。
それなのに、更にその上 、自分の頭の”姑”が自分を見下して、”自分にダメ出しをする””自分を責める”という自分パワハラをやってしまうと、

「”まだまだ”がんばってやらせていますよ。プラス、自分にパワハラしてますよ。」というお知らせで、
あなたに「”まだまだ”やってください!」「もっとやりなさい!」的という強烈キャラやあなたに「パワハラ」をしてくる強烈キャラが登場します。
ある意味、ちゃんと思ったことは現実になるということで、宇宙の法則でブーメランしています。

あなたが、この神様からのお知らせを無視すれば無視するほど、
強烈キャラの度合いが強くなり、最後にはボスキャラか?と思わるような相手に遭遇します。(日常生活に今いる方かもしれませんし、これから出会う方、時々で違います)

 

 

自分を愛すれば、
相手からの愛が返ってくる(愛される)、の宇宙の法則のブーメランの法則。

でも、今このブーメランの法則が、

自分の頭の”姑”が勝負の世界として自分を戦わせると、
あなたに戦いをいどむ人が現れる。

自分の頭の”姑”が無理矢理に自分をがんばらせると、
あなたをよりがんばらせる人が現れる。

自分の頭の”姑”が自分と他人を比較して勝とうとすると、
あなたを敵視するほど比較して勝とうとしてくる人が現れる。

自分の頭の”姑”が人の目を気にして「やらせて」いると、
あなたに評価を気にしてあなたに「やらせる」人が現れる。

自分の頭の”姑”があなたにダメ出しすると、
あなたにダメ出しする人が現れる。

自分の頭の”姑”があなたを責めて見下すと、
あなたに言葉や態度で責めたりパワハラしたりする人が現れる。


「ブーメランしていますよ~~~」という神様からのお知らせとして現れる。

ブーメランしてるのはわかった、だったら上の逆をしたらいいわけです。
でも、意外と思いつかない場合もあると思うので対処法を書いてみます。


■対処法

頭の中の”姑”(社会通念・親の価値観・社会の成功論などの刷り込まれた思い込み)がブーメランの火種なわけですから、
この”姑”がしている逆ことをすればいいのですよね。
それこそ、神様の知らせたい”自愛”なのですから^^

そんなあなたには!

「自分の味方をしてあげましょう!
 自分を癒してあげましょう! (褒めてあげましょう!)」
という”自愛”をしてあげましょう。

 


自分の頭の”姑”が自分にいつも厳しく、自分を裁いていては、24時間自分の中に敵がいるのと同じ。
自分が自分の味方になってあげないで、世界のどこにあなたの一番の味方はいるのでしょうか?


自分で自分を癒さないで傷を広げていては、死んだように生きているのと同じ。
自分で自分を癒し、自分を認めて、褒めることをしないで、世界のどこにあなたを癒し認めてくれる人はいるのでしょうか?


自分の味方になって、自分を癒してあげて欲しいのです❤


●自分の味方になって
●自分を癒す(褒めでもOK)
この2つですよ。敵になって自分を責めたり攻撃してはいけないんですよ。
また、人に見方になってもらいたい癒してもらいたいなんて思っていては、
いつまでたっても「求めて待つ」ばかりになりますよ。


もう少し言葉を変えると
●自分の味方になって⇒共感してあげて
●自分を癒す ⇒自分をねぎらう
こうなります。

言葉で自分に言うとなれば、
”つらかったね~、よくやったね~”(共感+ねぎらい)でもいいし、
”もうがんばらないでいいからね。”(共感を言葉にしないでも心で共感してねぎらいの言葉)でもいい。
どちらでもいいのですが、とにかく自分に共感(心に寄り添う)して、癒す(ねぎらう)。


以上のように、対処の根底にある理屈と考え方をわかっていただいた上で、
例えばセッションでよく聞かれる大きな3つのパターンを紹介しておきます。

①≪責め≫
 「こんな自分はダメだ!」
 「こんな自分は嫌。認めたくない!」
 →自分の頭の”姑”が自分を責めています。
  自分を勝手にダメと決めて、責めない
  自分を嫌で認めたくないと自分の存在を否定するように背めない
 →だから人から責められる現実がやってくる

②≪比較≫
 「みんなと同じくらいできないとダメだろ!」
 →「どうしてできないんだ!」と自分にパワハラしています
 →だから人からパワハラされます

③≪頭の”姑”からの禁止と命令≫
  「そんなことを思ってはだめ!」
  「(頭の”姑”で考えて自分の心を放置して)あれしろ、これしろ!もっとしろ!」
→”姑”からの禁止と命令で自分の心がどこかに行っています
  思う自由という”自愛”があるのに思うことを禁止
  やりたくないのに無理に仕方なくやらされる
→”姑”サイドに立って、自分が自分の味方になってないので、人からコントロールが入ります

①~③は、いつも結局頭の”姑”の声です。
自分を責めたり、自分が恥ずかしいを思ったり、自分を見下げさせるのは、
”本当の自分”ではありません。この”姑”トリックに気づいてくださればと思います。
生まれもって自分を責めたり、恥ずかしいと思ったり、自分を見下げて生まれてくる人は一人もいないのですから❤

 


次にDを書きたいと思います。
★D.【現在の自分】に他人へのイライラ”つっこみ”をさせて相手を見下していませんか?(”自愛”と“慈愛”が出来ているか?)


人を”見下す”という意味では、前回のB.と少し重なる考え方のところでもありますので、
まずB.の【過去の自分と同じような相手】を見下していませんか?(”自愛”と“慈愛”が出来ているか?)も読んでみてください。

しかし、B.とD.との違いを説明すると、強烈キャラは同じように登場しますが、
過去の自分を同じような相手を通して「そんなふうだった過去の”自分”を見下げず、そんな相手を”慈愛”しましょう!」というB.の神様が伝えたかった”自愛”へのお知らせだとすると、


今回D.の場合には、
「また同じことをしでかして!」
「なんど言わせてたらわかるのよ!」
「いつも機嫌悪いのをこちらにあたって来ないでよ!」
「やっぱりまたやらかして!」 
こんな感じで、過去の自分と同じような相手が対象でなく、
反復でなんでかやらかしてしまう相手から気づいて”自愛”と”慈愛”を学ぶということです。


過去の自分と同じようだと思って相手を”見下げる”という過去の自分を投影するパターンではないですが、
「なんでやねん!」とイライラつっこみを入れたくなるようなことが繰り返してやってくる時です。カルマ~とか、霊的なものが~などと、言い訳で持って仕方なくやりすごしている人もいるかもしれませんが、カルマも霊的なものも、今世でいるあなたがあなたの神様の求める”自愛”と”慈愛”ができれば、あなたの知らない間に「終わっている」という状態になります。

 同じ人に毎回「なんでやねん!」と言いたくなる、
初めて会った人なのに「なんでやねん!」と言いたくなる、
これはどちらの場合にもあてはまります。

 

 

単純な相手のミス、失敗、予定や期待以外のことが起こった時、
相手の機嫌が勝手に悪い時、
あくまで相手主導で、自分が直接的にやっていない、
自分でなんとかできたりコントロールできる範囲以外にある場合と言っていいかと思います。


相手がすでに機嫌悪いのは自分のせいでもないし、どうにもできないし・・・・
相手がミスをしたのは、もうなってしまったので時間を戻せないし・・・・

 

 では、
Q.どうして「なんでやねん!」とイライラ”つっこみ”を入れたくなるような強烈キャラが現れるのか?
(私自身、母は脳腫瘍があるため軽い認知症&うつ、父は発達障害、毎日が「なんでやねん!」パラダイスですので、そんな気持ちがよくわかります。今は、「なんでやねん!」だけで、イライラ”つっこみ”はだいぶなくなりましたが^^)

 


そんな風にほとほと困っていた私に神様からの温かな答え。

「”自愛”から“慈愛”に進めておめでとう!
 イライラ”つっこみ”を入れたくなるような反復が続くのは、”慈愛”への学び。
 機嫌の悪い相手が出てくるのは、まわりがどうであれ自分の機嫌は損なわないという、”自愛”への学び。」

というこんな理由があるからだということでした。

 


1つ目の、 イライラ”つっこみ”を入れたくなるような反復が続くのは、”慈愛”への学び。
イライラするような相手のミスに出あったら、
「なんでやねん!」と相手を責めず、相手の心に寄り添って、
原因を分析をして、対策を立て一緒にやっていくという”慈愛”。

これは、自分が自分に対して同じように
自分をミスしたら、自分を責めず、自分の心に寄り添って、
原因を分析をして、対策を立てるという”自愛”が出来て、
はじめてほんとうの意味で人にも同じようにできるようになります。

逆に、頭の”姑”がいつまでたっても、失敗・ミスする自分を責めたりと、
自分の頭の”姑”がいつも自分の上司のように見張って、逐一厳しく裁く状態の反”自愛”が
習慣のままでいると、それを他の人に対してにもしてしまう。反”慈愛”をしてしまうんですね。


だから、自分に対するように、相手にも対していきましょう。
そして、相手に寄り添い、責めないでお互い様と心の大きく持つことの”慈愛”を学ぶこと、
そういう意味が強烈キャラ出現にはあるのです。
でも、人には、限界がありますので、あなたが無理しすぎるようならば反”自愛”になってしまいますので、
そのラインを見極めることも必要です。例えば、人にSOSを出すなども一つの手ですね。


■対処法として
イライラ”つっこみ”を入れそうになったら、
「やったな!」という事実認証だけで、それ以上何も考えない!
考え出すから、いろいろとイライラ”つっこみ”が頭に展開していき、
頭が爆発してしまいます。所謂、頭に血が上る状態になります。
連想ゲームのように、自分でイライラを膨らますのはやめましょう。
その相手が次にミスしないようにというよりも(失敗をさける対策よりも)、どうしていけばいいか?分析・対策をすることだけにエネルギーを使っていきましょう!

 

 

 

そして、2つ目の、
機嫌の悪い相手が出てくるのは、自分の機嫌は損なわないという”自愛”についての学びについて

「自分の機嫌は自分でとれ」とはよく私もお話をするのですが、
人の機嫌はどうすることもできません。

人の機嫌を悪くするといけないからと他人軸で反”自愛”で生きていた人は、
相手の機嫌までなんとかとろうとしてしまいますよね。
これでは、いつも疲れてしまいます。


冷たいようですが、
「人の機嫌は人のもの」。
あなたには何も関係ありません。

けれども、あなたがその相手の機嫌の悪さを伝染病のようにもらってしまったり、
また相手の機嫌の悪さに振りまわされて しまうと、心を乱すことになり、
結局は、悪い機嫌の影響を自分に与える反”自愛”になってしまいます。


誰だって、相手の機嫌の悪さを当てられると、いい気分にはなりません。
でもそんな時こそ”自愛”なんだと気持ちを切り替えて、
相手に影響されないように、心で線を引いてみてください。
「相手の機嫌は、相手のもの」と思うだけで、かなり変わります。

そりゃ、“慈愛”の達人になれば(私はなりたい^^)、相手の機嫌もよくできるかもしれませんが、
あくまで”自愛”が先でいいですからね。
自分の機嫌が悪いのに、相手の機嫌をとるなんて、まずできませんから。


■対処法として
「なんで機嫌が悪いのよ!」とか
「どうしていつもあたるのよ!」とか
「そんなあなただからまた嫌なことが起こるのよ!」とか
どんどんと相手を責めたくなる気持ちもわかりますが、
そこは上で書いたように、「人の機嫌は人のもの」。

”見下げる”ように相手を責めると、また自分を責める人が返ってきます。(やってきます)
だから、ただ「機嫌悪いんだな~」とただ単に察知だけして、一緒の土俵に上らないこと!!行動で無視するとかではなく心で放置する・そっとしておくとも言えると思います。慣れるまでは、どうしてもひっかかってしまう気持ちもわかりますが、「人の機嫌は人のもの」で、自分の機嫌まで悪くするのはNGなのです。

「機嫌が悪い」人の多くは、”自愛”の土台があまりできておらず、自分が不幸をしょっているように感じていて、被害者意識からの不満、不満からのすね・ひがみ・腐りですから、その根底の部分まであなたがなんとかしてあげるということはできないからです、本人の変わりたい意思があれば別ですが。

あなたは、自分の機嫌を自分で守る”自愛”をやっていきましょう!

 

 

 

★今日のまとめ★

”自愛”しているのに強烈キャラを出現させる神様の理由;

現在の自分に対して
1.自分の味方になって、自分を癒しましょう!(”自愛”)

2.人にイライラつっこみを入れないで、自分の機嫌を守りましょう!(“慈愛”と”自愛”)

この2つの”自愛”と”慈愛”に繋がる”気づき”のため。
すると、あなたからの”愛”が宇宙の”愛”の波動と同調
何かしら変化があったり、神業が起こりますから。

                      寧楽感恩