はひふへほっ。 笑う門には福来たる

~視えない世界にアプローチ、”愛”と”調和”の宇宙の法則で、地に足つけてみんなで幸せ❤~

誕生日には”自愛”から❤

先日、誕生日を迎えて(大坂なおみ選手のおじい様と同日とはビックリ!)、
メッセージなど頂戴して、
1人でがんばるもん教で山登りの毎日だった一昔前の私では想像できない現実だと感謝でいっぱい、嬉しさでいっぱいで、
「自愛すれば慈愛される
 慈愛すれば慈愛される」
という教えを実感しているところです。

どうも私の命の応援をしてくださり、ありがとうございます!
この場を借りて、再度の感恩をお伝えしたいと思いました^^

今年、44になってしまった(私の気持ちでは34歳くらいのことしかしていない)のですが、
数字を見て若干、「4は幸せというけど、44のぞろ目か~~」と。
すると、浮かんできたのが
”for me❤、for all❤ ”
44ってじあい爆発の年ではないかと!!!

ということで、
同学年の44のみなさんは、特にダブルじあいに一緒に取り組んでいきましょう^^

 

 

誕生日と言えども、
「どうして生まれてしまったの?」
「こんな思いをするなら生まれなければよかった」
「なんで産んだの?」
「生まれることが奇跡って言われても」  などなど
生まれた環境や、過去から今における状況で、
素直に自分の誕生日を喜べない人もいらっしゃるのではないかと思うのです。

人から祝ってもらってもなんだか本心では喜べない、虚しさを覚える、
自分の命への疑問や責め、
自分自身に向き合えば向き合うほどそういう”負”の波動を発生する考え方の中の反“自愛”が出てくる時期もあると思います。


私もその気持ち、よ~~~くわかります。
そんな時には、本当の自分の心に蓋をしないでいいのです。
「なんで生まれたんや!!!」とちゃぶ台をひっくり返すように爆発していいのです。(でも、人に言ったり当たったりするのでなく、一人でやってください)
”本当の自分”に対して、
「でもね生まれたから喜ばないといけない」とか
「でもね、生まれたからにはいいことがあるから」とか
「生まれたのは何か使命があるから」とか
「産んでもらったんだから感謝しないといけない」とか
「幸せになるために生まれたんだから、がんばりなよ」とか
「生きたくても生きられない人もいるんだから、恵まれているよ」などなど、
こんな風に思わなくっていいのです。
自分を抑えつけないでいいのです。

生まれたこと自体を喜べとか、
人と比べたら命があるだけ恵まれているんだから感謝しろとか、
人間幸せにならないといけないんだとか、
使命があるから生まれているんだとか、
これらは全部、頭の”姑”が”本当の自分”に説教している・納得させようとしているのと同じなんです。
(宇宙の法則で言うと、自分が自分に説教をすると、自分に説教をする人を引き寄せる。自分が自分を納得させるようにすると、自分をコントロールしようとする人を引き寄せるという現実を引き寄せることになります。)

理屈を言われて理解はしている、 ⇒”姑”の言うことは理解してる
でも心はついていかない。            ⇒”本当の自分”はNOと言っている。

心がついていかない時には、”本当の自分”は「そうは思えません!、私は違うの~~~~!!!」と
声を発しているのですから、この声を十分に聴いてあげることが本当の意味での”自愛”です。
それなのに、途中で「そんなことは思ってはいけませんよ」的に頭の中の”姑”が話し出すと、
”自愛”が中途半端になってしまうんです。

やろうとしていた”自愛”が反”自愛”にシフトしてしまうんです。
だから、出せるものは出し切る。体の仕組みもそうなっていますよね。
心も同じです。まずは出し切るのです★


そんな風だと、
人から見れば、ものわかりが悪いことが”自愛”になるのかもしれませんね、角度を変えてみると。
”本当の自分”の声は、いい子・いい人・いい大人である”姑”の要求とは違うからです。
だから、誕生日だと言って、”本当の自分”が自分の命を素直に喜べない時には、
その自分に付き合ってあげることこそが、”自愛”でお祝いになります❤


誕生日当日、神様に聞きました。
Q.誕生日って何する日? 


A.感謝を自分にしろ! 
  お前がどれだけ頑張ったか、どれだけ苦しんだか、自分が思っているより遥か上を言っているのだぞ。感謝は祈りとなって、お前の知らない世界に到達する。


おじいさんの私の神様は、ちょっと偉そうに物を言います。前後いろんな言葉があったので、ここだけ抜粋をしましたが、最後の一文は少し意味ありげな感じの言葉でした。
でも、誕生日に何をするかは、

 

 

「自愛しろ!」 です。

 その「自愛」の中でも「自分に感謝」のようです。



この自分に感謝って何に感謝するの?と思うと思います。
ここでいう自分に感謝というのは、


慰労・ねぎらいを込めた感謝


ということだそうです。

・今現在への慰労・ねぎらいを込めた感謝

・今までの自分への慰労・ねぎらいを込めた感謝
という、「今」「過去」の両面。


これはすべて自分が自分に掛けてあげる言葉。
例えば、
「今まで生きてくれてありがとう❤」
「・・・・ことあってつらかったね、よくがんばったね❤」
「自分を大切にしようとしてくれて、ありがとう❤」
「もうしんどい、嫌!と思っても、耐えてくれてありがとう❤」
「あんな環境の中でも、よ~~~~くやってきたね。ありがとう❤」
「”愛”の足りない周囲で苦労したね。つらかったこと、よ~~~くわかっているよ❤」
「痛いところが出てきても、それでもよくやってくれたね、ありがとう❤」
「喜べないのに無理に喜ばないでいいよ。そんな私でいいからね❤」
などなど、

”本当の自分”の声に対して、どんな言葉であっても、
無条件に受け入れ聞いてあげて、
「よくやったね」「がんばった」などの慰労・ねぎらい、
「ありがとう」の感謝する。


これが本当の お誕生日の自分が自分にできる”自愛”の祝辞だそうです。
自分にプレゼントを買うもいいかもしれませんが、
”本当の自分”が悲しんでいるのに、プレゼントを買ってもその場しのぎにしかなりません。物で自分の心を釣ろうとしての、何の解決にもなりませんから。

それよりも、
自分自身が生まれたことを素直に喜べない時には、
生きることに疲れてしまって喜べないんだなと理解してあげて、
”本当の自分”に毒を吐かせてあげるのが先なのだと思います。


”本当の自分”の心に寄り添う
   ↓
”本当の自分”に本音を出させてあげる
   ↓
慰労・ねぎらいの言葉を掛ける
   ↓
感謝の言葉を掛ける


まとめるとこんな誕生日の”自愛”ですね。
こんな風に自分にできるようになると、自分以外の人にもできるようになります。
すでに、自分以外の人にはやってるわ!と思う方もあるかもれません。
まずは、自分からやってみることが大切です★

 

 

自分の誕生日を自分で祝えないこと、
すごく悲しいことに見えるかもしれませんが、
”自愛”の通過点なのですから、何も悲しむこともありません。
そういう時期もあっていいではないですか^^

いつか「そんな時もあったな~~」って日が必ず来るから大丈夫❤

 


寄り添って、癒して、愛に戻る。


それが”自愛”、愛の自分に戻ること。

 

誕生日にこそご”自愛”を❤

 


『4 me, 4 all』
『for me(自愛), for all(慈愛)!』
これからもみなさんが自分らしく命を輝かれますよう応援します❤
あんど、今年も宜しくお願いします。

                            寧楽感恩