はひふへほっ。 笑う門には福来たる

~視えない世界にアプローチ、”愛”と”調和”の宇宙の法則で、地に足つけてみんなで幸せ❤~

我慢ポイントがわからない人へ(4)

 

お待たせしました!
4回目の「我慢ポイント」記事になります。
4回目ということは、その間3か月ほどあったわけですが、
我慢していたポイントが見つかってはいますか?
記事を読んでもらって、実際に日常生活の中でやっていただけてこそですので、
ぼちぼちとやってみてくださいね^^無理は反”自愛ですから。

 

我慢ポイントってなんだ?
言葉的に平易にすると、自分が我慢しているツボです。
自分が我慢しているツボって、どこにあるの?ってことです。


それを自分に問うというのは、
”我慢”はどんな気持ちと共にやってくるか?と考えてみること。
我慢のツボを自覚するためには自分に向き合うことになるのです。
そういう自分と向き合う”自愛”をしながら、読んでみてください。
(去年あたりからずっと書いている一連の流れを見ていただくとヒントにもなると思います。)

我慢ポイントが現れる時は、
我慢だけがやっては来ません。
自分が先に何かを「思う・感じる」があって、我慢も一緒にやってきます。
だから、我慢を知らせるために我慢と共にやっていくる気持ちを追う方が我慢ポイントが見つけやすいわけです。


それは、ブログで書いてもいますが、我慢を知らせるために、我慢と共にやってくる気持ちとして、
我慢が現れる前には、不平不満があり、
不平不満が現れる前には、すね・ひねくれ がある。
すね・ひねくれ の前には、被害者意識がある。

被害者意識のままでは、どんなに愛をもらったとしても、
すねてるんですから、「そんなんいらんわ!」とすねる子供と同じ心になっているので、人からの”慈愛”はもちろんのこと、感謝の心なんか湧いてもきませんし、
自分で自愛をしようとしても、受け取らないようにしてしまう。
”自愛”も”慈愛”も受け取れない自分を自分で作ってしまっているんですね。
つまり、被害者意識から我慢まで連鎖する反”自愛”の心を放置しておくと、
宇宙の”愛”の波動と逆行することになり、益々状況や心が苦しくなりますので、
”愛”するために被害者意識から抜けた方がいいですよとブログでは過去にも書いてきました。

ざくっとまとめると、
”愛”を受け取れるようになるために、被害者意識をやめていきましょう!ということです。
もう少し砕いて書くと、
被害者意識 → すね・ひねくれ → 不平不満 → 我慢 
こんな一連の心の動きが起こっています。
だから、被害者意識の「になる”我慢”を見つけると、
被害者意識に連鎖するいろんな反”自愛”の心・感情が現れなくなりますので、
我慢ポイントを自分でわかっていきましょう!ということです。

”我慢”に至るまでには、上に書いたような
この反”自愛”の心・気持ちの流れがあるんです。
この反”自愛”の心・気持ちは”負”の波動を発生する考え方・捉え方ですから、
神業がなかなか入ってこないか、引き寄せが起こりににくく逆引き寄せばかり来る ってことがわかると思います。
だから、この反”自愛”の心・気持ちの流れを頭に入れておかれていると、”我慢”の種を見つけるため、
「不平不満を言っている!」と自覚したら
「なんかすねてる気がする!」と自覚したら
「被害者意識になっている!」と自覚したら
我慢をしている何かがあるという合図ですから、
我慢ポイント探しがしやすくなると思います。

 


最近、なぜ我慢ポイントについて書いているのかを、おさらいしてみました。
我慢ポイントのテーマばかり~~~と思われている方には、
我慢いっぱいで爆発しそうな方には、
楽しくない内容かも知れませんが、と~~~っても重要なことです★★★
”我慢”している自分の考え方・捉え方に気づくこと、
つまり反”自愛”(頭の中の”姑”)をしている自分の考え方・捉え方に気づくこと、
それが「気づき」であり、あなたがよりあなたらしく生きるために魂の親からの自分の宇宙の”愛”波動と同調できる重要ヒントです。



さて、今日の我慢ポイントを知るためのヒントはと言いますと、
今年元旦に私個人に神様に今年のテーマと言われた言葉と同じです。
ヒントは、昨年秋に33年ぶりにお会いした小学校の先生(母の仕事の関係で突然家に来られてびっくり!)から
妙に心に残った(これが神様からのメッセージ)言葉で、
「まさみちゃんは、いつも何でも●●を目指して、弟のたいちゃんはまったくその正反対で楽しい子でしたね。」の中の●●です。

「あら先生、そんな風に思っていらしたのね!」とびっくり、
「私はやっぱりそんなに小さい頃から周りからも●●と思われるほど頑張ってたんだね」とまたびっくり、
●●を目指していたから苦しかった自分を神様から指摘をされて、
「●●を目指さない!」を”自愛”としてやっていることに感慨深く思いました。

 


●●は、なんとなくわかりますよね。
そう 「完璧」です。
我慢ポイントがわからなくなる理由のヒントは、「完璧」が習慣になっている。
私もずっとそうだったように、同じような習慣になっている方も多いはず。


私のことでいうと、わが家の教育方針は
「(完璧を目指し)どんなことも一生懸命しなさい!」でした。
でも、両親共に教師だっだので、まあ家庭でも先生の監視にあっているようで、
両親は一生懸命を教え叩きこもうと一生懸命で、疲れる家族なわけです。
両親は、結果があがるほど、成績があがるほど、できるほど、
もっとできるもっとできると、要求が強くなっていき、
一生懸命することは、「夢中」でもなんでもなくって、我慢からの「忍耐」でした。
両親は完璧を目指さなければ気がすまないので、
学生時代、1点落ちるだけで、正座を2,3時間の説教は当たり前、「さぼった」とみなされビンタをくらうことも・・・
そのお蔭で、根性だけはとんでもなく付いてしまいました。
発熱や痛みが生じても両親には怒られましたので、「さぼった・なまけ」たと言われないように、体に心にムチもうっていました。
でも、一生懸命にやっても、完璧になんてできないんです><
(そんな私は、国体やインターハイも出場していたので体育で進学したと思われていたり、書道は書道で専門として大学院まで、そして2度の留学費用も自力で、語学も日本語以上に2か国語をビジネスで使えるレベルまで習得し、日本一と言って過言でない書道の先生に呼ばれて編集長や秘書な役目をしたりと、文武両道でなければならないという両親の教えを基に、とんでもない忍耐や根性でやっていたのです・・・・><  
人の5倍もやれば成績はついてきますので、体・心を犠牲にした反”自愛”で自分を酷使していました。だから、いろんなガタが30代で沢山出てきたわけです)


この「一生懸命」は、本当に落とし穴です。
「夢中」でやるのと
結果優先の「完璧」を目指して一生懸命に必死でやるのとでは、
自分の体や心、エネルギーに与える影響は全く違うのです。

「夢中」・・・我を忘れて、時間を忘れて楽しむので”自愛”
「一生懸命」・・・自分を犠牲にして、必死で完璧を目指さなければならない<have to>なので反”自愛”、私なんかは一生懸命にしていないと受ける体罰が怖かったということもありました

「夢中」「一生懸命」、”自愛”反”自愛”ですからね。
こんなつらい思いで反”自愛”の人生になると、「幸せ」から自分で遠ざかってしまうので、
私のような方もあるのではないかと、特に私の世代には多いのではないかと、
拙ブログを自分の経験を恥をさらしながら書いているわけです。


こんなふうな生活環境下で
「一生懸命」が普通になっていると、
我慢ポイントがわからなくなるのです。
だって、「一生懸命」「完璧」を求めることが普通になってくるのですから・・・
「適当」に「完璧」にやるという言葉は聞いたことはありませんから。


だからこそ、<have to>完璧を目指す「一生懸命」がちょっと苦しくなっておられる方に、是非是非伝えたい言葉です!私の神様が年始に、「もっとやれ!」と言われた言葉です。
ちょいと散漫がちにヒントを書いてきましたが、そろそろわかってこられたと思います。

 

 

 

 


そう、今日の我慢ポイントがわからない人へのアドバイスというと?

 

 

 

 


しっかりしない
ちゃんとしない

 

 

 

 


しっかりしないと、ダメ。
ちゃんとできないと、ダメ。
しっかりできないと、大変だよ。
ちゃんとできないと、困るよ。 
ちゃんとできれば、まだまだできるよ。
しっかりしても、それでは足りないから。
   ・
   ・
   ・
   ・
ダメだし・比較・否定・おどし・不足 などなど”負”の波動を発生する価値観のオンパレード。
いわば、反”自愛”している価値観のオンパレードです
生まれた時、赤ちゃんの時から、こんな”負”の考え方は誰も持っていないんです。
やはり誰かからや社会からの刷り込まれたことは言うまでもありません。
刷り込まれた反”自愛”の考え方にまみれてしまっているわけです。

その多くは
両親や先生、いろいろな人から
「しっかり・ちゃんと」と躾けのように教わってきたと思います。

しか~~~し!
これが大人の愛だというならば、こんな偽ラブは要りません><
これが「あたなのため」という愛ならば、こんな偽ラブは要りません><
だって、”自愛””慈愛”からのしっかりちゃんと」ではないのだから。


「しっかり・ちゃんと」ができないと、
「あなたは◯◯◯いう人(子)だから・・・」と色眼鏡で見られたこともあると思います。
相手の勝手な価値観で色眼鏡で見られたわけです。
周囲の都合や相手の都合に合わなければ
存在や能力の否定をされる、
出来ない人(子)に勝手に仕立てあげられる、家族・会社などの人間関係で一番困る問題です。
自分軸になっていれば、「何をゆうてんねん!!!勝手に言ってていいよ~」で終わるのですが、
我慢してまでも「しっかり・ちゃんと」を頑な守っていると、
「もっとしっかり、ちゃんとしなければ!」と何とかしなければというスパイラルに入っていきます。


このスパイラスに入ってしまうと、この苦しみを避けようとして、さらに困ったことに、
我慢してでも、嫌われたり、見捨てられたり、怒られるのが嫌で心を感じるのが習慣になり、
いつしかこういうこらえ癖が習慣となり、
慢性化してしまいます。体の不調が続いている方の慢性化とリンクしています。

いわば、「しっかり・ちゃんと」との言葉呪縛を自分にかけたまま・・・そんな状態。
だから、”自分が何のために生きているのか?幸せってどんな感じ?”と
人生の迷子、”自愛”の迷子になりたくなくてもなってしまうのです。
つらいことが、どうしてつらいのか、どうすればつらくなくなるか、全くわからない迷子状態。
この状態は、”自愛”してあなたがより幸せになるために訪れた神様からのラブチャンスなんです❤ ラブのあるチャンスなので、試練ではないんです><


口を酸っぱく指をペンにして書きますが、
自分でない誰かに、社会に
比較され、
できるできない
という目に見えるもので判断をされ、
否定され、ダメ出しをされ、けちょんけちょんにたたかれ、心が痛み、疲れ果てても
認めてほしい、理解してほしい、もっと愛されたいという思いをずっと持ち続けてやってきたのは、
「しっかり・ちゃんとすれば認められる、理解される、もっと愛される」と思い込んできたからです。
そこに幸せがあるかもと勘違いをしてきたから。
それ方向違い、勘違いなんです! 反”自愛”の方向は、幸せを遠くする方向なんです!


また、

”エネルギーがでないんです・・・・”
”体調が・・・・・・”
”すぐに疲れるんです・・・”
という方にも、「しっかりちゃんと」思考は大きく関わっています。
ご相談でも、こういう内容が多いのは確かです。
霊的エネルギーが充電されずに、カツカツな状態でやっているからなのですが。


しっかりちゃんと」すれば、そこに幸せがある(恋愛・パートナーに尽くしてしまうパターンも同じ)と思い込んで、努力すれば何とかなると思い込んで、
認められたい、理解してもらいたい、もっと愛されたいという思いを持ち続けている間は、
願いが叶うまでとかや、努力して結果が出るまでと思って、”熱(霊的エネルギー)”を維持しているわけですが、
自分を悪い意味で自分自身をエネルギー源として燃やしながら、いわば自分を消耗しながらの自前エネルギー(霊的エネルギー)なので、限界があるのです。
自分自身を燃やしてエネルギー源にして、宇宙からの循環しているエネルギーを受け取っていないから限界生じてきます。


そんな自前の霊的エネルギー”熱”ですから、
”熱”を燃やしすぎてしまったり(長期的にや、一時的に爆発的に)、
やってもやっても先が見えず自分を諦めるようになったり、
どうせこの世なんてと「今」を含めた自分の時間を捨てるような気持ちになったり、 など
こういった反”自愛”の気持ちにどどどどっと一旦傾いてしまうと、自前”熱”は枯れて、
自分に”熱”が入らなくなってしまうようになります。
エネルギー足りないと、元気がなくなる状態です。

”熱”があったのが”冷”になってしまい、
”冷”の慢性化は一旦進むとどんどん進んでしまいます。
自分の人生を生きているようで、ちっとも生きていない感覚にもなります。
(安心してください、”冷”化は、”自愛”することでストップでき、”熱”も入ってきますから^^)


「しっかり・ちゃんと」という価値観によって、
比較され、
できるできないで判断され、
あなたの能力的な個性も否定され、
すねて内に籠ってしまった・・・”熱”があったのに
自分が自分にすねてしまった・・・”熱”があったのに
だから”冷”が慢性化してしまったにすぎません。
それなのにまだ自分にムチを打って「しっかり・ちゃんと」と自分にやらせようとするから、
”自愛”が足りてませんよとお知らせのために、
またまた我慢を強いるようなつらい神様からラブチャンスが、エンドレスラブとして送られてくるのです❤

 


さあ、我慢をやめてすねて・被害者意識になって内に籠ってしまったあなたを解放してあげましょう
すると、あなたがあなたらしく、”冷”⇒”熱”になり、あなたが輝き出しますから★

 


本日のまとめとしては、


「しっかり・ちゃんとする」⇒ 反”自愛”⇒ 自分や人からも”愛”されない
この『”愛”されない』には、愛されない・認めてもらえない・評価されない・優しくされない・大切にされないなど
あなたが本当に求めているものの、逆ですよね。

 


だから、逆をすればいい。
「しっかり・ちゃんとしない」 ⇒ ”自愛” ⇒ 自分や人から”愛”される

 


しっかりしてはダメですよ!
ちゃんとしてはダメですよ!

 


ここまでも6100字と長くなってしまったので、
(このブログは4000字を超えると急に重たくなるようです)
今日はここまでにします。


次のブログまでに、「しっかり・ちゃんとしない」を考えて、取り入れてやってみてください。
すると、「しっかり・ちゃんとしないと言われても・・・・」という質問が出てくるかも知れません。
実際セッションではそういう質問を受けていますので、
次回は、私が神様に教えてもらった「しっかり・ちゃんと」に対する”自愛”思考をお伝えしたいと思います。

                                  寧楽感恩