はひふへほっ。 笑う門には福来たる

~視えない世界にアプローチ、”愛”と”調和”の宇宙の法則で、地に足つけてみんなで幸せ❤~

我慢ポイントがわからない人へ(1)

みなさんには、”自愛”してくださいね^^とお話しながら
体にかなりの無理をさせてしまってしまっていたお知らせが来ている私です><

 

かれこれ1ヶ月以上前、右背中にこむらかえり?ひきつり?を起こし、
待てども待てども治らず、腕も肩もつってきて、手や指に痺れと痛みがひどくなり、何も持てなくなり、夜は痛みでうずいて眠れないわ・・・と散々な状態で、

いつもお世話になっている整体院に行くと、
「腕、肘、手首の使い過ぎですわ」と言われ、
毎日病気で匂いのきつい父の下着や服を1日2時間ほど手洗いしていたことから起因しているだろうなとピンと来て、

「忍耐強い私」に無理をさせてしまって、”気づけなくて、ごめんよ~~~!”の毎日です。
「忍耐強いってわかっていたのに」無理させてしまって、”ごめんよ~~~!”の毎日です。


PCを打つのも、肩を引き上げたり、キーボードを打ち込む時に指から肘に掛けては痛みが走り、
いつもどれだけ負担を掛けていたのかと改めて知るようなことです。
書道をするにも、右半身はとにかく必要。

本当に、「つい”まだできるから~~”」という考えで、
体に無理をさせてしまう。
本当に、”自愛”的には要注意な考えです★

 

という忍耐・根性という”自愛”のためにはいらん自信を持っている私だからわかることもあるということで、
今回と次回は、
時々、セッションでも「自分が何を我慢しているのかわからない」というお話を聞きますので、
その点について書いてきたいと思います。(で、肘が更に痛くなってきたので、自愛して一旦休憩★)

 

 

 

”自愛”がすんなりできる開いた心の土台を作れるようにと、
しなければならないと自分が被害者になる意識、
被害者意識からの内に籠るすね・ひがみ・ひねくれ、
被害者意識からのイライラ・怒り→不平不満の奥にあるほっておかれている本当の自分の思い、
といった、”被害者意識”に焦点を当てて随分お話もしてきました。


そして、『ほめ日記』は被害者意識やすねの強い人は自分をほめようとしても、
「実際は違うし」という矛盾をより感じて、自分の中での葛藤がむくむく出て来てしまうことになるので、
まずは『我慢日記』をお薦めしました。

 

 

 


書いてみられた方、いかがでしたか?

 

 

 

書き方は、

”開こう!”自愛❤のための●●日記 - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

ご参考ください★

 


要領としては、
①体験した出来事・事実
②①の湧いた感情を感じ尽くす
③②の自分に、愛のある言葉を掛けてあげる
④①の時、どう我慢したのか?そして、本当はどうしたかったのか? 
です。

 


①~③はゼロフラットクリーニングの要領です。
この私が神様に教えてもらった、
トラウマや大きな心の傷、コンプレックスなど、
自分を苦しめているなという思いが出て来た時に、
また同じ嫌な夢を見る場合にも、絶大な効果のあるクリーニングですので、
近い将来ご紹介します。


『我慢日記』ですので、
④の何を我慢したのか?  
  どう我慢したのか?
  本当はどうしたかったのか?
この部分が、『我慢日記』のメインとなります。

 


イライラしたり、不快になったり、悲しくなたっり、つらくなたったりなど感情が出てくるのは、
被害者意識・不平不満・すね・ひねくれ・自分責めが心の奥に潜んでいるから。
そんな潜んだ“想い”を放置していては、いつまでたっても自分が自分を苦しめたままになります。
だからこそ、
「”自愛”の土台作りを阻害する”負”の波動を発生している考え方・思い込みを見つけいきましょう!」
という”自愛”への”気づき”が欲しいんですね。
”気づき”に手がかりになるものをあぶりだす方法としてお薦めするのが、

『我慢日記』です。

 


日記として紹介はしましたが、
習慣になってくれば、わざわざ書く必要はありません。
しかし、書いた方が自分がより知り・理解できるという方は書き続けてみてください。
書くことで①~④の要領が自然に出てくるようになると、
日々の生活の中で、書かないでも怒りやイライラ・すねなどの感情が顔を出した瞬間に①~④ができるようになりますので、
すると、もっと楽に自分を知り、自分と”調和”し、人とも”調和”もしやすくなります。

 


でも、何を我慢しているのかわかりませんとおっしゃる方もあります。
我慢という感覚がない、どういう”感じ”が我慢なのかもよくわからないという・・・
これは、自分自身が後天的に作りあげてしまった世間体や経験・知識などの思い込みや固定観念にどっぷり浸かった自分の中の”姑”さんが
どっかりと頭の中に居座っている状態になっているからです。
だから自分らしくと言っても、自分がわからなくなるのも当たり前。
むしろ、それを続けてやっている自分を褒めてあげないといけません><

 


まずは、何に我慢しているのかを自分に問いかけるために、
我慢していることを知るために、
チェックしていただきたいポイントが3つあります。


この3つのポイントとは、
今まで生きてきた中で自分自身が知らない間に作ってきた思い込みや固定観念の強い”姑”的考えがベールをかぶって存在しているということです。性格のせいではありません。後天的に自分で作ってしまったものです。
その”姑”的考えに自分が浸かっていたり、
”姑”的考えが自分の上にずっと覆いかぶさっていると、
”本当の自分”がしている我慢を、我慢として認識させないようにしてしまいます。
いわば、「だまっとれ」状態ですね。
だから、我慢していることがわからない、自分らしくがわからない、
自分の我慢ポイントがわからないという現象が起こっているのだと


まずは理解しておいてください^^

ここで、「我慢ポイントがわからない」って更に悩んで自分を苦しめる必要ないですからね。
我慢ポイントがわからないって悩んでいたら、
何のために我慢ポイントを探そうとしているのかって、逆効果にしかなりませんからね★
(あくまで、「我慢ポイントがわからない自分がいるのね」と自分を理解するだけでOKOK!
 今の自分の状態を理解するだけで、すでに”自愛”なので、悩むなんてナンセンスです!!)

 


さてさて、3つのポイント。
我慢ポイントを探しにくくしている3つのポイント。
この3つを説明していきます。
では、1つ目から^^

 

 

このブログを読んでくださっている方は、
優しさも生真面目さ、輪を保つ自分を律する忍耐力、を持っておられると思うんですね。
そして傷つきやすくもある。だから傷つくのが怖い・嫌いでもある。
そんなあなたに思い出してもらいたいなってことがあるんです。

 


それは、私たち日本人が幼い頃に身に着けた、教わった道徳観です。
マナーというより、道徳観です。
世間体も若干入るとは思いますが、道徳観です。
今持っている固定観念・思い込みにつながっているものです。
今の日本で、人と共同生活を送る上で、大切だと教わることがらです。

 

 


さあ、物心がついた頃、幼稚園や小学校時代に戻って、
家族やお友達、他の人に対してどのようにしましょうと学びましたか?
まだ、記憶しているということは、しっかりと身についているということです。


できるだけ沢山、挙げてみてください。

 

 

 

私が思い浮かぶものとしては、


・人の嫌がることをしない
・人の嫌がることは無理矢理にさせてはいけない
・人を傷つけてはいけない
・人に迷惑をかけてはいけない
・相手の気持ちを考えましょう
・相手の立場になって考えましょう
・相手を理解する気持ちを持ちましょう
・人を大切にしましょう


こんな感じが思い浮かびます。
いかがですか? いろいろ思い出してみてください。
そのほとんどが、「対人」なんですね。
まず「人」「相手」に対してどのように接したらよいのかを学んだと思います。


”自愛”に取り組んでおられる方なら、ふと思ったはず!
「私、どこいってん~~~!!!」
「私、おらんぞ~~~~!!!」 と、関西弁ならこうなります。

 


そうなんです!
自分は?なんです。
「対自分」はすでに身についていることが前提になっています
自分を先に考えない教えなんです。
だから、「対自分」を十分にやってこなかった人が、

自分が自分に対して、命令形・指導形ということから学んでしまうと、
自分に対して厳しい厳しい視点を持ってしまうという「教え」になります!!

 


「私」が「私」に対しては、”自愛”ができていること前提での教えになっているので
「私」に対しての、命令形・指導形なんですよね。
それでは、自分に対して厳しくなるのも当たり前。
”自愛”できないままで社会生活のためにと学んでしまうと、対「人」に傾倒していき、対「人」を重んじるために
ますます自分には厳しく、自分を締め上げて・・・・もっともっとと締め上げてとなります。

 


こんな風に、”自愛”する前に、「人」のために自分に厳しくなる思考を小さい頃から育てしまうとなると、
結局、世間体や慣例・常識などの固定観念・思い込みが自分の頭を占めてしまい
「いい子」の理想を作り上げて、それにになろうとしてしまう。
”自愛”を知らないままの”姑”的な考えが頭を占領した小さな子供たちです。
いわば小さな”姑”が沢山生まれてしまうことに繋がるんですね。
その小さな”姑”が大人になるのですから、
大人になっても自分の中にある”姑”が自分の頭の中に同居しながら、
自分をいつも自分で見張っていて、いつも自分を裁いてもいますし、
また、自分の心に蓋をしたり自分の心を知ることもなしに、ただ我慢しているのですから、
幸せを感じる心が鈍感になったり、心が半開き状態になるのも仕方ありません。

 


「人」のために「私」に対して、”そんな厳しい目を持ちづつけて幸せになれるでしょうか?”
「人」のために「私」に対して、”ちょっと厳しすぎではないですか?”

これでは、苦しいですよね。
「人」のためにへの心が行き過ぎてしまうと・・・

 


だから、その教えを忠実に学んできた生真面目で優しいあなた(昔の私も)は、
「人」を優先する頭になっていたので、
やることなすこと、それは自分のためにやっているのではなく、人のためにやる、他人軸が強くなっていました。
すると、
やることなすことすべてのことは、
「人」のためのついでに「私」のために、
もしくは「私」はつらいけどそういうもんだと思い込ませて
少々無理矢理にでも「私」にやらせる習慣がつくようになっていました。

 


こんな風に対「人」への教えをやっていくうちに、
いつの間にか、知らない間に 自分<人 という、
悲しいかな「私」を後回しにして「人」が先という過ぎた状態が普通になり、
自分に染み付いてしまったということです。
その点を自覚していただきたいと思うんです。
自覚するだけで、変わっていきますからね^^

 

 

 

どんなに人を大切に想う心があったとしても、
その人は、まずその人を愛します。
あなたが、その人を愛してあげなくても、その人はその人を愛しています。
だから、あなたはあなたを第一に愛してあげていいです!!
その人が独りになるとか、その人に悪いとか、怖れないでいいのです。
そして、あなたが独りになると怖れないでいいのです!
あなたの心から発する波動に合った人が、必ず引き寄せられるですから

 

 

その人はその人を愛し、
あなたがあなたを愛してこそ、
お互いの心の器から溢れた”愛”がうまく循環するようになる。
その人が、子供であっても、パートナー、両親であっても。

 

 

 

自分>人  にするのは、先ほどとは逆に考えてみると、
(人を自分よりも存在価値を小さく見たり、”慈愛”しないって意味ではいないですよ)
先ほど上に書いた項目はどうなるでしょうか?
自分と「人」「相手」を置き換えて考えてみましょうということです。

 


すると、こうなるのではないでしょうか?

・自分の嫌がることはしない
・自分の嫌がることを自分に無理矢理させてはいけない
・自分を傷つけてはいけない
・自分に迷惑(被害・犠牲・不用はトラブル)をかけてはいけない
・自分の気持ちを考えましょう
・自分の立場になって考えましょう
・自分のことを理解する気持ちを持ちましょう
・自分を大切にしましょう

 

 

こういうように変換されます。
小さい頃に学んだ道徳を振りかえることができますよね。
振りかえるともっといろいろな 自分>人が出てくる方もあると思います。


どきっとされる方もあるはずです。
「人」「相手」にしているけれど、「私」にしてないと。

この”自愛”が忘れさられている状態では、
健全な”慈愛”をしようにも難しい、もしくは長くは続きません。
結局、いつかは疲れてきてしまって、
犠牲心・被害者意識・すねなど不平不満を含む”負”の波動を発生する考え方に繋がっていきますから。

 


だから、被害者意識やすねなど”自愛”の土台ができにくい方は、
この上に書いたような「私」への意識をより持つことで、
自分自身に我慢させていることが、どんなことかを自覚しやすくなると思います。

 


そして、口をすっぱくして言いたい!
自分>人の“自愛”の考え方でいいんです★
自分>人
の”自愛”をすることは、人のためにもなっているんです★★
罪悪感を持たずに、自分>人でいいんです★★★

これが、逆転してしまうと、いつも自分が後回し、いつも自分はどうでもいい存在として、
自分をぞんざいに自分で扱ってしまって、結果他人からもそういう扱いを受けるようになります。

 


ピンと来る人には、ピンとくるはず。
”「私」が「私」を”という”自愛”をすっとばしてしまい、
自分<人 になるから、愛の飢餓状態となり、
「人」に愛して欲しい、
「人」に大切にして欲しい、
「人」に理解してもらいたい
こんなように「人」に対しての要求も大きくなり、
心が愛に飢えている状態もどんどん深くなっていきます。

 

この「愛に飢えた」という心の状態が、
「愛に飢える」人から愛されていない現実を引き寄せるという宇宙の法則通りに繰り返されます。
そして、お互いに愛に飢えていますから、依存しあいになり、長続きは難しくなります。
また、”愛”の波動には、豊かさ(物質的・経済的)が含まれています。
だから、豊かさも人を通じて神様からもたらされますから、
愛に飢えた状態であれば、本当の”豊かさ”も遠のいてしまうことに繋がります。

 

 

だから、自分>人 が大切なんです。
あなたのために、そして周囲の人ために、 
自分>人 を許していいのです。

 

 

 

人を傷つけてはいけないと思って、自分の心を傷けてはいけません。
人に嫌われるのが怖いと思って、自分の心に無理をさせてはいけません。
人に迷惑を掛けてはいけないと思って、自分の心がhave toで縛ってはいけません。
いい人になろうと思って、自分の本当の姿を偽ってはいけません。

 

 

まずは、もっともっと「人」より「私」という意識を持っていただければと思います。
「私」が「私」の人生を生きるために、「人」という”自愛”を気づかせてくれる配役が存在しているんです。


「私」が主役!

あなたの人生では、あなたが主役。
誰かの人生では、その誰かが主役。
だから、この世はみんなが主役になっているということ。

 

 

主演は遠慮する必要ないんです! 配役に気を遣わない方が、うまくいくんです!
主演は、大根役者でもいいんです!上手くなくってもいいんです!
上手な役者にならないでも、味のある(愛深き)役者であれ!→神様視点はこちらです^^

 


一つ目のポイントは、自分>人 で、覚えていただきたいと思います。


次回は、残りの2つのポイントをお伝えします。

                             寧楽感恩