はひふへほっ。 笑う門には福来たる

~視えない世界にアプローチ、”愛”と”調和”の宇宙の法則で、地に足つけて幸せを❤~

スピリチュアル的使命とは

最近つくづく思うことは、
「人間はなぜそんなに自分に何かを課せようとするのか?」
ということです。

高い点数を取ろうとすること
自分のレベルとアップさそうとすること
病気を避けようとすること
お金もうけに執着すること
結婚しようと必死になること
今以上に仕事が回るようにすること
家事をできる限りすること
やりたいことを見つけようとすること
エゴにそった子育てをすること
家族のお世話をすること
目標に到達すること
天職を探そうとすること

などなど
書き出せば本当に取り留めもなく出てきます。


このような心の底には
よくなりたい、
今の自分では足らない、
と言うよく言えば「向上心」、
悪く言えば「自己否定」が潜んでいます。

そもそも
点数が高いといいと決めたのは、今の社会の通念(最近は少し薄れてきましたが)
できる主婦がいいと決めたのは、社会における理想的な主婦の通念
目標を達成するのがいいと決めたのは、社会の目標達成・成功論(特に地位名誉・お金)の通念
天職を探すのがいいと決めたのは、適職や天職と勝手に分けてしまった通念
家族の世話をするのが当然と決めたのは、世間でおける家族がすべきことの通念
自分のレベルアップをするのがいいと決めたのは、世間での自分磨きがレベルアップのように言われる通念

一つ一つを見ていくと
世間での考えや
社会での考え、
この世でいう人間が勝手に作ったルールの中での話。

この世の通念を基軸にして頑張ってしまうから
いつも何かに追われていたり
いつも何かをしないといけないと習慣になっていたり
いつも”have to~”にがんじがらめになっていたり

なんだかんだと
小さいことから大きいことまで
自分のことから人(家族や子供)のことまで
いろいろと自ら「課す」してしまって、
「課す」からこそ自分に”厳しい”に陥ってしまいます。

すると、心としては悲鳴をあげるのは当然です。

こんなの全然、自分に優しくありませんし、
”厳しい”状態の自分を作ってしまっては全然スピリチュアル的に生きてはいません。
残念ながら・・・・


そもそも、この世に魂の親から魂という命をもらい、体の親から器である体をもらい、
私たちはこの世に生まれてきます。

質問の中では”私の使命を教えて欲しい!”
”天職は何ですか?”というものもよくあります。
今世はこういうことを課題としてやってきて欲しいという宿命を持って生まれて、
その課題をクリアーするために、職種が決まっていることもある場合もあるし、
ない場合もあるというように、人間には自由が与えられています。
(質問のある時には、わかる分ではお答えはしていますが)


それよりもこの世に生まれた使命というのは、天職に縛られてはいけません。
もっと大きい概念で、
”愛””調和”この二つを学ぶためです
この二つを学ぶことのために、いろいろな課題が人生の中にちりばめられています。


この”愛”と”調和”は、昔は自分以外の人、対人との学びなのだと思っていたのですが、
それも大切なのですが
 ”自分を愛する” 

 ”自分と調和する”ということの方にも大きな比重がかかっていると思います。


自分を愛せない人が人を愛することができません。
自分の心や自分の感情と向き合い調和できな人は、人とも調和できません。

やはり、対自分なのです。
対自分だけでもかなり人生の使命として十分なのではないかとも思います。


つまり、
ブログの前で書いた「課す」(向上心的自己否定)の考え方や習慣は
それこそ自分が社会のルールや通念によって作り出してしまったもので
そこにはまってしまっているということ。
がんじがらめになってしまっているということ。


本当のスピリチュアル的な使命は
”生きる”
ただこれに尽きると思うのです。


魂の親より帰っておいでとお誘いがあるまで
心を尽くして生きる。

世間一般に言う”輝き”がなくても、心を尽くしているだけで”輝いている”と私は思います。


”生きる”ことで、あなたが生まれ落ちる時に魂の親が課したものは
ほとんどクリアーしたものと考えていいのだと思います。
クリアーしにくい時には、人や状況の助けがあるので、
自然とクリアーしていくようになっています。

お金のあるなしなんて魂の神様は課題にしていませんし、
点数の高さも魂の神様は課題にしていません。
つまり、人間社会でよいとされる”結果”を課題としていません。

 

”生きる”


自分が怠惰だと思っているならそれも生きている証拠
思い切って怠惰な自分であれ。

 

ゆっくり休む。
生きるためには休みも必要。
思い切って止める心を持てる自分であれ。

 

やりたいことに夢中になる。
生きる上でのエッセンス。
夢中になれる事にであえた時には
我も忘れる自分であれ。


嫌なことが続いても
生きて自分を愛するための近道として
嫌なことを受け止め、認め、受けいれて、
生きることを辞めない自分であれ。


何がしたいかわからないと嘆くなら、
生きているだけで何かをしている。
その時はいつか来るさと
卑屈にならず待てる自分であれ。

 

笑えない。
笑いたくない・笑えない自分を受け入れてあげよう。
笑いたくなったら、いつかは笑える。
幼い時は笑えていたのだから。
自分で自分を追い詰めない自分であれ。

 


あなたは”生きているだけ”で
それでいい。


自分にいろいろと”課す”のはやめて
肩の荷を下ろしていいんだよ。


本来のスピリチュアル的に言えば、
自分に厳しく向上して歩むのではなく
自分を愛して調和して、
ゆるくなっていくことなのだと思います。
”生きる”を通して・・・・

 

”生きる”が使命?、もっと何か具体的な使命があると思っておられる方には

きっと肩すかしのように聞こえるかもしれません。

でも、それくらい本来、スピリチュアルに生きるということは

”ゆる~~~い”ものなのです 具体的な”課す”条件なんてないのです。

                    寧楽感恩