本当の「気づき」とは
最近は、スピリチュアル系なこと、性格改善系などなど、
自己啓発というよりは、「自己探索・幸せ探索」をされている方が
多くなっているなとつくづく思います。
鑑定をしていても
以前ならば「~なるようにしたいんです」という言葉が多かったのですが
最近は、「どこを変えればいいのでしょうか?」という自分がまず変わろうという
自己発進型に変わってきています。
(時には、なんとかこういう状況にしてください、という意気込みの方もありますが)
自分が変わることで
いろんなことが変わることを望まれる方向が強くなってきている中で
最多と言われるように発せられる言葉があります。
「気づき」
いろんな本で頻繁に見える言葉なので、
自然と使うことが増えてきているのだなと感じます。
しかし、鑑定をしている中で私自身が「????」と思う時がよくあります。
その「????」を書いてみたいと思います。
私が使う場合の「気づき」というのは
神様が気づいてほしいことの「気づき」です。
どうして停滞した状態になっているか?
どうしてうまくいかない状態になっているか?
どうして苦しい状況が続くのか?
どうしたらいいかわからない状況になっているのか?
などなど、それはそれは人ぞれぞれに悩みがある分だけ悩みのジャンルも違います。
ひとりひとりの魂の親(神様)が違うのですから、悩みが全部違って当たり前でもあります。
状態脱出のために知ってほしいと神様が望んでおられることが「気づき」です。
ところが、
鑑定をしている中で「????」と思う場合の傾向をお話しますと
例えば
「だらだらしてしまうのやめないといけないと気づきました」
「彼に自分の意見をおしつけてはいけないと気づきました」
「子供の選択を優先してあげるべきだと気づきました」
「お金を貸してあげることが”助ける”でないことに気づきました」
↑ここで言われているのは「気づき」ではありません。
単純に
”人のフリ見てわがフリ直せ”の”フリ”の部分だからです。
どちらかというと、反省に近い。
でも、反省ではなく、
失敗をしたと思うからこそ出る、次は失敗しないぞ!という心を反映した
「改善点」です。
つまり、「気づき」≠「(フリという行動の)改善点」 ということ。
もう一声言うと、
「気づき」≠「反省した点」
神様は小手先の部分を変えましょうというようなことは
滅多に言いません。それは本人の自由に任せているからです。
では、神様の言う「気づき」というのは何か?
フリを直す、行動を直すのは「気づき」ではありません。
「改善点」よりも、もっともっと掘り下げたところに「気づき」はあります。
そのフリをするようになった心、
その行動をするようになった心、
「だらだらしてしまうのは、あなたの心がどうだからか?」
「彼に自分の意見をおしつけてしまうのは、あなたの心がどうだからか?」
「子供の選択を優先できなかったのは、あなたの心がどうだったからか?」
「お金を貸してあげることで、あなたが本当に心に求めるものがあったからか?」
行動の根本になる心、考え癖、とらえ方を神様はあなたに問題提起されているのです。
この問題提起の部分で、どんな方も答えが見いだせず、苦しく、停滞した気持ちになるのです。
「本当の気づき」は、あなたの心の癖を変えるため。
心が変われば、自然と行動も変わります。
行動を変えても、心が変わらなければ、神様としては何も変えられないのです。
でも、「気づいて」心の癖が変われば、何もせずとも神様は次の扉を開いてくださることも、本当に多いです。
ご相談の際には
この「心の癖」があることを自覚いただいて、そして変えていただく方法をお伝えします。
すると、自分が行動をしなくても、状況が自然と変わる、相手の対応が変わった、体の痛みが消えたなど
嬉しい報告を受けます。
行動の土台にある「心」に鍵はあるのです。
「気づく」をしているつもりなのに、
全然状況がよくならないと困っておられる方へ
あなたの気づきが「(行動の)改善点」になっていませんか?
だから「気づき」を自分で見つけることが
少々慣れるまでには難しいと感じることになります。
だからこそ、この世界では人が共存をして、
気づきが気づける状況であったり、出会いがあったり、お仕事があったりするのだなと感じます。
寧楽感恩