はひふへほっ。 笑う門には福来たる

~視えない世界にアプローチ、”愛”と”調和”の宇宙の法則で、地に足つけてみんなで幸せ❤~

我慢ポイントがわからない人へ(3)

毎年この時期になると花粉症になります。
(韓国に出張に出ると治ります、この地域は本当に花粉がすごい)
花粉症対策をしていて、「なんかおかしいな?」と思った時には、もう遅し。
ずっとぐずぐすと微熱風邪。
自分は無理していると思っていないのに・・・・
無理をしてしまっていることのお知らせを貰っております。ちょっと長いですが、今日もお付き合いください❤


さてさて、そろそろブログだなと、
我慢ポイントがわからないシリーズの第3回目の大きなテーマ(これは先月に決めていた)をどの視点で書こうかなと思っていたところ、
やはりまたやってきました、神様からのお知らせ。
は~~とため息が出てしまう母とのやり取り。
これを書けってことね~~~ということで、
今日もまずは、質問から行ってみます。


我慢ポイントがわからない方、
我慢してないと思っている方、
”自愛”できていると思っている方(→母もこのタイプ)に
まずは考えていただきたいと思います。


Q.私のちょっと知り合い(知人の紹介で知り合った方で、年賀状程度のおつきあい、1・2年に一度お会いできるか)に対して、「1週間もしたらもう山椒の実もダメになるから、好きって聞いて、ここ3年ほど毎年送っているからもう送ってあげなあかんと思うねんけど、送ったらいいかな?電話して聞いてあげる?」とたずねてきました。
   この言葉を聞いて、”腑に落ちない”と思ってしまいました。
   さて、なぜでしょう?
  ※うちの家には山椒の木があるので、この時期になると実の収穫ができます。
  ※相手の方は私がチャネリングやリーディングができるのをご存じなので、電話も善し悪しなのです。

 


答えに至る前のヒントです。
これが、今日”我慢ポイントがわからない理由”としてご紹介したい内容にもかぶります。

 


山椒の実の旬になり、私のちょっとした知り合いを思い出して、送ろうとしてくれる母の思いやりには、
当然感謝の気持ちを持っています★
その気持ちは重々にわかっていても、心が進まなくなる理由でもあります。


このQを聞いて、まずは
①何が”腑に落ちないの?”と思う
②同感、”腑に落ちない”と思う
大きく2つにわかれるのではないかと思います。


①を選ぶと、どうして”腑に落ちない”ことがあるの?と思うでしょう。
②を選んだ方は、それなりに理由が思い浮かんでおられると思います。

 

 

昔の私ならばです。
わが家で消費できない量の山椒なので、おすそ分けの心が生まれるのもわかります。
だから①にように、何の疑問も持たず、「それならよろしく」と頼んだと思います。
気を遣ってもらってありがとうと思って頼んだと思います。


が、腑に落ちなかった・・・・今の私は。
理由を探せば、いろいろあがると思います。
でも、”自愛”という視点から見ると、2つの点がひっかかりました。
1、「送ってあげないといけない」「電話して聞いてあげる?」
   「送りたい」というwantではなくって、「送らなければならない」と”しなければならない”になっている気持ち。
電話して聞くということは、本当に「したい」というのではないと思うのです。
本当に自分が「したい」と思ったら、勝手に送る、自分の心を勝手に送る。
相手がその後、その品をどうしようが、それも相手の心に任せてしまう。
時には、確認を取る方がいい場合もあるでしょう。
しかし、ここで言いたいのは、「しなければならない」と思っているということ の問題。


確認を取って、相手が「いらない」と言えば、「しなければならない」”仕事”が一つ減るという捉え方が問題です。

 

  沢山の山椒の実が余ることに対して、「勿体ないからなんとかしなければならない」と気持ちも合い混じっているのもわかります。
でも、「・・・・しなければならない」とやることはどうなのでしょう? しかも、しなくても、第三者に迷惑がかかることもありません。
「送りたい」と純粋に思えないまま、自分に「送らせる」という”仕事”を一つ増やす のはどうなんでしょう?

  母は毎日時間がない、しんどいと言っている人です。
だから、いくら相手によかれと思っても、自分から「しなければならない」と”仕事”をより増やしてしんどいではどうなの?と思うのです。
反”自愛”での「しなければならない」では、やはり自分がどんどん疲れて来てしまいますので、
反”自愛”からの思いやりは、やはり疲れると思うのです。

  更に悲しいことは、もしですよ、相手の本心として”要らない”と思っていたと知ることがあったなら、
「しなければならない」と思ってやったことだったので、「やってあげたのに・・・」という不満につながる可能性もあるのです。
でも、母のようなタイプ。「やってあげたのに・・・」と思うことも思ってはいけない・悪い・自分のせいなどと思うと、
「しなければならない」で1度目の反”自愛”、
「やってあげたと思ってはいけない」という2度目の反”自愛”で、
反”自愛”でがんじがらめに自分をしてします。そして、自分のエネルギーが失われていきます。
(母には、上に記したことを言いました。が、伝わったかどうか・・・)
  

2、「ここ3年毎年送っているから」
  ここに大いにひっかかってください^^ これが今日の我慢ポイントがわからない理由として説明したいものです。
  
  1.リンクしますが、「毎年送っているから、今年も送りたい!」というwant が心の起点なら何も問題がなく、”慈愛”です。
でも、今回言いたいのは、「毎年しているから、今年もしなければならない」という点です。

 

  母はずっと幼き頃よりやってきました。時代も今よりもっと先生という肩書が大きい時代だったと思います。
すると、お歳暮中元、入賞入選をしたらお礼金、などなど、貧乏学生をしていた頃から年を経るごとに負担も大きくなり、
お金の切れ目が・・・というような世界、毎年の時期になれば、慣例として「渡す」というのが普通という思考の習慣を持っています。
そういう母を見ているからこそ、出てきた心のひっかかりだと思います。
そういう母からもらった世界観で苦しんだからからこそ、今は言える”気づき”です。

 

 

  慣例としていると、その時期になれば「しなければならない」のです。
  慣例としていると、自分が望まなくても「しなければならない」のです。
  つまり、「これって幸せ?」と思うのです。

 

こういうように考え癖がある人ほど、「・・・・したのに」と自分の期待と違う方向にものごとが進むと思い始めます。

 

 

慣例ということでも、その時期になれば、「本当にお礼をしたい!!」と思って自分の懐が痛くない程度で無理なくする。
慣例ということでも、自分の心に合致して「本当にお礼をしたい!!」と思って自分の懐が痛くない程度で無理なくする。

 

こんな風に自分の心に寄り添い、自分の心と懐の豊かさサイズに応じたものを、真心でお渡しする。そういう”愛”の循環こそが、宇宙神理として適合するもので、双方が”豊か”になる循環です。

 

そう思えないならば、慣例であっても、無理にすることはないと私は思っています。
その慣例ができないと外されるような世界観を持っている人の集まりであれば、
自分とは合わないのですから、がんばったとしても時間の問題でしょう。さっさとその世界観を持っている人からは離れて、
”自愛”と”慈愛”の世界観を持っている人たちに囲まれる方が幸せだと思います。

 

  

そう、恒例・慣例・習慣になっているから・・・・これが我慢ポイントをわからなくしている理由です。

恒例・慣例・習慣になっているから・・・・「やらなければ」と思っていることさえも自覚しないようになっているのです。
恒例・慣例・習慣になっているから・・・・「みんながするから」と思っているから自分の心に寄り添えなくなっているのです。

 


言葉を変えると、
自分にとっての”普通”
これが我慢ポイントをわからなくしている理由です。

 

 

自分にとっての”普通”って何でしょう?

 

 

上の例に挙げたのは、時々起るようなタイプです。
わかりやすいというとわかりやすいですよね、どかんと心に引っかかってきますから。
でも、この”普通”は、毎日の中で起こっています。
何か起こった時だけ、トラブルが起こった時だけ、「私我慢しているのかな?」と疑問に持つのではないのです。

 


私の経験からでお話します。
霊的(スピリチュアル)エネルギーが切れてしまった時のお話です。
体力エネルギーや精神的エネルギーは、睡眠やちょっとした気分転換で充電できます。
けれども、霊的(スピリチュアル)エネルギーが切れてしまった時は、だるさがひどく、本当に自分が”空”になったような感じ、
その経験から、この”普通”の大切さと怖さに気がつきました。
”自愛”って何だとより自愛の方法を考えるきっかけにもなりました。


ある日突然、朝起きると、もう起き上がれないのです。
私は、まず朝起きると、歯を磨こうとするのですが、立てない・・・
そして私の頭(自分の中の”姑”)はもがくのです。
「歯を磨かないと、あかん!」と。
歯を磨かないと虫歯になるよ、と脅すんです。
歯を磨かないと臭いよ、と脅すんです。
アカン病にかかっている状態です。


でも、霊的エネルギーがゼロの私は、
この頭の中の”姑”がいろいろと言ってきて、脅してきて、
歯を磨こうとすればするほど、自分が疲弊していきました。
たかが歯を磨くことです。
それが、もうできなかったのです。
当然、服を着替える、そんな霊的エネルギーなんかもっとありませんでした。


「あかん、磨かないとあかんと思ってても、あかんわ」と
頭の”姑”が何を言ってきても、心と体が言っている「あかんわ」を大切にしました。

そして、
「歯を磨かないとあかん」
「服を着替えないとあかん」
「朝ごはんを食べないとあかん」 などなど
朝から「あかん」と思っていたことをすべて「やったらあかん」という『逆方向』に切り替えました。


霊的エネルギーがなくってもう寝ることしかできていない自分に、
心と体がSOSを出しているのだからと、
頭の中で『普通』になっていることをすべて、やめることにしました。
心の声の、「だってやりたくないもん!寝ていたいもん!」をしっかり受け取ったからです。


この頭の中で『普通』になっていることは、
世間体や常識、経験や知識という自分の中の”姑”の価値観から来てきます。
つまり、先ほど紹介した「毎年やっているから・・・」というものも含みます。

この『普通』が『普通』ではないことに、気が付けば、”自愛”がよりしやすくなります。

 


朝起きて、
「服着替えたい?」
「今日は何着たい?」
「今日は仕事に行ける?行きたい?」
「朝ごはん作れる?」と、
今まで朝『普通』にやっていたことを、逐一自分の心に聞くのです。


『普通』というようになったのは、習慣や慣例によって、
自分の頭が『普通』と思い込んでいるものなのです。
頭が思い込んでいるのですから、そこに”自分の心に寄り添う”はありません。
つまり、
自分の心をほっておいて、自動的に、やらせている状態です。


子どもに「今日は何を着たいかな?」と聞かずに、
「これ着ておきなさい」とやっているのと同じ感覚ですね。
それでは、子どもがすねてしまいます・・・・
これを自分にやっていると、自分がすねてしまいます・・・・

すると、
自分をすねさせたりという反”自愛”ですので、
自覚しない間にどんどんと自分の霊的エネルギーがなくなっていく><

 


どかんどかんとトラブルやハプニングが起こっている時は、
自覚があって、自分の気持ちを考えたりしやすい。

でも、この『普通』というのは、
自覚がないので、じわじわと霊的エネルギーを奪い取っていくので、
気づいた時には、「じゃじゃじゃ~~~ん」というくらいに、えらいことになっています。


この「じわじわ」型ほど怖いものはないのです。

 

 

 普通、やっているから

 

 

そのくらい大丈夫だから
(いつもやっているし)⇒でも、全然大丈夫違うから><

 


いつもやっていても
普通できていても
その日、その時、自分が「したくない」「嫌」と思っていることもあるのです。

 


これほどこわい「じわじわ」型の霊的エネルギー消耗法はありません。
じわじわって一番わかりにくいですからね。

 

 

じわじわを予防する方法としては、
”自愛”しかありません。

その中でも、自分に寄り添う”自愛”です。

 


普通やっているからとか、そのくらい大丈夫というのは、頭の中の”姑”の声。
そういう頭の声には黙ってもらって、


自分が自分の愛しいペッとやパートナーに話かけるように、
「したいの?」
「やりたくないの?」
「好き?」
「嫌い?」
と逐一聞いてあげてください。


「やりたくない」とか「嫌い」と言った時には、
無理強いせずに、一旦その自分を受けとめる。(頭の中の”姑”はだまらせる)
そして、「やらない」「嫌う」を選択する。

でも、「やる必要がある」時ってあると思うんです。
そこでも”自愛”です。
「やりたくないんだね。代わりの方法はあるかな?」
「やりたくないんだね。後でならできる?」
「やりたくないんだね。・・・・・」と自分に寄り添って聞いてあげて欲しいのです。
そうしているうちに、「やらないでも済むことになった」や
「後回しにしたら全然できるようになった」という”自愛”からの神業が起こりますから


みんな自分の『普通』の中で生きている。
自分の『普通』を疑うことで、本当の自分が顔を出してきます


                           寧楽感恩

 

 

追記;これもここ最近の母。
骨折をしていてお風呂に入りたくないのに、
入れ入れという父が言うので、断ると父がまた荒れるからと仕方なくお風呂へ。
案の定、またこけてしまって、違う場所をまた骨折。
みなさん、お知らせは身近にあるのです。心の声を守りましょう!
自分の心の声を守るために、あなたを見方するために頭(”姑”でなく”あったかおばあちゃん”)が存在しています。

我慢ポイントがわからない人へ(2)

昨日、昔から知っていて時々人にも言っている言葉だったのですが、
”どきゅん!”となぜか突き刺さりまして、と言う言葉があります。
「伝えて欲しい言葉」なんだと思い書くことにしました^^


マザーテレサの言葉、
”愛の反対は、無関心です”

     ↓


人だけ使う言葉でなくって、”自愛”に置き換えると、

”自愛の反対は、自分に無関心です”

 


はっとした方! 何か心がざわついた方!へ
いくら悩みや苦しみを解決しようとしても、
自分の悩みや苦しみに感情がとらわれていていますよ。
自分の悩みや苦しみには向き合っていて、
それでは悩みや苦しみの原因になっている相手と向き合っていて
それで自分と向き合っているつもりになっていて
「自分」に無関心になっていませんか?
もっと「自分」に関心を持ってあげられませんか?
という優しいメッセージが込められいるのではないかと思います。

 


悩みや問題に向き合っている自分がいても(これ結局自分でなく問題の相手と向き合っている)、
自分自身に向き合っていないと、
被害者意識からの拗ねやひねくれやイジケ、それらを引き起こす自分が何を”我慢”しているのかはっきりとわからないといったり、すぐに出てこないということも。

いわば自分に関心があるようで(つもりで)あまり自分に関心を持てていない、
自分への関心の向け方と向け度がずれていることが往々にしてあります。

問題と問題の相手と向き合っていても、自分とは向き合っていないので、
自分の”我慢”が見つからないのも致し方ないと思います。
(悩みや苦しみという問題ばかりに焦点が合うと、自分に焦点が合わないんですよね)

自分の悩みや苦しみに関心を持つ(はまって)のではなく、
自分自身に関心を持つ。
問題に向き合うのではなく、
自分自身に向き合う、
そんな”自愛”をしていってほしいと思います。


と前置きをして、前回からお伝えしていた我慢ポイントの2つ目を紹介していきたいと思います。



さて、質問です。この質問の答えによって、
あなたが我慢していることもわからなくしている頭の”姑”の居座り度がわかりますよ。

 


. 自分が女性として、入りたい場所に、「女人禁制」の看板があります。
   さて、あなたはどう思いましたか? 
   いろいろ考えるのでなく、
   第一印象で、瞬間的にどういう思いが出てきましたか?
  (最近騒がれている土俵についてでなく、一般全般的なことで)

 


3択でいってみましょう!

①仕方ないと、あきらめる
②どうしてダメなの?と疑問を持ち理由を考える
③入りたい!

 

 

あなたはどの番号を選びましたか?
この番号により、あなたの”我慢ポイント”わからない度合いがわかります。

 

 

それをタイプとして見てきます。
①無理なんだと鵜のみに従える、聞き分けのいいタイプ
②疑問や質問として理由を考える思考型タイプ
③心の声をそのままタイプ


もうちょっと踏込みますと、
①言われるがままタイプ、いい子タイプ
②世間体・経験・知識たっぷり頭優先”姑”タイプ
③心に蓋をしない心タイプ→(これ、自愛タイプ)

 


我慢ポイントがわからない度合いは、
   >           > ③ 
他人軸 > 自分の中の”姑”(頭) > 自分(心) というようになり、
①の方がわからない人が多くなります。

 


なんとなくわかってきましたか?
今日ご紹介したい2つ目の”我慢ポイント”をわからなくしている原因。

 


この質問の場合だと、
「私は女性だから」ということがキーポイントになっています。
これ、最大のヒントです。

 

 

 

その原因とは、
肩書き  

 


肩書き、またレッテルと言っていいと思います。
肩書きと言ってもいろいろありますが、
先天的に与えられている肩書き、地球人・日本人・男性女性・○○家の子。長女次女  など
後天的に与えられている肩書き、○○才・妻母親祖母夫父親祖父・仕事の職種(専業主婦も)・仕事場での肩書(社長や課長など)など
人によって、複数の肩書きを持って誰もが生きています。


肩書きを優先してしまうと、
・母親だから・・・しなければならない
・40歳だから・・・・していなければならない、持っていないと恥ずかしい
・日本人だから・・・・は普通だし
・◯◯家では・・・・が普通なのでしなければならない などなど

自分の思う
もしくは
自分の属している団体(家族や会社など)が思う、
・・・・だからという「肩書き像」に縛られることになってしまいます

ひいては、・・・像に合わせなければと、自分に制限を作ってしまうことになります。


肩書きという「自分が制限で縛られている」状態が、普通で、疑問に思わない、慣れているので、自分の”我慢ポイント”がわからなくなっていることも、結構あるのです。

具体的に例えを挙げると、先に、肩書きから入る場合には、
「母親ならお弁当を作るのが普通、作らなければならないと思っている」となりやすいと思います。
お弁当を作ることが当然のように頭に刷り込まれている状態です。
(いろいろな家庭はあると思いますが、多いパターンで書いています)

お母さんがお弁当を作るのが当たり前という普通になっているので、
自分もまわりも疑問に思わない、慣れてしまっている・・・・・状態です。


この慣れの刷り込みが、”我慢ポイント”がわからないようになっている大きな要因です。
だから、自分が我慢してやっていることも”気づい”ていないので、自愛できていませんよと、体調を崩したり、風邪をひかせたり、スピリチュアルエネルギー切れのだるさを起こしたりなどして
あなたに”自愛”促そうとしています。

 


といっても、習慣になっていることが、自分で習慣かどうかと見極めることは難しいのもわかります。
そんな時に、まず考えていただきたいのは、

 

「人間誰それは、それがしたいの? したくないの?」と自分に尋ねること


肩書きの前に、人間なのですから、
肩書きの前に、人間として、自分に尋ねるのです。

 


私ならば、書道家としての肩書きもあります。
書道家として、「正美ちゃん」はやりたいの? と聞く前に、
人間として、「正美ちゃん」はやりたいの?  と尋ねます。


さっきのお弁当の例でいくと、
お母さんとして、「◯◯ちゃん」は作りたいの? と聞く前に、
人間として、「◯◯ちゃん」は作りたいの?   と自分に尋ねます。

 


人間 > 肩書き  なんです。

 


肩書きがあると、それに見合うように生きようとする時点で、自分に制限を掛け始めるので、
我慢することが普通になりますから、まず「人間としての自分」に尋ねる習慣を持ち、
そして、自分の心を知ること、自分に関心を持つのが ”自愛”習慣です。

 


そして、
人間としての自分が OKで
肩書きの自分が OKを出すこと、
この ダブルOKが出たことを優先的にやっていきます。


人間としての自分が嫌がって、
肩書きの自分が自分に「しなければ!!」とムチ打っている時は、
どうするのですか?と疑問になる方もあるでしょう。
本当は、ムチ打たずに「やらない!」というのがベストです。
嫌嫌やっても、その波動を流してしまうだけなので・・・・思い切って人の顔色を見ないでやらない勇気を持って自分が「やれそう♪」「やりたいな❤」と思うまで、待ってあげる”自愛”です。

でも、その自愛をする勇気がまだ出ない時には、どうしても無理な時には、
①嫌がっている自分をしっかりと認めて受け入れる
②しないといけないけれども、自分がしなくていい方法を探す
 もしくは、手を抜く方法を探す
③手を抜く方法であっても、自分がやったのであれば、「嫌なのによく頑張ったね!」と自分に愛する言葉でねぎらって、❤をフラットにする。(愛のある言葉を掛けていれば、自然と❤はフラットになり、スピリチュアルエネルギーも減りません)

 


また、「やりたくないのに、やらなければ」の逆パターンで、
「やりたいのに、できない」パターンもあります。

その場合も同じです。
「無理」「仕方ない」とばさっと切り捨てるようなやり方でなく、
やりたい心に十分に向き合って、
我慢したことをしっかり共感してあげ、
代案がないかと納得するところまでとことん自分に付き合ってあげる。


こんなふうに
自分が我慢してやっているということを自覚しながら、
やりたいのにできずに我慢していることを自覚しながら、
「人間としての自分」にしっかりと向き合う、寄り添って、
放置しないであげてください★ 

 


「肩書き」は人をしばったり、制限をつけたりする、反”自愛”の象徴かと思われるかもしれませんが、
そうではありません。

陰と陽、明と暗、があるように、相対するものがあることにより、より自分自身を知ることのできる材料となりえます。
そして、
先天的に持って生まれてきた国籍・性別などの「肩書き」にも
後天的に生きていく過程において与えられる「肩書き」にも、
その「肩書き」を利用することで、
「肩書き」を活かして、より自分の魂・命の持つ個性を発揮して、
より自分らしく充実した輝く人生を送れるよう、
その人が”愛と調和”の世界で最大に生かされ、幸せになれるようにとの
魂の親である神様からの”計らい”で与えられたものなのです。


制限のためという反”自愛”のためでなく、
最大限にあなたの命・個性が活かされ自己が全うできるようにという”自愛”のために、
この「肩書き」は与えられるのです。


だから、「肩書き」にふりまわされない!


「人間の自分」が先、
「肩書きの自分」があと。
これが、あなたがあなたらしく充実し幸せを感じて生きていける順番で、コツです。

 

 

 

あなたが「人間の自分」の心を知り、尊重し出すと、
宇宙の法則により、
周りの人もあなたの「人間」としての心を尊重してくれるようになります。

「お母さんなのに(ぶ~~~)」から
「私のお母さんだから❤」と、「人間」としてのあなた、同時に「母」としてのあなたを受け入れてくれるようになるのです。
「妻なのに(ぶ~~)」から
「大切な自分妻だから❤」と、「人間」としてのあなた、同時に「妻」としてのあなたを受け入れてくれるようになるのです。

 

 

人間の自分 > 肩書きの自分

いい意味で、自分の肩書きを捨てて、
自分自身で自分を人間とみなし、
その思いに素直になって生きていく!

それが、本当の自分を生きることに繋がりますから。
肩書きで動いているなら、さっそく「人間の自分」に振り向いて、
自分を生きていきましょう!                                                                  寧楽感恩

我慢ポイントがわからない人へ(1)

みなさんには、”自愛”してくださいね^^とお話しながら
体にかなりの無理をさせてしまってしまっていたお知らせが来ている私です><

 

かれこれ1ヶ月以上前、右背中にこむらかえり?ひきつり?を起こし、
待てども待てども治らず、腕も肩もつってきて、手や指に痺れと痛みがひどくなり、何も持てなくなり、夜は痛みでうずいて眠れないわ・・・と散々な状態で、

いつもお世話になっている整体院に行くと、
「腕、肘、手首の使い過ぎですわ」と言われ、
毎日病気で匂いのきつい父の下着や服を1日2時間ほど手洗いしていたことから起因しているだろうなとピンと来て、

「忍耐強い私」に無理をさせてしまって、”気づけなくて、ごめんよ~~~!”の毎日です。
「忍耐強いってわかっていたのに」無理させてしまって、”ごめんよ~~~!”の毎日です。


PCを打つのも、肩を引き上げたり、キーボードを打ち込む時に指から肘に掛けては痛みが走り、
いつもどれだけ負担を掛けていたのかと改めて知るようなことです。
書道をするにも、右半身はとにかく必要。

本当に、「つい”まだできるから~~”」という考えで、
体に無理をさせてしまう。
本当に、”自愛”的には要注意な考えです★

 

という忍耐・根性という”自愛”のためにはいらん自信を持っている私だからわかることもあるということで、
今回と次回は、
時々、セッションでも「自分が何を我慢しているのかわからない」というお話を聞きますので、
その点について書いてきたいと思います。(で、肘が更に痛くなってきたので、自愛して一旦休憩★)

 

 

 

”自愛”がすんなりできる開いた心の土台を作れるようにと、
しなければならないと自分が被害者になる意識、
被害者意識からの内に籠るすね・ひがみ・ひねくれ、
被害者意識からのイライラ・怒り→不平不満の奥にあるほっておかれている本当の自分の思い、
といった、”被害者意識”に焦点を当てて随分お話もしてきました。


そして、『ほめ日記』は被害者意識やすねの強い人は自分をほめようとしても、
「実際は違うし」という矛盾をより感じて、自分の中での葛藤がむくむく出て来てしまうことになるので、
まずは『我慢日記』をお薦めしました。

 

 

 


書いてみられた方、いかがでしたか?

 

 

 

書き方は、

”開こう!”自愛❤のための●●日記 - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

ご参考ください★

 


要領としては、
①体験した出来事・事実
②①の湧いた感情を感じ尽くす
③②の自分に、愛のある言葉を掛けてあげる
④①の時、どう我慢したのか?そして、本当はどうしたかったのか? 
です。

 


①~③はゼロフラットクリーニングの要領です。
この私が神様に教えてもらった、
トラウマや大きな心の傷、コンプレックスなど、
自分を苦しめているなという思いが出て来た時に、
また同じ嫌な夢を見る場合にも、絶大な効果のあるクリーニングですので、
近い将来ご紹介します。


『我慢日記』ですので、
④の何を我慢したのか?  
  どう我慢したのか?
  本当はどうしたかったのか?
この部分が、『我慢日記』のメインとなります。

 


イライラしたり、不快になったり、悲しくなたっり、つらくなたったりなど感情が出てくるのは、
被害者意識・不平不満・すね・ひねくれ・自分責めが心の奥に潜んでいるから。
そんな潜んだ“想い”を放置していては、いつまでたっても自分が自分を苦しめたままになります。
だからこそ、
「”自愛”の土台作りを阻害する”負”の波動を発生している考え方・思い込みを見つけいきましょう!」
という”自愛”への”気づき”が欲しいんですね。
”気づき”に手がかりになるものをあぶりだす方法としてお薦めするのが、

『我慢日記』です。

 


日記として紹介はしましたが、
習慣になってくれば、わざわざ書く必要はありません。
しかし、書いた方が自分がより知り・理解できるという方は書き続けてみてください。
書くことで①~④の要領が自然に出てくるようになると、
日々の生活の中で、書かないでも怒りやイライラ・すねなどの感情が顔を出した瞬間に①~④ができるようになりますので、
すると、もっと楽に自分を知り、自分と”調和”し、人とも”調和”もしやすくなります。

 


でも、何を我慢しているのかわかりませんとおっしゃる方もあります。
我慢という感覚がない、どういう”感じ”が我慢なのかもよくわからないという・・・
これは、自分自身が後天的に作りあげてしまった世間体や経験・知識などの思い込みや固定観念にどっぷり浸かった自分の中の”姑”さんが
どっかりと頭の中に居座っている状態になっているからです。
だから自分らしくと言っても、自分がわからなくなるのも当たり前。
むしろ、それを続けてやっている自分を褒めてあげないといけません><

 


まずは、何に我慢しているのかを自分に問いかけるために、
我慢していることを知るために、
チェックしていただきたいポイントが3つあります。


この3つのポイントとは、
今まで生きてきた中で自分自身が知らない間に作ってきた思い込みや固定観念の強い”姑”的考えがベールをかぶって存在しているということです。性格のせいではありません。後天的に自分で作ってしまったものです。
その”姑”的考えに自分が浸かっていたり、
”姑”的考えが自分の上にずっと覆いかぶさっていると、
”本当の自分”がしている我慢を、我慢として認識させないようにしてしまいます。
いわば、「だまっとれ」状態ですね。
だから、我慢していることがわからない、自分らしくがわからない、
自分の我慢ポイントがわからないという現象が起こっているのだと


まずは理解しておいてください^^

ここで、「我慢ポイントがわからない」って更に悩んで自分を苦しめる必要ないですからね。
我慢ポイントがわからないって悩んでいたら、
何のために我慢ポイントを探そうとしているのかって、逆効果にしかなりませんからね★
(あくまで、「我慢ポイントがわからない自分がいるのね」と自分を理解するだけでOKOK!
 今の自分の状態を理解するだけで、すでに”自愛”なので、悩むなんてナンセンスです!!)

 


さてさて、3つのポイント。
我慢ポイントを探しにくくしている3つのポイント。
この3つを説明していきます。
では、1つ目から^^

 

 

このブログを読んでくださっている方は、
優しさも生真面目さ、輪を保つ自分を律する忍耐力、を持っておられると思うんですね。
そして傷つきやすくもある。だから傷つくのが怖い・嫌いでもある。
そんなあなたに思い出してもらいたいなってことがあるんです。

 


それは、私たち日本人が幼い頃に身に着けた、教わった道徳観です。
マナーというより、道徳観です。
世間体も若干入るとは思いますが、道徳観です。
今持っている固定観念・思い込みにつながっているものです。
今の日本で、人と共同生活を送る上で、大切だと教わることがらです。

 

 


さあ、物心がついた頃、幼稚園や小学校時代に戻って、
家族やお友達、他の人に対してどのようにしましょうと学びましたか?
まだ、記憶しているということは、しっかりと身についているということです。


できるだけ沢山、挙げてみてください。

 

 

 

私が思い浮かぶものとしては、


・人の嫌がることをしない
・人の嫌がることは無理矢理にさせてはいけない
・人を傷つけてはいけない
・人に迷惑をかけてはいけない
・相手の気持ちを考えましょう
・相手の立場になって考えましょう
・相手を理解する気持ちを持ちましょう
・人を大切にしましょう


こんな感じが思い浮かびます。
いかがですか? いろいろ思い出してみてください。
そのほとんどが、「対人」なんですね。
まず「人」「相手」に対してどのように接したらよいのかを学んだと思います。


”自愛”に取り組んでおられる方なら、ふと思ったはず!
「私、どこいってん~~~!!!」
「私、おらんぞ~~~~!!!」 と、関西弁ならこうなります。

 


そうなんです!
自分は?なんです。
「対自分」はすでに身についていることが前提になっています
自分を先に考えない教えなんです。
だから、「対自分」を十分にやってこなかった人が、

自分が自分に対して、命令形・指導形ということから学んでしまうと、
自分に対して厳しい厳しい視点を持ってしまうという「教え」になります!!

 


「私」が「私」に対しては、”自愛”ができていること前提での教えになっているので
「私」に対しての、命令形・指導形なんですよね。
それでは、自分に対して厳しくなるのも当たり前。
”自愛”できないままで社会生活のためにと学んでしまうと、対「人」に傾倒していき、対「人」を重んじるために
ますます自分には厳しく、自分を締め上げて・・・・もっともっとと締め上げてとなります。

 


こんな風に、”自愛”する前に、「人」のために自分に厳しくなる思考を小さい頃から育てしまうとなると、
結局、世間体や慣例・常識などの固定観念・思い込みが自分の頭を占めてしまい
「いい子」の理想を作り上げて、それにになろうとしてしまう。
”自愛”を知らないままの”姑”的な考えが頭を占領した小さな子供たちです。
いわば小さな”姑”が沢山生まれてしまうことに繋がるんですね。
その小さな”姑”が大人になるのですから、
大人になっても自分の中にある”姑”が自分の頭の中に同居しながら、
自分をいつも自分で見張っていて、いつも自分を裁いてもいますし、
また、自分の心に蓋をしたり自分の心を知ることもなしに、ただ我慢しているのですから、
幸せを感じる心が鈍感になったり、心が半開き状態になるのも仕方ありません。

 


「人」のために「私」に対して、”そんな厳しい目を持ちづつけて幸せになれるでしょうか?”
「人」のために「私」に対して、”ちょっと厳しすぎではないですか?”

これでは、苦しいですよね。
「人」のためにへの心が行き過ぎてしまうと・・・

 


だから、その教えを忠実に学んできた生真面目で優しいあなた(昔の私も)は、
「人」を優先する頭になっていたので、
やることなすこと、それは自分のためにやっているのではなく、人のためにやる、他人軸が強くなっていました。
すると、
やることなすことすべてのことは、
「人」のためのついでに「私」のために、
もしくは「私」はつらいけどそういうもんだと思い込ませて
少々無理矢理にでも「私」にやらせる習慣がつくようになっていました。

 


こんな風に対「人」への教えをやっていくうちに、
いつの間にか、知らない間に 自分<人 という、
悲しいかな「私」を後回しにして「人」が先という過ぎた状態が普通になり、
自分に染み付いてしまったということです。
その点を自覚していただきたいと思うんです。
自覚するだけで、変わっていきますからね^^

 

 

 

どんなに人を大切に想う心があったとしても、
その人は、まずその人を愛します。
あなたが、その人を愛してあげなくても、その人はその人を愛しています。
だから、あなたはあなたを第一に愛してあげていいです!!
その人が独りになるとか、その人に悪いとか、怖れないでいいのです。
そして、あなたが独りになると怖れないでいいのです!
あなたの心から発する波動に合った人が、必ず引き寄せられるですから

 

 

その人はその人を愛し、
あなたがあなたを愛してこそ、
お互いの心の器から溢れた”愛”がうまく循環するようになる。
その人が、子供であっても、パートナー、両親であっても。

 

 

 

自分>人  にするのは、先ほどとは逆に考えてみると、
(人を自分よりも存在価値を小さく見たり、”慈愛”しないって意味ではいないですよ)
先ほど上に書いた項目はどうなるでしょうか?
自分と「人」「相手」を置き換えて考えてみましょうということです。

 


すると、こうなるのではないでしょうか?

・自分の嫌がることはしない
・自分の嫌がることを自分に無理矢理させてはいけない
・自分を傷つけてはいけない
・自分に迷惑(被害・犠牲・不用はトラブル)をかけてはいけない
・自分の気持ちを考えましょう
・自分の立場になって考えましょう
・自分のことを理解する気持ちを持ちましょう
・自分を大切にしましょう

 

 

こういうように変換されます。
小さい頃に学んだ道徳を振りかえることができますよね。
振りかえるともっといろいろな 自分>人が出てくる方もあると思います。


どきっとされる方もあるはずです。
「人」「相手」にしているけれど、「私」にしてないと。

この”自愛”が忘れさられている状態では、
健全な”慈愛”をしようにも難しい、もしくは長くは続きません。
結局、いつかは疲れてきてしまって、
犠牲心・被害者意識・すねなど不平不満を含む”負”の波動を発生する考え方に繋がっていきますから。

 


だから、被害者意識やすねなど”自愛”の土台ができにくい方は、
この上に書いたような「私」への意識をより持つことで、
自分自身に我慢させていることが、どんなことかを自覚しやすくなると思います。

 


そして、口をすっぱくして言いたい!
自分>人の“自愛”の考え方でいいんです★
自分>人
の”自愛”をすることは、人のためにもなっているんです★★
罪悪感を持たずに、自分>人でいいんです★★★

これが、逆転してしまうと、いつも自分が後回し、いつも自分はどうでもいい存在として、
自分をぞんざいに自分で扱ってしまって、結果他人からもそういう扱いを受けるようになります。

 


ピンと来る人には、ピンとくるはず。
”「私」が「私」を”という”自愛”をすっとばしてしまい、
自分<人 になるから、愛の飢餓状態となり、
「人」に愛して欲しい、
「人」に大切にして欲しい、
「人」に理解してもらいたい
こんなように「人」に対しての要求も大きくなり、
心が愛に飢えている状態もどんどん深くなっていきます。

 

この「愛に飢えた」という心の状態が、
「愛に飢える」人から愛されていない現実を引き寄せるという宇宙の法則通りに繰り返されます。
そして、お互いに愛に飢えていますから、依存しあいになり、長続きは難しくなります。
また、”愛”の波動には、豊かさ(物質的・経済的)が含まれています。
だから、豊かさも人を通じて神様からもたらされますから、
愛に飢えた状態であれば、本当の”豊かさ”も遠のいてしまうことに繋がります。

 

 

だから、自分>人 が大切なんです。
あなたのために、そして周囲の人ために、 
自分>人 を許していいのです。

 

 

 

人を傷つけてはいけないと思って、自分の心を傷けてはいけません。
人に嫌われるのが怖いと思って、自分の心に無理をさせてはいけません。
人に迷惑を掛けてはいけないと思って、自分の心がhave toで縛ってはいけません。
いい人になろうと思って、自分の本当の姿を偽ってはいけません。

 

 

まずは、もっともっと「人」より「私」という意識を持っていただければと思います。
「私」が「私」の人生を生きるために、「人」という”自愛”を気づかせてくれる配役が存在しているんです。


「私」が主役!

あなたの人生では、あなたが主役。
誰かの人生では、その誰かが主役。
だから、この世はみんなが主役になっているということ。

 

 

主演は遠慮する必要ないんです! 配役に気を遣わない方が、うまくいくんです!
主演は、大根役者でもいいんです!上手くなくってもいいんです!
上手な役者にならないでも、味のある(愛深き)役者であれ!→神様視点はこちらです^^

 


一つ目のポイントは、自分>人 で、覚えていただきたいと思います。


次回は、残りの2つのポイントをお伝えします。

                             寧楽感恩

”愛”に戻るだけ、変わろうとしない❤

前回の『我慢日記』について、鑑定の時には質問をもらいますが、
ブログにはコメントがないので、みなさんわかってくれている?!なんて思っています。
少し気になる点はあったりしますので、
今後どこかで、早めにお伝えできればと思います。
で、今日は、被害者意識や我慢とは違った、”自愛”姿勢についてお話したいと思います。

 

無理しながら「変わりたい!」って頑張っている人に、
その変わろうという気持ちは、逆効果かもという問いかけと、こっちの方向が楽に変われますよというアドバイスいなるかなと思います。


さてさて、
このブログを読んでくださっている方は、
悩んだり、苦しんだり、辛かったりと、
いろんな思いを持ちながら、
”自分と向き合おう!”という自分のための決心をしてくださっている方だと思います。

そういう方だから、
人を責めることも人のせいにもせず、
自分が何とかすれば、
原因は自分にあると、
自分が変われば変わっていく、
そんな風に、前をしっかりと向こうと健気な心をお持ちです。
そんなあなたを、まずはしっかりと自分で「褒める!」、自分で「認める!」ですよ❤
「よくやっているね~~~❤」ぎゅ~~っと”愛”の波動で自分を心の中で包んであげてください。


そこで、ちょっと注意があるんですね。
「変わる」ことと、「戻る」こと、
これがごっちゃになると、自分を苦しめることになるからです。


昔の私がそうでした。
”負”の考え方の塊、つまり”自愛”が出来ていない状態だったので、
その自分を私は、
自分自身が間違っている、
自分自身の考え方すべてがおかしい、
自分自身を変えないといけない、
と思っていました。”負”の波動を発生する考え方・思考癖・捉え方・思い込みのある自分の存在自体を全否定しようとしていました。

その考えは、”自愛”が身につくにつれてわかったことなのですが
自分自身が間違っている→ 自分否定 → きゃ~~、反”自愛”><
自分自分の考え方すべてがおかしい → 自分否定 → きゃ~~、反”自愛”><
自分自分自身を変えないといけない → 自分否定 → きゃ~~、反”自愛”><

もう、きゃ~~、反”自愛”>< のオンパレードです。
自分の幸せにのためにとやっているのに、やっていることは「自己否定」のオンパレード。
これでは、何をやっているのか・・・・

痛みを無くそうと副作用のある薬を服用して、副作用まで出て大変な状態と同じ!!


それでは、「やっているのに、全然幸せになれない!」はずなわけです。
やってもやっても芽が出てこないと、自己不信にもなりますし、悪循環なわけです。


「自分をなんとか幸せにしてあげたい!」そういう思い、
その思いで、自分と向き合い、もっと幸せになりたい、
その自分を大切に想う”自愛”からの出発なのですよね、みんな❤
その思いとは自分への”愛”です。


自分への”愛”を全うするために、
「自分否定」をしながらでは、
エンジンとブレーキを踏んでいる状態なので、
なかなか”自愛”が進んでいかない。

ここまでのお話、理解していただけましたか?


それでは、どうしたらいいか?なんです。

 

 

「自己否定」をしないで”愛”するって?なんです。

 


と言っても、ピンとこない方もあると思います。
私が数か月前にサイドバーに追記した内容と関係があります。
(その方法を自分で探したい方は、サイドバーの内容をヒントに見つけてみてください^^)

 

 

 

 

 追加するとか、変えていくとか、そういう方向ではありません。
そう、”私に帰りなさい♪”の魂のルフランのフレーズが頭をよぎった方、
その方向なんです。

 

 

 

”愛”に戻る

 

 

”愛”の波動が拡大されている大きな大きな宇宙から見れば
小さくて小さくて素粒子程度の規模しかないかもしれない私たち人間一人一人ですが、
その存在というのは、宇宙で唯一無二であり、同じものはなく、プライスレスなんです。
その「存在」は絶対的なもの。

だから、、私たち一人一人はすでに命という魂を持って生まれているので
「存在」自体の追加とか、「存在」自体の変質(変わる)というのは、
ありえません。

 


でも、私たちがこの世で生きているうちに、
反”自愛”となる考え方や常識・習慣・知識・経験・世間の価値観など、たくさんのことを身に着けてしまった。
近しく一番影響のあるところは両親、環境もあるけれども出会った人たちの思考を身に着けてしまった。自分を守るためであれ、怖さから逃れるためであれ・・・


その生きている間に身に着けてしまった反”自愛”の原因=わたし向田的に言いますと、自分の中の”姑”が、
この”姑”が「本当の自分(魂の親と繋がっている命であり魂)」を抑えつけて、
「本当の自分」よりも”姑”が生きているようになっている、それが問題なわけです。
(”姑”という縛ったり・制限をかけたり・強制したりなど、一般的に私がわかりやすいイメージ、そしてそんな自分を更に否定したり嫌に思ったりしないために”姑”という言葉を使っています。決して、”姑”さんを攻撃しているのではないですから、ご了承ください。)

 


「本当の自分」は”愛”は、宇宙の愛の一部ですから、そもそも”自愛”できて当然。

その反対に、
”姑”は、自分が生まれてから後天的にこの世で作り上げられた・刷り込まれた、虚像なので、宇宙の”愛”の一部とはいかない。本当の自分である魂と繋がっているようで、繋がっていないのです。


少し難しくなってしまいましたが、
「本当の自分」は、宇宙の”愛”の一部なので、自分も”愛”。
もともと”愛”波動で出来ているんです。


だから、そのもともとある”愛”の波動に戻ればいいということ。
そのためには、
この世で勝手に刷り込まれてしまった自分を苦しめる”姑”的な考えを辞める
→そもそもの”愛”そのままの自分に戻れますよ!
→宇宙の流れにも逆らわず、自分の人生の流れもよくなりますよ^^
というお話です。


だから、”姑”の自分(反”自愛”的考え満載の自分)にさよならして、
”愛”の一部である自分に戻りましょう!ってことなんです。


赤ちゃんの時って、世間と触れる時間が短いから”姑”的考えって持っていないんですよね。
笑って、自分の好きなことをして、でも愛されて・・・・
そのままでも愛されていた・・・

その状態に”戻りましょう!”ってことなのです^^

だから、無理をして他の人のようになる必要はないし、
無理をして自分を「変える!」って意気込む必要もない。
自分にただ戻る・・・・・最初は勇気が必要かもしれませんが。

 


またまた長くなりますが、
では「変える」って何か?ってことです。
「変わろうと努力しているのに!」という声が聞こえてきそうです。

上で書いたように、「自分に戻る」。
”自愛”できていないなって思う人は、一旦「戻る」です。
「変える」とは違う。

 

 それは、

”自愛”体質になって、自分の命を輝かせる流れに乗るため何をすればいいのか?ってことに繋がります。

 

 

 

”姑”的思考を減らす(同時に”姑”からの長い間のプレッシャーで心がクローズ・疲れている人は、クリーニング・我慢日記・責め日記も)


↓①反“自愛”になる”負”の波動を発生する考え方・思考癖に”気づく”

↓②”自愛”になる”快”の波動を発生する考え方・思考癖を身に着ける


「本当の自分」に戻る(”自愛”している愛に戻る) → 自分の心の声が聞こえ、自分の命を輝かせる流れに乗れる★

 

 

 

結局、私が神様に、「何をすれば幸せになる”自愛”を身に着けるのに近道ですか?」と聞いた答えが上のような感じに、シンプルなんです。

私もずっと、いろんなやり方を自分で試していますので、どんなことを、どんな順序でやればいいのか?って本当に十何年もかけてやっているような、神様からすれば愛しい物分りの遅い子でしょうね。アホほどかわいいとも関西では言うので^^


自分という存在自体とか、人間自体を変えることは必要ないのがわかりますよね。
私もブログで「”気づいて”変わりましょう!」と書いていますが、
これはあくまでも、①と②のところなんです。
それも、①と②というのも、ネガティブをポジティブに変えましょうではなくって、
”自愛”していないのを”自愛”しましょう!って自分に優しく、自分を大切に、自分に愛を!ってことなんです。

 


ほんと、すごくシンプルなんです。
だから、自分が今どの状態かによって、自分が今何をしたらいいのか?が見えてくると思いますし、何に力を入れればって対策の方向が見ててくると思います。

被害者意識が少なく、我慢が少なく、”自愛”が出来ている人って、
心がオープンしているので、波動がすっきりしている、そういう人は②のところまである程度で来ているんですよね。
だから、そういう人は、仕事を含め、何をしても楽しいし・幸せを感じるし、充実した毎日を送ることが出来ています。

 


”自愛”が出来て、はじめて”慈愛”ができますからね。

 


だから、まず自分が”愛”に戻って、自分の命を輝かせていきましょう! 
そして、
「変わらなければ!」と気合入り過ぎでどどんと重く思った時点で、もう自分に無理させている反”自愛。「変わっていない」って自分で自分を責めて、また反”自愛”にもなります。(「変ったほうがいいな、や~ろうっ♪」って軽く思えるなら反”自愛”になりませんからね。)
だから
「今まで我慢しすぎたから、ゆ~~~~~っくり自分のペースで戻っていけばいいよ❤」と
自分をねぎらいながら、愛していいって許可を与えてあげてください。


宇宙の法則や引き寄せの法則、考え方を変えて幸せになっていこう!と励んでいても、
なかなか現実が変わらずに、「どうしてなの?」と考え込んだり、落ち込んだりする考え癖の方は、”できない自分を責める”という反”自愛”なので、
または”できないからと拗ねる自分を作る”という反”自愛”なので、
ますます”自分を責める”未来を創ってしまいますから、まずこの悪循環を知ってください^^それだけでも、「あ、こんなことでも自分を愛せてなかった」とちょっと”愛”に戻っているのですから❤
ちょっとずつ”愛”に戻ってください❤ 


                                       寧楽感恩  魂のルフランを聞きながら♪

”開こう!”自愛❤のための●●日記

今年が始まりもう2週間ほどが経とうとしています。
喪中のためのお年賀を今年は控えさせていただきました。
寒中お見舞いを申し上げて今年のご挨拶をさせていただきます。

 

1月になり新しいスケジュール帳や日記で
心あたらに出発されている方も多いのではないでしょうか?

 

 

今日は私がセッションでもご紹介している日記の付け方をご案内したいと思います。
ずばり一番の効能は、脱被害者意識!→自愛の前提なる土台を作り、自愛体質へ! 
また別の効能として、本当の自分の思いがわかるようになる!オープンになれる!
総じて、愛の波動が上がり、”快”の波動も上がり、より自分らしく幸せに生きていけるようになります^^

 


昨年から「すね・いじけ・ひねくれ」から引き起こる被害者意識と”自愛”についてお話をしていますが、
日々の中で起こっている些細な被害者意識を見つけてあげないと、
自覚がないままだと変わろうたってなかなか変われない><


被害者意識を持ってしまう人の共通点としては、
真面目
人のことをちゃんと考えて言動できる
迷惑を掛けてはいけないと思っている
「できる」や完璧を目指そうとする
いい人をやってしまう
道徳的・美徳的が高い
他人軸
といったように自分で自分を束縛しながら反”自愛”で生きることに慣れてしまっている。

すると、ずっと「美徳・道徳」感を大切にして、他人を大切にして、自分の「心」を後回しにしてしまって生きてきているので、
「美徳・道徳(姑の自分)」を優先にし、自分が自分でもうわからない(自己迷子)、
自分で自分を無視するのが普通になっている(無気力・無関心・無感動・生きている感がない・やりたいことがわからないも含む)
という状態が普通なので、本当の自分の声が出てこない状態に!!!

 

これが被害者意識がもたらしてしまう「クローズ」現象です。
前回のブログで書いた、「開き感」「抜け感」がない状態、籠ってしまっている状態です。http://neiraku123.hatenablog.com/archive/2017/12/25

自分が自分を閉じ込めているならまだしも、自分が居ない状態にしてしまっている状態とも言えます。反”自愛”ですね~~


すねて、いじけていると
「もういいもん!ほっておいて!」と子供も言いますよね。
ほっておいて幸せならいいのですが、つらくなっていくんですね><
それを自分自身でやっている「クローズ」現象です。

 

だから、被害者意識をやめていきましょう!というお話を長くやっていますが、
それを脱出するためには、
自分が●●していることに気づいてくださいねというお話を前回ブログでお話しました。


その●●


思い出してもらえましたか?

 

 

●●は、我慢です。

 


不平不満になる前に自分が自分にしていること、我慢です。


我慢をするから不平不満が溜まってしまう。
我慢をするから体も疲れていってしまう。
我慢をしていることもわからなくなって麻痺してしまう。
自分で自分の心に蓋をしてしまうことになるんですね。
我慢しているからって、相手や状況に文句を言っていけ!ということではありません。


”自愛”ができるようになるための、我慢探し。

 

 

自分でコツコツとできる我慢探し方法として、
『我慢日記』をお薦めします

 

 

方法としては4コマ漫画ではありませんが、
4つのことを書いていきましょう!


【『我慢日記』の書き方】

方法としては4コマ漫画ではありませんが、
4つのことを書いていきましょう!

夜寝る前、時間が空いた時、いつでもいいです。
自分の心に寄り添う”自愛”の時間になりますから、
自分の心が向くときにやってみてください。

①~④を瞑想のようにするのもありはありなのですが、
書くということで、書いている時間を通して、より自分の心が鮮明になります。
書道の先生でもあるのですが、書くことを大切にしていますが、
やはり書くと違いますよ^^自分とより対峙しますから!


●どんな場合が我慢なの?
 ・嫌なだなと思った時
 ・イライラしたと思った時
 ・遠慮をしたと思った時
 ・うらやましいと思った時
 ・ずるい~~~と思った時
 
 不平不満が心に湧いた時が基本となりますが、
 心が重たくなる(”負”の波動を発生する)出来事が起こった時、すべてです。
 
 人によっては、「いい人」が板に着きすぎて不平不満も出てこない(ちょっと我慢度高すぎ)な方もあるでしょう。
 そういう方の場合には、感情の振れが少ないので、、疲れたと思うことや、どうしてこんなに無関心なのと自分が不思議に思うこと、
 腑に落ちないことが出て来た時、それが我慢の合図だと思ってもらって構いません。
 

●具体的に書いてみよう!

①体験した出来事・事実
②①の湧いた感情を感じ尽くす
③②の自分に、愛のある言葉を掛けてあげる
④①の時、どう我慢したのか?そして、本当はどうしたかったのか?


大きくこの4つです。
以前セッションでクリーニング法を聞いていただいた方には、ピンとくるかもしれませんね。①、②、③の部分は、ゼロフラットクリーニングの要領です。
この日記で大切なことは”自分の我慢ポイント”を知って、自分がどうしたかったのかを感じるためですので、④がメインになります。


①体験した出来事・事実
自分の感情を入れずに、出来事や事実だけを淡々と書きましょう。
ここはまだ感情をれないでね^^


②①の湧いた感情を感じ尽くす
体験したことで湧き上った自分の素直な気持ちを感じ尽くしてあげましょう!
不平不満を含めて、嫌だな・イライラ・遠慮してしまった・うらやましい・ずるい などなど 
心がすっきりしない、ひっかかる思いを出し尽くしましょう。
誰かに見せる日記ではありませんから、
ここぞとばかりに汚い言葉でも、トランプ大統領なみに毒舌を吐いても構いません!

 

不平不満を言ったり、”負”の波動を発生することを言ってしまうとブーメランしてしまうという宇宙の法則を真面目にやっておられる方ほど、この②がやりにくいと思います。
”自愛”のためにするのですから、ブーメランしません!!!安心してください!

 

それよりも、ずっと心に悶々と溜めている方が、ブーメランとして返ってくるように宇宙の法則を発動しますし、思ったことは現実にあるので、
悶々と溜めこまないためにも、この②はとことんまでやってみましょう。
人によっては、「私、こんなに汚い言葉が(思いが)!」と自分でびっくりされる方もあります。
それくらい人って、知らない間に溜めてしまうこともあります。
溜めていいのは愛と幸せと貯金だけです★だから、しっかりと出し切っていくことが重要ポイントです。


③②の自分に、愛のある言葉を掛けてあげる
”自愛”があまりできななと思っている方であれば、どういう言葉を掛ければいいのかと迷われると思います。
そんな時には、
・ねぎらいの言葉→これとても有効
・②の自分に掛けてもらいたかった言葉
・我慢させてしまった自分への謝罪
この3種類を考えてもらえれば、その時の自分にとって”愛”のある言葉を掛けてあげることができます。

 

ここで、決して
「○○したらよかったのに」という自分を責める言葉
反省を促す言葉は逆効果ですから、優しく温かく、菩薩様・女神様になったつもりで”愛”のある言葉を。

 

あと、もう一つ注意ですが、
”褒める”言葉はちょっと違うんです。
今やっていることは、すね・ひねくれているという被害者意識を手放していくことをしているので、”褒め”は、もうちょっと先でやることです。


すねている子どもに、”褒め”てもすねているままの心の状態ではしっかり届かないですよね。
”褒め”言葉をいっても
「そんなん、口だけじゃん」
「本当はそう思ってないんでしょ」
「この場を取り繕うために言っているんでしょ」などなど
さらに変な風にすねて捉えてしまいますので、あまり効果がありません。

だから私は、
『褒め日記』よりも『我慢日記』をお奨めしています。
『褒め日記』を書いていても、自分が本当にそう思えないのに褒めていたり、
褒めることに無理をしている人が沢山いらっしゃいます。で、結果も出てこない。
すると、褒めている自分と本当の自分との矛盾で、更に自分を苦しめてしまう・・・・
これでは『褒め日記』にならなくなってしまいますので、
あくまで、被害者意識が強いなと思っている人は、まず『我慢日記』からです^^


④どう我慢したのか?そして、本当はどうしたかったのか?
①の出来事・事実が起こった時、
まず、何を我慢したのか?どう我慢したのか?など、自分が我慢した内容
その次に、自分が本当はどうしたかったのかを自分に聞いてあげましょう
「・・・・我慢した。本当は、・・・しかたった」といったように。


「行きたくないのに我慢して行った。本当は家で寝ていたかった」
「(パートナーにイライラしたのは)私と向きあう時間を取ってくれないのを我慢していた。本当は、一緒に話をする時間が欲しかった」
「あまり仕事をしていないけれど、調子よく楽しく働く同僚をずるいなと思って我慢して見ていた。本当は、私も同じように調子よく楽しく仕事をして、さっさと帰りたかった」などなど、
この④の我慢している内容は、遠慮したこと・ずるいなと思ったと・羨ましいと思ったこと・嫌だなと思ったこと、直接的な我慢だけでない場面でも多く見受けられますので、心が重くなったり、ひっかかること、腑に落ちないことが起こった時には、自分に寄り添ってあげる時だと思ってみてください。

自分が何を我慢したかがわかっていない状態で、どうしたかったのかを知るって難しいんです。だから、自分が何を我慢、どう我慢したのか、その我慢ポイントを探してください。
どうしたかったのかを思うのは自由です!自由という”自愛”です。
自由に思えないように自分の心に蓋をしてしまうことの方が、反”自愛”です。無関心無感動、自分がわからない自分迷子の最大の原因です。


その時に、叶う叶わない、いい悪い、実行できる実行できないは、一旦横に置いて、
自分の心が「どうしたいのか?」を寄り添って聞いてあげましょう。
変に制限を掛けてしまうと、結局自分がまた心に蓋をしてしまうことになりますので、
ここは妄想?と自分で思っても構いませんから、常識・条件などを考えないで自由に発想してみましょう❤ とんでもなくてもOKです^^


発想をして、対処できることならば”愛”のある言葉で行動したらいいでしょう。
でも、行動が出来ない場合には、一旦自分がどうしたかったということがわかったのでOKを自分に出す。
すると、
本当の自分の想いを知らない反”自愛”からの脱出として、
神様グールグ検索が作動をして、神業を起こしてくれることもありますから。
今ある状態から、何かは変わってきます。

 


①~④まで書いてみました。
④の自分が何を我慢して、どうしたかったかを自分に探究するのは、少し慣れないと難しいかもしれませんが、一度試してみてください。
この自分がしている、心に蓋をしめて自分を反”自愛”したままだと、
神様としては自分を反”自愛”していることに”気づき”なさいよと
結局”自愛”ができる出来事が起こってきます。
つまり、嫌なことやトラブルを引き寄せないための方法でもあるんですね。

 


また、自分の我慢ポイントを知り、考え癖が”負”であれば、
”快”に変える考え方をインストールしてやると対処ができます。
だから、まずは被害者意識を取り除きましょう。

 


今年は『我慢日記』を書いて、どんどん自分を”開いていきましょう!”
「開運」ってって文字が入っていますよね。
自分が自分に蓋をせず”開く”ことによって、自然と自分らしく生きることができるようになると、
宇宙の”愛”と”調和”の流れに乗りやすくなって、
”愛”と”調和”を引き寄せ、囲まれて、どんどんと運も広がっていきますよということだと思います❤

 


『我慢日記』の①~④が自然にできるようになってくると、
自分にはもちろんのこと、
子どもさんやパートナー、その他の人間関係にも同じようにできるようになってきます。
人と関わりの中で、心を開いてもらうならば、相手の我慢ポイントを聞いて、一緒に考えてあげる、
そういう寄り添い方が、自分で勝手に相手の気持ちを推測する他人軸よりも、
相手が”自分で気づく”という”自愛”をベースにした会話に進めていくことができます。


”腹立つ、腹立つ”って聞いても、何に腹が立っているか?なにを我慢しているか?がわからないなら、
解決のしようもありませんから、ず~~~~~っと腹立つことを聞くのも大変ですからね。
聞いている方が、霊的エネルギーを吸い取られるだけですから。


今年一年、一年を通して『我慢日記』を書かないでもかまいませんから
被害者意識の癖があるなと思う方には、せめて三か月続けていただきたいと思います。


①~④で書き方のポイントをお伝えしましたが、
具体的にどうしたらいいのかな?とか
具体的にやってみましたという方がいらっしゃいましたら、
コメントにでも残していただければと思います。
できれば、ブログにてみなさんと共有することで、
読者のみなさんの希望や励みになって欲しいなと思っています。待っています♪


今年を最幸の年にしていきましょう!

                               寧楽感恩


追伸;
旧年中は喪中葉書こそは書きましたが、お年賀はお送りしていません。
が、寒中葉書用に四枚だけ購入しました。
『我慢日記』応援企画として、日記や本に使っていただけるように「しおり」をお届けしたいなと思っています。
一枚の年賀葉書(二枚のしおり;半分に切って使ってください)をと考えています。

ご希望の方は
①住所
②お名前
最低この二点を記して、masami123@hotmail.co.jp にお送りください。
先着四名分です。ご応募ありがとうございました。4名になりましたので終了しました。

もしお時間がある方であれば、ブログの感想など私へのメッセージも添えていただければ幸甚です。

 

 

★大切★ 被害者意識ってどうして起こる?自愛❤の大前提

今年も残すところ1週間となりました。
「今年の汚れ、今年のう~ち~~に♪」ということで、
要らない考え癖をお掃除してもらえればなと今日のブログを書きたいと思います。


私の中では、神様から教わった心のお掃除ツールは大きく二つあります。
私の中では、世紀の発見!というくらいの有難い方法だと思っています^^
一つ目は、ゼロフラットクリーニング、
二つ目が、”脱被害者意識!”の原因、●●していることに「気づく!」


セッションをしたり、メールをしたり、
そして通訳翻訳や書道のお仕事をしていると、
なんだかねちゃっとしているな~、
クローズしているな~、
重いな~、
固ったいな~~
言葉は明るいけれども軽くないな~ 
 などなど”負”の波動を感じることが多くあります。
「抜け感」「弾け感」「開いた感」がないんだよな~って感じです。

 

そういう人ほど「幸せべた」「逆引き寄せが上手」「願いが叶いにくい」体質。
でも、すごく真面目で自分を救って幸せにしたい!という思いは強く、
こつこつ本を読んだり、自分の考え癖を変えようと真剣に取り組んでおられます。
私のブログもその真剣な気持ちから目にしてくださっている方も多く、ありがとうございます❤

 


この「抜け感」の差って何?
どうしてこうなるの?
”快”と”負”だけでは足らない気がするんだけど?
”自愛”してても、追いつかないんだけど?

ず~~っとず~~~っとしつこく問い続けて
やっと答えが! ”自愛”の吸収度合いが上がる素晴らしい方法が!
(私も”自愛”しているけど・・・と、「抜け感」が少ない気がすると思ってた時期がありました)


私の中で、「すっご~~い事だわ!」と感動したので弾けて書いていますが、
心がどんより、苦しい、辛いという方には、さむい人に映ってしまうかもしれませんが、
”脱被害者意識!”のための、●●していることに「気づく!」を書いていきます。

 

 

 

 

自分の心に寄り添ってもらう(これも”自愛”)ために、
上記●●には何が入るか考えながら読んでいただきたいと思います^^

 

 

さて、そもそも被害者意識を減らしていくのが、
なぜ”自愛”の前提になっていくかということを少しまとめますと


被害者意識は、「されている」「させられている」という
受け身的にとらえているので、その心の延長で”しなければならない”という考え方の習慣です。


被害者意識を持ったまま”自愛”をしようとしても、
「されている」という被害者意識が土台にある。

被害者意識という土台のまま自分を被害者として「自分をいじめたまま」に自分がしているのに、
「”自愛”で自分に愛を注ぎましょう!」と愛を注いでも、
土台が、自分いじめのままですから”自愛”にならない・・・・・・ ということなのです。


自分いじめ(ブレーキ)⇔自愛(アクセル)

ブレーキを踏みながら、アクセルを踏んでも、なかなか進まず、エンストする。
このエンスト状態が、霊的エネルギー不足や体調不良、
すね・ひねくれ・いじけ・ひがみ・劣等感・自己否定・存在否定・価値無しの自分などの”負”の波動を発生し続けている心の状態であり、被害者意識の状態です。


わかりやすい直接的な「させられている」という被害者意識はまだ本人が自覚しやすい。
でも、間接的に”しなければならない”と無自覚で思い込んでやっていること、
被害者意識があることを自覚できていないことが一番まずいのです!
(神様が事を起こしてくれるのは、この無自覚の被害者意識や反”自愛”に気づくためです)

 

 


かくれ何とかというものが、一番自分で見つけにくいですよね。それと同じです。

 


しかし、いつも自分の心・感情の中にヒントは眠っています。
以前に書きましたように、被害者意識の心には、すね・ひねくれ・いじけが共存しています。
つまり、このすね・ひねくれ・いじけが出て来た時が「脱被害者意識」チャンス!ということです^^

 


嫌なことがあって(お母さんに怒られるなど)すねてしまった子供を想像してみてください。
どうせわかってくれないもん!
私なんていない方がいいんだもん!
どうしてわかってくれないの?
怒られるが嫌だもん!
言っても無駄だし・・・ などなど、すごくすごくすねている。
きっと覚えが誰にもあるのではないでしょうか^^


そのようなすねている状態で、お母さんが愛情のある言葉を掛けても、
すねている子どもには何も届かない、入っていきませんよね。返ってこじれる場合も。
すねている状態が収まるのを待ってから、言葉を掛ければ、同じ言葉でも愛のある魔法の言葉になります。あら不思議❤


このすねの心の状態を自分の中で、自作自演しているのです。大人のすねです。
すねてないつもりでも、すねの被害者意識が続いている。
インナーチャイルドとは違いますよ。今もすねているので)


すねが心にあって、自分なんか・・・どうせさ・・・といういじけが心の底にあるので、
それが宇宙の法則でより現実化していくので、さらにすねたくなるような現実がやってくる!!
なんてこと!!!>< という悪循環なんですTT

 

 


だから
もう、すねるのやめようね❤
と伝えたい。自分が苦しむだけだから・・・”自愛”の反対だから。

すねさせたままほっておいて、ごめんね❤
と自分を抱きしめて、”自愛”してあげたい。

 

 


どうして、被害者意識(すね・いじけ・ひねくれ)が発生するか?


例えば
●家事を夫が手伝ってくれない(だから私がしなければならない、忙しさをわかってくれない、私ばかり・・・)
●会社でいつも私ばかり忙しい(だから私がしなければならない)

 


この2つを見てもわかるのですが、被害者意識になるには順番があります。

 

「私がしなければならない」と被害者意識になる前にはどんな感情があるでしょう?

手伝ってくれない、自分ばかり忙しい、自分が好きなことができない買えないという「不平不満」。
この「不平不満」がもっと大きくなって、「怒り」「悲しみ」にも。

 


「不平不満」を抑えれば被害者意識がなくなるのですか?という質問が来るかもしれませんが、
自分の心を抑え込んでしまうということは、自分の心に寄り添う”自愛”には反してしまいます
”自分にそんな不平不満を言うな!”とは、厳しすぎますよ自分に、それでは涙です><


”自愛”的に自分に対応するならば、
どうして不平不満を持ったの?」と自分に寄り添ってあげること。
どうして怒り を持ったの?」と自分に寄り添ってあげること。
どうして悲しい と思ったの?」自分に寄り添ってあげること。


この「どうして」がポイントなんです!
つまり、何か理由があって、「不平不満」や「怒り」や「悲しみ」に繋がったのです。
だから、この「どうして」となるものを、見て見ぬふりをしてしまうと、
また同じ苦しみがやって来てしまうことになります・・・見て見ぬふりをすることは”自愛”できてないから・・・神様のエンドレスラブで見る=“気づく”まで似たことが起こります。


この「どうして」という「不平不満」の心の奥にあるものが
実は、脱被害者意識の鍵を握るブログの冒頭でお話をした●●です。

 


どうして「不平不満」を持ったの?
どうして「怒り」を持ったの?
どうして「悲しみ」を持ったの?
この奥に共通するあなたの心・・・・・
このあなたの心に”気づく”ことが無い限り、ずっと続いいてしまうんです。

 

私が神様からもらった●●は・・・

 


我慢  です。

 

 

我慢させている自分に”気づく”ことのない限り、ずっと続いてしまうんです。
自分を我慢させて、ずっと自分を粗末に扱い、幸せになれないように縛っている反”自愛”。

 

正直、この答えをもらった(たどり着いた)時には、拍子抜けしました><
だって、あれだけセッションをしたり、人と接したりしている中での「抜け感」への疑問が、こんなシンプルなことだったなんて!!!目から鱗でした。
我慢ですねていることが、引き寄せや自愛できない体質の原因だなんて!!!
(西洋の人やワンパクやんちゃな人、”いい人”でない方が、引き寄せ上手な幸せ”自愛”体質なわけなんですよ、ほんと、とほほほ)

 


これが被害者意識の根本原因です。
セッションをしていても、みなさん問題を抱えておられて、不平不満や悲しみ、怒りといった感情はすごく実感されています。

でも、自分がその感情がなぜ起こっているのか?
更に、自分が自分に何を我慢させているのか? に心を向けておられる人はほとんどおられません。

 

きっと「不平不満」や「怒り」は、ネガティブだと思って思ってはいけない感情として
どこかで入れてしまったためか、自分の心を縛っておられるからでしょう。
「不平不満」で終わるのでなく、
その奥にある自分に「不平不満」を抱かせている「我慢」している思いに寄り添うことで
はじめて”自愛”となります。

そして、「我慢」を知るだけでなく、その上で「我慢から自分を解放してあげる」ことも”自愛”です。
そして、「我慢から自分を解放してあげる」というならば、「本当の私はどうしたい?」と自問をして、
自分の希望を叶えてあげるようにしてください。


時によっては、「本当の私はこうしたい!」と思っても行動となるとできないこともあるでしょう。
その時には、自分に対して「本当はそうしたいだね!わかったよ❤」と寄り添うだけでOK、”自愛”です。
すると、神業も起こりますし、違うタイミングで希望することができるようになったりしますから、自分の我慢している心に寄り添えたことだけに焦点を当てていれば大丈夫です❤

そこで「本当はそうしたいと思ってもできないじゃん!」とすねて、また我慢してしまうと、反”自愛”になり、元の木阿弥ですから要注意です★

 

 

先ほどの例を見ると、
●家事を夫が手伝ってくれない(だから私がしなければならない)・・・不平不満
         ↓
 私も疲れているのに手伝ってくれないのにやっている・・・・我慢
         ↓
 疲れている時くらいはやらないでい~ようっ❤・・・本当の自分の希望


●会社でいつも私ばかり忙しい(だから私がしなければならない)・・・不平不満
         ↓
 私も本当はやりたくないだもん!!・・・我慢
         ↓
 人の評価を気にしないで、断ったり人に頼ったりして自分のペースでやりたい^^❤・・・本当の自分の希望

 


具体的な例がより出せればいいのですが、なかなか思いつかずこんな感じになりました。
私も自分の好きな服が買えない我慢や、話を聞いてもらえなかった我慢や、行きたいところに行けない我慢や、おねえちゃんだから我慢、おとなだか我慢、ダイエット我慢、
認められない我慢、否定され続けの我慢、気を遣い我慢、愛されない我慢、好き(嫌い)だと素直に言えない我慢、病院には行ってはいけない我慢、休んではいけない我慢、欲しいと言ってはいけない我慢、努力美徳優先我慢、涙も我慢 などなど
書くに堪えないしょ~~~~もない我慢も、根性試しのような我慢を沢山して、ひねくれ根性毛細血管まで染み込んでいるのではないかと思う程、一昔前までは被害者意識にどっぷりつかっていました。


それでは、「引き寄せ~~~!!」といくら気合を入れても出来なかったわけです。

 


”自愛”の土台作りは、脱被害者意識から!

被害者意識(すねも入ってくる)→不平不満 →我慢 本当の自分の希望

この流れをとにかく頭の隅に置いていただきたいと思います★


この「我慢出し」は心のお掃除に繋がりますから❤
何十年の「我慢」を年末までに一気に掃除する必要はありません。
自分のペースで少しずつ、心が「不平不満」「怒り」「悲しみ」が出てきたら、
その時がタイミングだと思って、ぼちぼちやっていけばそのスピードで十分★
自分を焦らせるのは”自愛”ではないんですからね。

 

「すねたままでは自愛はできん!」

 

被害者意識からのシンプル脱出法、”我慢”と向き合う、大変大切な”自愛”奥義でした❤


良い年をお迎えください^^

                                  寧楽感恩

「オプション」に頼らない”自愛”

「あなたは、宇宙で唯一の存在なんですよ~」というあなたの存在価値は無限というお話、
初めて聞くなという方には、このブログを読んでいただいてからだと
より今回のブログも腑に落ちていただけるかなと思います。


最近ブログの内容が”自愛”がテーマが多いので、
セッションをさせていただく方の質問やお悩みも”自愛”への質問が多いんですね。

そして、そういう方のほとんどが「頑張り過ぎている自分」を自覚してもらっています。
”気づいて”くださって本当によかった★ 
自覚がないとスルーしてしまいますから。

どうして「頑張り過ぎるのか?」という自分の心と向き合わないと
ず~~~っと頑張り過ぎてしまう自分がエンドレスに続きますから
そんな苦しい生き方から自分を解放してあげましょう^^ということで書いていきます。


さてさて、どうして質問です。


Q.どうして頑張り過ぎる自分がいると思いますか?



自分なりの答えでいいので、
まずは一旦、自分の頭に聞いてみましょう。

 


そういう方にある共通してある意識・考え癖があります。
それはといいますと、


A.第一の理由は、「できる=価値がある」と付加価値主体になっているから。
   つまり、自分の認め方や肯定の基準がずれている のがきな原因です。
 

  そういう人は、 

  ・自分を無条件に認める
  ・自分の存在は無限の価値がある
  と思えない、そう思うことが苦手な方が多い。

  人によっては両方の方、片方だけの方もありますが、
  でも、やっぱり自己信頼度が低いんです。

  だって、「できる」がないと認めてもらえなかったし、褒めてもらえかなかったから><

 

 

私もそういう考えの塊でしたので、
頑張る苦しさがよくわかりますし、
なかなか今のように考え癖をシフトするには時間が
かかった方だと要らん自負ができるくらいです。


私のように、過去の考え癖を頑固に持ててしまう方には
”オプション”(=できる自分に)頼らないという”自愛”をお勧めしています。

 


宇宙のシステムをお話する時に、「人」を「車」に例えることがあります。
”自愛”についても、同様にして例えてお話します。


私であれば、向田工場で生産された「正美」車ということになります。
そして、この「正美」車は、先天的に右足にあたる右後ろタイヤに弱い部分があります。
でも、新車として宇宙服という体をもらってこの世でみなさんと同じ時間を過ごし、寿命まで”自愛”と”慈愛”活動をしようとしています❤


「車」といっても
人を助ける人を喩えると、「救急車」
いろんな人の想いを乗せて動く人を喩えると、「トラック」
家族想いの人を喩えると、「ファミリーカー」
目立つ人を喩えると、「高級スポーツカー」
などなどと、私が勝手に思ったイメージなのでそれぞれのイメージはあると思いますが、
用途や色など多種多様です。時には”車”ごとに癖がありますよね。
人も”車”のように多種多様で「個性」で溢れています。

 

また、この「車」ですが、
「オプション」を後付け できますよね。

ようは、「オプション」として「できる」を増やせる。

本体があって、そこに より便利性を求めて「オプション」を付ける。


でもね、そんなことしないでも 本体はそのままで「完全」な状態なんです★
廃車になるまで、手入れや修理をしながら走り続けることができるのです。

 


これを「人」で考えると、
本体である、あなたは自身は そのままで「完全」な状態で、
寿命が来るまで、宇宙服の体の手入れや健康管理などをしながら生き続けることができるのです。


文字にしてしまうと、心に響くものがなんだか薄れた感じになってしまいましたが、
あなたは、寿命まで「完全」で「完備」した状態で生まれている! 
この事実は絶対なのです^^

 


この「完備」の中には、目には見えないもの ですが、

あなたが寿命まで全うする衣食住を含めた”豊かさ”
その時その時を感じることのできる”心”
困ったときには羅針盤となってくれる”直感”
あなたが命を輝かせることのできる”好きなこと””すぐにできてしまうこと”という「才」
命を輝かせることのできる”慈愛”の”仕事” (報酬に繋がっても繋がらなくても)
その時々に”気づき”を得られるための”人とのご縁”
”自愛”と”慈愛”の活動がより円滑・活発化していくための”人とのご縁” 

というこのような要素。あなたにあなたの神様が生まれた時には見えないけれども、生きていくうちに与えてくれることの決まっているものです。


生まれた時から、必ず誰もが「完備」しているんですね。”完全”な状態なのです❤
時々失敗をしても、あなたが”完全”な状態なのは変わらない事実です!(本人がそう思えないのが問題で・・^^)


だからあなたが頑張って無理して手に入れようとするのは
”完璧”な車の本体を認めないで、
車に後で付ける”オプション”(特に、何かが「できる」自分)で機能で満たそうとしているという
”オプション”が自分の能力だと思っているという思い込み・勘違いなんですね。


上で書いたように、
本来 「あなたが命を輝かせることのできる”好きなこと””すぐにできてしまうこと”という「才」 」を生まれもってくるのですから、
心が楽しい・心地よいということは頑張らないでもやり続けてしまえるようになっているので、
無理して頑張らないでも、打ち込めるんですね。心が喜ぶことならば^^(この”心”になる場合、あなたの進む方向はこっちですよの神様からのお知らせです)

 


この「”オプション”を付けないといけない!」という意識は、
この世の社会に染み付いた人と比べたり・競争したりに慣れてしまって
名誉地位主義・拝金主義・結果や成果主義・パワー主義・能力主義・・・(書いてて疲れしまう主義たち)と言った
後天的に頭に植え付けられた考え方や社会意識から発生したものにすぎません。


でも、”オプション”的な考え になっていくと「できる」を目指すことが自分の価値を上げることになると勘違いしているのですから、
「頑張って認めてもらいたい!」 (他人軸)
「頑張らないと自分は価値が無い人間だ!」 (比較からの卑下)
「できない自分はダメな人間!」 (自責)
などと”負”の波動を発生する考え方に繋がっていき、
卑下・自責と自分を追い詰め、「どうせ自分なんか~」と追い詰めたあげくすね・いじけ・ねたみからの”被害者意識”を強くしてしまうという悪循環をやってしまうんですね。

 


あくまで”オプション”はオプションなんです。
”本体”があってのオプションなんです★
逆はありえない。

 

”オプション”で「できる」を増やさなくてもいいんです❤

”本体”の「できる」を認めてあげるだけでいいんです❤❤

 


生まれてからの環境や社会や世間の常識にふりまわされてしまって
”本体”を大切にせずに、に”オプション”に心を奪われてしまっては
あまりにも”本体”の”自分”が可愛そうなんです。これ、”自愛”ではないですから。

 


ここで”オプション”を得ようとする考えの元になる思いとしては
自分以外の誰か になろうとすること
他人軸で自分に価値が付くと思うこと
・無理やり自分を我慢させてやること
・自己犠牲しながら人の役に立とうとすること
自分の存在価値をあげる ためにやろうとすること
・自信のない自分を隠すため にやること
満たしてもらおうと相手にしてあげること(尽くすなど) など、
要は自分いじめをしたり、自分が心地よくないのにやることになるかなと思います。
自分らしくない ということにもなります。

 

もっとわかりやすい”オプション”としては、

「できる」「すごい!」と言われやすい容姿・お金・肩書き・名誉地位をはじめとして何か「できる」ということなど、目に見えるもので
神様からするとあの世に持っていけない、この世でこの社会でのカースト制度を司る要素になっているものです。

”オプション”で評価されてしまうと、
ずっと頑張らないといけなくなってしまう。「できる」を続けないといけないから。

なぜならそれは、
本来生まれた時の”本体”に「完備」している見えない「才」を含めた自分に蓋をして
他人から「できる」と思われる”オプション”で凌ごうとしてしまうから。



忘れないでいてください!
”本体”だけで「完全」なんですから!
そのままの自分でいいんですから!!(思考癖を変えることはあっても、本当のあなたは間違うことはないのですから)

 


すると
「何か資格とか取らないでもいいんですか?」という質問が出てくるかも知れません。


さきほど上で書いたように、
自分が楽しくて知りたいや勉強したいという気持ちという「自分を楽しませる・喜ばせる」という”自愛”の気持ちからなら
もちろんOkです! これが「才」にあたるものなのですから★
「できる」を証明したいので資格を取るのは”オプション”のためになるので、ちょっと考えものです。


”しなければならない”からの資格取得ならば、自分にとって本当に心に来ないものならば
無理に自分に勉強をさせることになる反”自愛”なので、やらないでいいんです。
本当にやりたいことが他にあるということのなので。

 

 

またまた異なる視点として、実生活に関わるものだと
この”オプション”の考え方は人間関係にも影響しています。

”オプション”(=できる)的な考え方をしていると
「・・・・してくれるから」「・・・・してもらえる」(話を聞いてくれるなど)
「その人自身でなくって付属の物質的なものや見えないもの」という”オプション”の部分での求められたり・求めたりというところからの人との繋がり多くなってきます。
自分で引き寄せてしまうんですね。”オプション”を重要視する者同志が引き寄せられてしまうので損得勘定や駆け引きにあったり真心が通じないといった
しんどい関係が続く人を引き寄せてしまうんです。


”オプション”的考えで頑張り過ぎている心でいると、「できる」で認められると思っているいわば「できなきゃならない」という疲れる考えの人
「類は友を呼ぶ」という宇宙の法則で
自分から引き寄せてしまうことになるので、
「愚痴を聞きたくないの」と言いながらも、
いつまでたっても”オプション”の考えで「できる」まで永遠に頑張る人同志での集うことになるので
なかなか”快”を感じられる人間関係が築いていけなくなることにも繋がります。


”本体”が「完備」であると自分を認められている人は、
”本体”の自分にOKを出せている(できることもあればできないこともあって当然と思っていて、無理して”オプション”的「できる」を増やさないでやっていける)、いわば自己信頼度があり、自分の”本体”に自信もある人です。

だから、”オプション”で人を見るのではなく、
相手の”本体”を見る習慣がついていて、
相手の”本体”を認めることのできる、つまりその人そのものを受け入れ、認めることのできる人なので、
あなたが無理をしなくても自然体で、自分を飾ることなく付き合える人です。

人との関わりを考えると、”本体”に心を置くか、”オプション”に頼るか、
どちらがあなたにとって“自愛”になるのか?
またあなたの人生に彩りを添えていくご縁になるかは暗黙の了解だと思います。

 


すねる・ひがむ・ねたむ・しなければならない といった
自分を被害者にしてしまう反”自愛”の考え方のままでいると
ず~~~っと”本体”を誰かと比較をしながら劣っていると否定することになるので、
いつまでたったも”本体”の自分を認めたり、OKを出すことができず
苦しい自分を続けてしまうことになります。

 


だからもし「”本体”で「完全」なんだよ~~❤」

「オプション”に頼って生きないでいいよ~❤」
言う言葉に心がついて行かない場合には、
前に書いている被害者意識に関するブログの部分も読んでてみていただくたいと思います。被害者意識を緩めてあげることが先かなと思うので。
被害者意識があるまま、素直に自分を認めよう、肯定しようと言っても難しいですから★

 

あと、一生懸命やっているのに認めてもらえないとか評価してもらえないと思っておられる方へ

一生懸命やるということは、どちらかというと”オプション”的な心が多い場合、
どうしても評価してもらえない現実が引き寄せられます。
なぜなら”本体”の自分を自分が認めていないから、だから人からも認められない・評価されないという現実を引き寄せます。

同じやるなら”本体”を認めて一生懸命、愛をこめてやってみてください^^
流れが必ず変わります!

 

唯一の存在だと頭では理解していても、

「オプション」で頑張って生きていると、

結果的に自分では「何かが出来れば唯一の存在」と思っているということ。
だから、どんどん苦しく、無限の存在価値→何かできての存在価値 と付け足しの価値に自分ですり減らしてしまいます。

 

私に神様が言ってくれた簡単な言葉、

「オプションで生きるな!!!

 本体で生きろ!」
            


                                寧楽感恩