はひふへほっ。 笑う門には福来たる

~視えない世界にアプローチ、”愛”と”調和”の宇宙の法則で、地に足つけてみんなで幸せ❤~

決められない、わからない時の神様からのヘルプ

ここ数回、自愛が続きましたが、
来年の酉年にちなんで、もっと羽ばたいていただけるように、
「羽ばたきたいけれど、気おくれして・・・」と行ったり来たりで
アクセルを踏みたいけれどもブレーキを掛けてしまいエンスト状態になりやすい方、
”決心”が苦手な方に書きたいと思います。

 

これは私が神様から教えてもらった宇宙神理でもあります。
だから宇宙の法則としてはお聞きになった方は少ないとは思います。
でも、すごく大切な法則の一つであり、魂の親である神様と私たちを繋ぐシステムでもあります。
「どうして私はいつもこうなの?」
「どうして私はこう状況なの?」
「決めたいけれど、決めてがなくて困って~」 などなど
と神様に聴きたくなる方には、知っておかれると方法として役立つと思います。

 

さて、
セッションを受けていただいた方はもうご存知ですが、いつでもどこでもかなりの奈良弁です。私らしく奈良弁というよりも私弁で、「決められない・わからない時」を対話形式で書いてみます。
親は魂の親、子はわたしたち人間ひとりひとりです。

 

 どうしたいの?
 わからへん。
 ぐずぐずしてたら、遅れるやんか。(神様会議で他の魂の親と打ち合わせした時期があるので、あまり遅れるとあなたの生きている中で起こる予定の出来事のタイミングを逃すことになるのです))
 でも、どうしたらいいか、わからへんねん。
 わからへん、わからへん言ってても、どうしようもないやんか。

 

なんだか小さい時に親から言われていた情景がす~~~~っと過ってきた方もあるのではないのでしょうか?
あなたの神様は、あなたのことをいつも親視点で以て、温かく見守ってくださっているので、こんな感じで神様は見守ってくださっています(少なくとも、私にはこのように入ってきます)

 

するとヘルプが出てきます。

 

 

●”決めるまで”の段階へ
  まず、わからんわからんと泣かんと、心を落ち着けてみ~。(”快”の波動を発生するあなたに戻りなさいとの意味
子  (泣き止む)
親  そんなにわからへんのやったら、これやってみ~~~!(と、ヒントになる状況 を与えられる)
  【あるいは】わからへんのやったら、今は目の前にあることにもっと心を集中してるだけでいいよ♪(これもヒント)
  

 

とこんなふうに、子供であるあなたが決心できるまで、経験材料を提案され続けてもらえます。
「わからへんのやったら、これやってみ~~!」と目の前に来た状況、もしくは目の前にある状況に心を集中してやっていくなかで、”気づく”ことができ、決めることができるようになります。
それこそ、”気づいて”決心できるまで、エンドレスで、その時の課題に関するお勉強材料を与えてもらえます。それは、エンドレスLOVE❤です。
(この繰り返しで心がどれだけ弱るか・・・やってもやっても好転しない辛さ・・・過去の私を振り返ると涙です)

 

このお勉強材料というのは、
勇気が持てるようになる”気づき”を得る経験
・嫌だと思って引いてしまう過去の辛かった経験・心の傷・怖さを乗り越えるクリーニングの機会や経験
いろいろな選択肢に直面する経験
・”これだ!!!”と感じるまで、直観という感覚がわかるように、直感取得の邪魔をしている”負”の波動を発生する考え方を転換する気づきをもらう状況になる  などなど
このように現実として体験する状況を作って教えようとヒントを出しまくってくれます。一歩でも進めてあげたいと魂の親も一苦労です。

慎重になりすぎると、慎重になる癖をやめるようヒント的な現実がやってきます。
怖がりすぎると、怖がる癖をやめるようなヒント的な現実がやってきます。
決めないでいると、無理やりでも決めることが必要な現実がやってきます。

 

与えられたお勉強材料からヒントにして、自分なりに決心をしてみると、

 

●”決心”の段階へ
子 これにするわ~~!♪
  【あるいは】一旦、これにするわ~!♪ 
  【あるいは】今は目の前にあることにもっと集中するわ~!♪
  ※♪この挑戦してみようという♪の軽い”快”の心の感じが大切です。何が何でも・やらなければならないのような重い感じとは違います。やってわからんかったらどうしよう?と疑心暗鬼でやるのもNG。
親 そうか~、顔晴ってやってみ~~~^^応援するよ~♪ 

 


と、
子であるあなたが輝き、命を全うできるように、
時にはとんでもない方向を行っている時にも、
温かく見守ってくれている、それが魂の親と私たちを結ぶシステムです。
カーナビが魂の親で、運転するのが子であるわたしたちと言えば、よりわかるかと思います。(からくり講座で聞いたことがあるという方、それです^^)


だから、
とんでもない方向に行っていても、
大停滞や大トラブルという現実的な材料を与えて、「それあかん、違うねん!」と
その方向を変えるようにと懸命になってくれ、
見放すことは決してない のが、魂の親の愛。
どんな時も見守られていて、”愛”と”調和”の方向への自動修正が入っています。
カーナビのナビが、アナウンスを無視しても、すぐに探索しあなたを誘導し続けるのと同じです。
カーナビのアナウンスが途切れないように、あなたの神様からのメッセージであるヒントは途切れることはありません、自殺以外は。

 

 「正しい道は一つだけ、その道を探し当てなければ!」と自分を追い込むことはありません。


安心していいのです。


怖がることはありません!


決めることを怖がることはありません!


どう転んでも、神様はあなたを探しだし、導いてくれます!大丈夫V  あなたの命が輝くように変化するように導いてくれているのです。直感と”愛”と”調和”・自愛を覚えていけば自然と神様の誘導に知らない間に乗っていっています。

 

私のセッションでは、私がこの「親」役をしながら、お勉強材料の中での”気づき”、時にはクリーニングに寄り添いながら、ご自身で”決める”を一緒にやっていきます。 運命の青写真って、1枚ではないので。 あなたの”愛”と”調和”のお勉強が進めば、運命の青写真、あなたの幸せ感も変わってくのですから^^      寧楽感恩                                     

自分を好きになれずに困っている方へ❤自愛方法

最近は、ブログを書くと大体6,7時間掛かっていることが多いんですね。そんなにどうして?笑われているかも知れませんが。
文章をまずは「メモ」ファイルで作っておいて貼り付ける手段を用いても
このHatenaブログのサーバーとの互換性があまりよくないのか、
打字にはすごく時間が掛かり、文字の大小・色変換にものすごく時間が掛かり、
私にとっては”何とかならんか~”の一つです。

 

けれど、このHatenaのデザインは、シンプルでがちゃがちゃしておらず、
カスタマイズしない私には、まだ使いやすく、宣伝もあまり入らないので助かっています★


という、少々この最初の謎かけから
今日のテーマ、
”自分を好きになれずに困っている方へ”を始めます。

 


宇宙の拡大してく波動は、人間でいうところの”愛”と”調和”の波動に似ていて、
だからこの世に生まれた私たちは、”愛”と”調和”を持って命を輝やかしていくんですよというお話をしています。
この”愛”と”調和”と漠然と言っても難しいので、
”快”の波動を発生する考え方と、宇宙の波動に逆らう”負”の波動を発生する考え方の二つ分けると、今思っている考え方・感じ方が、どちらに属するのかわかりやすいですよとずっと言ってきました。

 

”快”とは、その字の通り、心地よい心よい、そういった心が軽くなっている・穏やかになっている心である時、
その反対は
”負”。ここでは、マイナス思考という意味ではありません。
”快”に対して、心地よくない・心が落ち込む、そういった心が重~~~い・全然穏やかになっていない心の時、
そういう心の状態を”快”と”負”として表示しています。
久しぶりに、”快”と”負”の説明をしたので、最近ブログを読み始めてくださった方には、
私が常日頃使っている「言葉」の意味を少しでも的確に掴んでいただければと思い記しました。このブログの内容は、理論的にも書いてはいますが、
どちらかというと右脳、心で感じて読んでいただくことの方が、
より心に入っていくと思うからです。

 

そして、
この”快”のでも一番大切なのものが、”自愛”だと教えられることが多い日々です。
”愛”と”調和”をテーマに生きていますから、”愛”という文字の入った”自愛”が最も身近で重要なことは明らかです。”自愛”の中に心が軽くなる秘訣があるのです。
だから、最近、自愛をテーマに書いています。
セッションの中でも、みなさん自愛に対しての質問や関心度が高くなっていたり、
またブログからも”愛”を感じると嬉しい言葉をくださっていたりと、
「ようやく伝わってきたのかな~」と、まだ「伝わっているぞ!」とまではいきませんが、何かしら神様からの宿題は果たせているようです。


「自愛」を基にしての質問で、時々”自信ないので困っています”と同じくらい悩みベスト3に入る質問です。

 

Q 自分を好きになれずに困っています。
  どうしたらいいですか?

 


好きになる必要はありません。

 


私も同じように悩んでいたことがあり、
神様に投げかけていたところ、
教えてもらった答えが、「好きになる必要はありません」なんですね。私は最初何のことだかよくわかりいませんでした。読んでくださっている方の中にも、「なんですと!」と目から鱗の方もあるはずです。


しかし、この回答だけを読むと、誤解が生じるので、
「そのこころは!」を書いていきます。
この考え方の方が、大切な自愛の考え方と言えると思います。


”罪を憎んで、人を憎まず”
これに発想は似ています。

 

誰でも自分の嫌いなところはあると思うのです。自分を客観的に見ることができるようになってくればくるほど、きっと嫌いなところも真面に目に入ってくるのが当然です。
でも、だからと言って自分自身の存在すべてを嫌いと否定することとは違うのです。
嫌いなところはあくまでも、自分の部分すべてではないということを区別しておく必要があります。

そして、その上で
嫌いなところを、自分で「受け止めておく」。
避けずに、自分で「受け止めておく」。→逃げるといつまでも終わりません
それだけでいいのです。


嫌いなところを、自分の心を押し殺して無理に「好き」に思考を修正する必要はない すし、
そもそも「好き嫌い」は心の感じからくるものですから、
頭ごなしに「好きと思え~~!」と自分に言い聞かせても無理です。
だから、好きでない自分をそのまま受け入れる、それでOK!
自分を受け入れる”自愛”がそこで一つできているのです^^

 

嫌いなところを受け入れるという”自愛”のあとには
もう一つの”自愛”。


部分的な自分を受け入れる”自愛”の後ですから
全体的な自分を受け入れる”自愛”です。


嫌いなところいっぱいでも、
長所と言えるようなところを見つけられなくても、
どろどろとした心を持ってしまう人間らしい自分でも、
なかなか自分を変えられなくても、
本当にどうしようもない自分でも、
 ・
 ・
 ・
そういうアイタタタ!が沢山ある自分でも
どうしようもないな~と最後にはおかしくて笑ってしまうような自分でも

 

くるっとまとめて「愛おしいな~~❤❤❤」と感じる。

激しく好きって感覚とは全然ちがいます。ほのぼのとした、ぼ~っとしたというような、ふんわりって感じです。

 


それが、”自愛”だと思うんですね。
「好き」と「嫌い」と”愛”とは別ものだと区別すると
理解しやすいと思います。

 

例えば、身近な大切な人やペットを対象に考えてみてください。
・子供の点数が悪いからと言って、子供を愛していないのですか?
・ペットがそそうをするので、ペットを愛していないのですか?
・母がうつだからと言って、母を愛していないのですか?
・父がアスペルガーだと言って、父を愛していないのですか?

「嫌だな~」と思うのは人間なので、あって然りなのです。


でも、嫌なところがあるからと言って、その人やペットの存在まで嫌いになる(存在を認めないという否定する)ことは別の話ですから。
そこを混同しないでください^^

嫌い と 愛してない  は別物です!!

子供さんに、あなたのここが嫌いともし言ってしまたら、でも愛しているよ~とフォローを入れることも子供さんへの慈愛方法として必要な時もあるでしょう。

 

そこを混同してしまうと
いつまでたっても”自愛”のできない「わたし」が続いてしまいます。苦しみも続きます。
自分の好きなところを無理して増やそうと頑張らないでいいですから^^

 


「愛おしいな~私❤(じんわり)」と感じる、それで”自愛”できてます。
でも、愛おしいと自分に感じられないという方には
”愛”が”ある”というシステム、つまり愛の中に生まれた前提で始まっているという
「あなたもすでに代表選手!」

http://neiraku123.hatenablog.com/entry/2016/09/28/163236

を読んで、少し頭を柔らかくしてみてから、
じんわり自愛を感じるなたをまず作っていってください^^感じる心作りからです!

 

あなたが嫌いなところがあっても愛しい自分❤が出来てくると、

同じように自愛ができ、あなたのどんなところも受け入れて慈愛してくれる人が現れますから。

類は友を呼ぶ宇宙の法則が働くので^^

 

対人の場合には、”合う””合わない”の直感が出てくる時があるでしょう。
しかし、自分に対し「私、私と合わないねん~~」と言う人を見たことがありません。
そもそも「自分は自分に合うようになっている」ので、あなたが「自分を愛おしい」という感じ方のスイッチが入りさえすれば、難しく考えるよりも簡単です。

 

そして、いつかこの世を去る時、
「自分は、自分でよかったな~」と思いながら旅立てる。
そんな風に自分を愛していきたいですね。

 

生まれもって右膝のお皿が分裂している上に、左太腿は生6か月で大骨折、普通のことが普通にできない自分が、愛おしい!
風邪も引きやすいし、引けばすぐに肺炎になる自分が、愛おしい!
私のことを書けば、やたらと体のことが先に出てきましたが、
器用貧乏と呼ばれる仕事にしても、家族のことにしても、
できないこととだらけの自分が愛おしい、
ようやくそんな自分にたどり着けた。
だから、最近のブログでは”愛”が届くようになったのかな。

 

そうそう、最初のなぞかけ。
わかった方には、きっと自愛的考え方が備わっている?伝わっている?と思います。

                         寧楽感恩

2017❤自愛カレンダー❤を書きます、受け付けます

奈良の今朝、冬到来という寒さでした。立冬です。
この季節になると、来年に向けて動き出しているものが沢山。
カレンダーもその一つ、私もスケジュールは手書きで管理しています。


去年に企画をして御常連の不思議話・気づき話の大好きな方にはお話をし、
「やってください!」と言葉をいただいたのですが、
結局、機を逃し流れてしまいました>< 
ということで、今年はやります^^ 

宇宙の法則のお話や悩み相談をしている方には
私が書道家であることはあまり知られていないようなのですが、
書道家+育自カウンセラー と欲張った両方を生かせるものとして
❤自愛カレンダー❤をやってみます。
(来年はするかどうかは、今年の様子を見てからなので、決めていません)
書道家?」と思われる方は、http://calligraphy888.web.fc2.com/ をご覧ください。

 

このブログでは自愛、自愛と言っていますが、
より日々の生活の中で、
「おっと自愛足りてないかも!」
「自愛、もう一度考えてみよう!」
「自分の心を聞いてあげよう!」
などなど、自愛を具体的にする心のスイッチを押すキッカケ・心の落ちた時の波動を変えるキッカケになればと思い企画しました。今、頭にある構想を説明してみたいと思います。

 


【その1】本文には梵字の”自愛”を入れます❤
「自愛」とそのまま漢字で書くと、あまりにも”まま”なので、
サンスクリット語梵字で書きます。(実は、悉曇灌頂をされている大学の先生でもあり沢山の著書や密教学芸賞歴もあるその世界では著名なはずなのですがそんな部分を感じさせない楽しくお優しい某先生より教えを授けてもらっています)
どこかに置いてあっても、自分だけがわかる暗号ですね。
もし低いエネルギー体(邪気や不要な霊)対策のためにお不動様などの他の真言をご要望される場合にはご相談ください。

天上天下、唯我独尊」これをサンスクリット音で梵字で入れる予定。

 


【その2】出来上がりを創造してもらいますと
デザインというか頭で浮かんでいるのは、
このような雰囲気の延長にあるものとして、

新年のお慶びとパワーをお送りします - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

幸せの羅針盤を - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

f:id:neiraku123:20131229113334j:plainf:id:neiraku123:20150101120445j:plainf:id:neiraku123:20160101093528j:plain

 で紹介したような感じをイメージ中です。(自愛を梵字で書くと約10文字ほどにはなるので、上の写真のような吉祥シリーひと文字のようにはならないと思います)
しかし、一人一人に対して違うものを制作しますので
制作時にその方をチャネリングをして、宇宙のエネルギーを通しながらとなるので、
今の時点ではイメージしかお伝えできません。
(一発書きは私は書家としてはできず、デザインも1点ずつ、やはりデッサンから練習と色々と実はしますので意外と相当な時間が掛かります。ちゃちゃっと1枚ってことが、できません><)

 


【その3】”調和”をモチーフに★
共通して使用を考えているものは、
お年賀でもお馴染みの手書き花枠スタンプ★
このスタンプは、”調和”をモチーフとして、
自分との”調和”、
他者との”調和”という願いを込めて
私が書いたものをデータ処理して焼きつけたものです。

f:id:neiraku123:20161107113151j:plain

 

【その4】あなたの言葉も入れましょう!
一人一人に心を馳せ、その方の神様に「書かせていただくので、宜しくお願いします」と祈りながら毫揮しますので、
その方の2017年に掛ける思いを綴りたいと思っています。
2017年の
・抱負
・心のスイッチになる言葉
・忘れないでいたい心掛け
・好きな言葉や金言 
など、一文字もしくはワンフレーズ(長すぎる場合にはご相談します)を思いつく方はお知らせください。
無ければ、無しでもカレンダー作品にはなりますので、ご安心を。

 


【その5】裏書も吉祥で★
裏書には、写真のように表札ではないので「家内安全」とは書きませんが、
吉祥の意味を表す梵字と私自身の落款を入れます。

f:id:neiraku123:20151214160242j:plain

梵字を書くにあたって、私の考えとしては、仏教信者しか使えないとくくらずにいる方がいいかと思っています。平仮名やカタカナ、漢字において考えてみますと、表意文字の漢字から生まれた表音文字のかなを私たちは使っています。そもそも漢字は呪術的思考の上に成った文字なのですが、それでも今とはっては深く知られず便宜上で使用されています。
だから、梵字だということで(在家は書いてはいけないと規律を言われる方もあるでしょうが)、仏教の文字と肩肘を張らないでいいと思います。

なぜなら、仏教の祖であるブッダもまた宇宙の法則を悟ろうとした上では、
もとを返せば同じことを求めている、それを仏教と形式ばった教えを持っただけだと私は思うのです。
要は、私的な言葉で言う宇宙神理をブッダもキリストも求めたという上では、淵源は同じ。表現の仕方が異なる。例えると、和食も中華も洋風も、食材を使った美味しい料理という点では淵源は同じという感じでしょうか。
したがって、「梵字悉曇)を書く」ことは、仏教徒以外の方にも漢字の「表意文字」のようにとらえては如何かと独自の見解を持って書きます。しかし、悉曇は文字のルールに従い的確に書きます。


******************* ************************ ************************

 

【欲しいですのご依頼方法】

①サイズ色を選択 
※サイズ; 最左の白(色紙サイズ)、残り3つの掛け式は縦34cm 横19.5(作品部分は葉書サイズ) 純和風な感じですが、洋間にも合うと思います。
※掛け式は、左より くすんだ紺・深い若草色・魔除けの朱より少し深い紅 の3色
※今のところ各1部のみの先着順で考えています。

f:id:neiraku123:20161107103357j:plain

 

②あなたの言葉
※【その4】を一読くださり、必要であればお伝えください。
チャネリングに丸投げをしてもらわないために、「正美さんが思う言葉で~~」ではなく、育自の一環と思って、自身で心に聴いてみてください。しかし、どっちがいいですか?とか長いのでどうしましょう?とか、そういう自主的なご相談にはシンプルにお答えします。すぐに思いつかない場合には、”後日報告”とメールに添えてください。


③お名前


④送付先(住所・お電話番号)


⑤あなたの思い
※人のための作品を書く場合には、やはりその方の思いを聞きたいと思うのです。
・どういう場所に置きたいのか?
・どういう理由で欲しいと思ったのか?
・どういう雰囲気の作品であった欲しいのか?
・好みの色、好みの色合い
・今、何を思っているのか?
・私へのメッセージ   .

・こんな風に書いてほしい などなど 
書道のタイトルも含めてご依頼を受ける場合には、日本和装さんなどの会社の時も個人の時も、依頼者の方の思いや何に使うのか、どういう場所に使うのかなど
コミュニケーションを必ず図っています。すべて入れることは不可能なので、神様任せにしながら、最大限その方のご希望に沿えるようにと尽力はしています。
「ただ上手に書きました」というような、そういう作家ではなく、
大袈裟な言い方ですが、”一緒に創っていく”という感覚です。
ですので、あなたの思いのたけをお受け取りますのでお伝えください^^


●上の①~⑤を記したメールを
masami123@hotmail.co.jp
までお送りください。いつものセッション受付アドレスです。

 ******************* ************************ ************************


【ご案内】
①料金
※統一価格、税込・送料込  各12,345円 (先着4名まで)
※到着後にご案内にお振込みください。
※日頃はこのご料金では難しいです。(正直に言いますと)

 

②発送について
※遅くともクリスマスまでには発送できるように、顔晴ります^^

 

●7日夕方にこのブログをアップし、8日午前中までに4名様のご依頼があり、こんなに早く先着分がいっぱいになると思っておりませんでした。9日時点で更に欲しいという方もあり、悩むところです。申し込みメールを拝読すると、みなさん自分のためという”自愛”にしっかりと取り組む心と姿勢が感じられ、その思いをそのままお返しするのは「不快」な私がいますので、今の時点では、台紙の有無(カレンダーの台紙はすぐに売り切れるので)や私の時間・エネルギーなど鑑みながら毫揮できるか私自身が私と相談しながら対応いたします。是非「欲しい」という方にはメールをお送りください。多謝!!  

 


以上、お申込み概要でした。

どしどしの応募をお待ちしていますという言葉は相応しくないと思います。
あなたの日常がより愛で満たされますよう願うものがここに一人でもいるということを忘れないで欲しい
そして、幸せのスイッチはいつでもオンにできますよというメッセージを手元に置いていただきたい
そんな私の意気込みと思いを傍に感じてくださる方にお届けするカレンダーです★

 

                                  寧楽感恩

自分の心を自分で満たさずにいると引き寄せる目から鱗なイロイロ

毎年10月というのは体が宇宙の変化についていかず、
風邪のような微熱が続き困ったシーズンです。
なんとか月に2度のアップを間に合わせたいと思っているのですが・・・昨日も23時まで奮闘し、やっと今♪(ほっ)文字数を見ても、いつもより1.5倍になってます!次回は短くすることにして、さてさて前回

自分の心は自分で満たす~これも自愛 - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

 に予告していました通りに
「自分の心を自分で満たさずにいると起こってしまう事例」なる傾向をご紹介したいと思います。


そもそも”ある”という大宇宙の中に生まれた私たちは”ある”という存在。
だけれども、生きていくうちに”ない”を覚えてしまったところから始まり、”満たす”を忘れてしまった私たち。
そんな「自愛」から離れた方に、”ある”を思い出してほしいという想いで”満たす”コツを前回のブログでは書きました。

 


人は自分で自分の心を満たしていないとどうなるか?

 

 

簡単です明快、シンプルです。
何かや誰か、自分でない他のものに心の”ない”埋めてもらいたい思いが出てきます。

 

ここで、私は”ない”ままでいいです!と思って生きている方は、
これ以上傷つきたくない思いからすねてしまっている状態です><(これも問題)
スピリチュアル的によく言われていると、「足るを知るだ!」と言って”ない”でいいのだと諦めに似たような変に納得をしてしまっている状態では、これちょっと?いやかなりマズイです。
”ない”という世界観を前提にしている人に、足るを知れと言っても、もともと”ない”んですから無理な話です。”ない”前提で、満たせと言われても・・・です。
すると、頭で”足るを知る”とか恵まれていると思考するだけで、実際”ない”ままなのは当然です。


”ない”から与えてもらいたい
与えてもらいたいと思うから”ない”が続く。 


こんな”ない”の満たされない心が引き寄せる典型的なパターンを3種を記してみたいと思います。

 

①【ひつじ型】
このタイプは、必要とされたい、頼りにされたいという「人依存」のケースと言えると思います。
必要とされることで自分の存在を感じる、
頼りにされることで自分の存在価値があると思う、と言ったような
人から求められることで、自分の存在を感じて自分を”満たす”方法を取っています。

 

例えば、以前から「自分の事に集中して、自分に使うエネルギー90%、人には10%でいいですから。」とアドバイスをしても、なかなかそれが実行できない方がありました。
すると起こってきたのは、職場での不要な愚痴なのか相談なのかわからない話に付き合わされるようになったり、
同じように知人からも愚痴なのか相談なのかという話がどんどん多くなってきて、ますます自分にエネルギーを使うことができない状況に。
ご本人は、宇宙の法則を知り、自分が成長した中で培った知識を伝えて助けてあげたいという思いでやっておられたのですが、
心の底には、「頼られたい・必要とされたい」という自分がいらっしゃいました。
知らず知らずの間に、人の相談という話を聞くことで自分の時間の過ぎるのを納得し、自分を満たす、自分を保つ、そのような感じになっておられたのです。
でも、結局人にふりまわされてしまい、自分自身のことに手が回らない・・・

 

つまり、”思ったことは現実になる”という宇宙の法則に従って、
「頼られたい・必要とされたい」という思いが、自分は関わりたくないという意図とは反対に、頼りたい人や解決してもらおうという問題を引き寄せていたのです。
それで、自分のしたいことに集中できないくらいエネルギーや時間を取られてしまっていたのです、自分では嫌々と言いながら・・・
関わりたくないと言いながら、自分から関わりに行っていたことになります。
これでは、自分の人生を自分のために生きられない、自分の時間が使えなってしまうのも当然です”自愛”できていない状態ですよね、これ。神様は早く気づけ早く気づけと合図を送っているのですが、”満たす”自愛に気づかないままで・・・・


これは、職場という仕事の面でも、家族の日々の出来事でも同じです。
ひつじ型タイプだと自分で少しでも思った方は、もう自覚症状あり!!
いくら自分軸が出来ているからといっても、「頼られらる・必要とされる」ことで自分を満たそうとしていると、
自らトラブルや時間を割かれる状況を引き寄せてしまうので要注意です★

 

仕事が多く回ってくるとか、トラブルに巻き込まれることの多い人もこのタイプの可能性大です。
時間的に忙しいから充実していると思っている方も、このひつじ型の傾向にないかと振り返ってみてください。時間がなくて充実しているのと、心が充実しているのとは別ものですから。
自分で自分の心を充実・満していると、必要とされようが、頼られようが、そんなことどうでもよくなりますので、不要なことは引き寄せませんし、関わることもなくなります。本当に自分に必要だと思うことだけに時間を使えるようになり、忙しさから解放されることにも繋がります。

 


②【うさぎ型】
このタイプは、さびしい・愛されたいという「愛情依存」のケース。さびしいと死んじゃう?!うさぎちゃんタイプです。
このタイプは、恋愛相談が一番多い、本当に多いですね。
自分の心を満たさないまま、好きな人や大切な人や家族と一緒にいるのは、相手からどう見られているのかを基準に考える他人軸にもなり、自分で自分を見失うことになりどんどん苦しくなっていく・・・・そんなタイプです。旦那様や子供さんの顔色を窺ってしまう方も、このタイプに入るでしょう。


例えば、恋愛だと
「さびしい(から愛されたい)!」
「愛されたい!」
「ラブラブになりたい!」
という心の裏側には、どんな思いがありますか?


この愛情の渇望です。足りてい”ない”という愛情で満たされていないという思いです。
「愛されたい!!」
「もっと愛されたい!!」という願いです。
そして、
その心の奥には「愛されていない」という思いがあります。

 

だからこのうさぎ型も、ひつじ型同様、”思ったことは現実になる”という宇宙の法則に従って、
その「愛されていない」という思いの通りに自分の願いとは逆の「愛されていない」という現実を引き寄せてしまうのです。
愛し愛される関係になりたいのに・・


お互いさびしい者同士が、付き合うとなると、
お互いにさびしさを埋め合うことを求め、
相手が自分の心を満たしてくれるようにと望み、
お互いにクレクレ星人になるのです。
「彼氏だったらそれくらいしてくれてもいいのに」
「彼氏なのにどうして私をほっておくの?」など 
恋人関係という契約でお互いをコントロールしようとするようになります。それでも、衝突が増え、理解してもらえずという状態が続くと、
これでは不満がつのり、長続きしなくなるのも当たり前です。
クレクレ・コントロール・エゴ・不満などなど、まあ”負”の波動を発生する考え方だらけ心地の悪い恋人関係ですからもう、自爆と言ってもいいくらいです。


では、どうしたらいいの?


自身への愛という”自愛”で自分の心を満たしてあげれば、
あなたを愛してくれる人を引き寄せることができるのです。宇宙の法則通りに!

 

「自分の心は、自分で満たす」という心の土台ができていなければ、
料理したりやプレゼントを贈ったり、尽くすことを重ねても小手先のあがきに陥り、うまくいかなくなってきます。
結局、いくらがんばっても、ますますうまくいかなくなります。

自分で自分の心を満たすという”自愛”が出来ていれば、
さびしいので埋める何かを求めたり、
愛されて安心するとか、
相手からの愛情をもらうことで自分が”満たされよう”としなくてもすむようになります。
すでに自分で自分の心を満たしていれば、人に求めないでいいですからね。


今まで恋愛でうまくいかず、
自分磨きとして容姿や能力、器量や愛嬌などの外側の条件で堀を埋めてきたあなた。
もう外側は十分埋めたと思うのです。もう十分にやってきたと思うのです。
「もっとやらないと!」と思うのは、自分に足りないと思うことで自分を”満たす”という自愛の反対になるのですから、自分いじめです。
そろそろ外側でなく、内側である心の土台作りに来たとは思いませんか?(このタイミングでブログを読んでくださっているのですから^^)


そして、
”一人でもいつも楽しい、二人でいればもっと楽しい!” 
自愛が出来ている人が二人集まれば、より楽しいという”快”の波動の相乗効果で、素敵な二人の関係が築ければいいですね^^


くれぐれも
”一人は寂しい、だから二人で~”とクレクレ星人的”負”の波動に飲み込まれませんように★

 


③【かっぱえびせん型】
”やめられないとまらない!”という
このタイプは、「もの依存」のケースです。物だけでなく、賭博やお酒、ドラッグも含まれます。

「もの依存」は、ある種の現実逃避であり、自己逃避。
ただ虚しさと後悔がつのるという反”自愛”の現実を伸ばしていくことになります。
これで幸せを感じろという方が無理な話です。

 

自分軸になり、「自分は自分らしくでいい!」などなど、自分自身で心を満たす”自愛”をしていると、
他人は他人と自他の区別がはっきりできるようになり、
ストレスの原因となる人から何を言われてもあまり気にすることもなくなるので、
そこまでストレスを受けることがなくなります。相手に引きずられることがなくなるんですね。
また、落ち込んだり腹が立っても切り替えが上手になっているので、長引かせないですむようにもなります。

 

すると、
食べることでストレス発散!
ショッピングでストレス発散!
飲んでストレス発散!!  などなど
一時の楽しみで心のストレスをごまかす
        ↓
また買ってしまった!また食べてしまった!という”負”の波動を発生する考え方の罪悪感を持つ
        ↓
またやってしまった!と自分を責めてストレスが・・・


という、この”やめられないとまらない”という悪循環をストップでき、「もの依存」を断てるようになります。


「もの依存」が落ち着いてくると、
自分にとってどうでもいいもの・どちらでもいいものを選ばなくなり、
自分にとって”快”の波動を感じるものだけを取り入れ、
自分を置く環境をも自分の愛する空間に変えることができます。無駄遣いもなくなります^^


もし、あなたに「もの依存」の傾向があるならば、無理に買わないようにとか、食べないようになど「禁止」で自分を縛って自分を苦しめるのではなく、
自分の心を満たすという”自愛”を一度試してみてください。

 

この”ない”から引き起こす3種のパターンいかがでしたか?

 

自分は①と③かなとか、①~③全部当てはまるかもと、複数に該当した方もあるでしょう。例えば「子供が生きがい」と思ってやってきて子供が自立してしまって・・・・という方の場合、子供に必要とされることが少なくなったという①のひつじ型と子供が自立し急ないきがいの欠落感で②のうさぎ型、①と②の両方なんてこともあるのです。

でも、①~③、たとえ複数あったとしても自分を満たすという”自愛”をやっていけば3つとも解消されます。

 

そろそろあなたは”ある(満たされた)”から生まれた”ある(満たされた)”という人であることを受け入れてみてはいかがでしょうか?
生きながら覚えてしまった”ない(満たされない)”に心をむしばまれないで。
あなたのために・・・

 

そして、自分を満たさないでいると引き寄せてしまうことを、これでもかという程に書き足すことにします^^
仕事や経済面という誰もが気になる、知りたい部分だと思います。


”ない”という満たされない心は、”ない”という満たされない人やもの、出来事を引き寄せてしまう。
類は友を呼ぶ、似た者は集まるという典型的な宇宙の法則のパターンが発動します。
仕事の面でも当然、宇宙の法則は作動するわけです。
”ない””ない”と思う同士が集まると、より”ない”状況を生み出し相乗降下↓、満たされない”ない”心をますます強くしてしまい、その”ない”の心が
自分の願いや希望とは逆に、
どんなにがんばっても好転していかない・がんばっているわりには実りが少ない状況を生み出したり、
最適な同僚や取引先・転職先に出会えない状況を引き寄せ作っていきます。
これでは、自分にとって最適な仕事の状況・実のある結果に結びつかないのは容易に想像がつくと思います。


経済面でも、”ない”と思っていると”ない”状況をますます引き寄せることに。
主婦だという場合にも、あなたが心を自分”ある”と満たしていると、
あなたの収入口であるご主人のお給料が増えたり、
どこからか意図しないところから入ってきたりと、
あなたの”ある”の波動が”ある”という満たされる状況を引き寄せることができます。

 

今、状況として経済的に豊かとは言えなくとも、
”ある”と満たされた心でいると、”満たされた”波動が”満たされた”状況をしっかりと運んでくるので、
次第に心だけでなく実際に生活が豊かになっていきます。

 

一生けん命行動やっているのに、なんだか違う気がするとか、これ以上どうしたらいいのかわからないという方には、
自分の心は自分で満たすという”自愛”にたちかえり、満ちた”ある”という心の土台作りをお勧めします^^ 自分を満たさないと思った方は、前回のブログを一読あれ♪


                                 寧楽感恩

自分の心は自分で満たす~これも自愛

”ある”という見えない大宇宙から生まれた魂の親。
その”ある”という魂の親から生まれたわたしたち。
万物は、すべて”ある”という宇宙神理のシステムの中に存在しています。
気も草も花も空も海も人も動物も、”ある”というあるがままで教えられてもいないのに完全な本質や本能・機能を持っています。

 

だから”ある”とは、そのままで十分に本来「満ちている(不足ない)」という状態です。

 


しかし、私たち人間は、生まれ育っていく中で、
「何か」自分に足りないものを見つける習慣を身に着けてしまいます。
他との比較が引き金になり、
うらやましさ・競争心・批判・卑下・不平不満・自責・不安・嫉妬・ひがみ などなど
”負”の波動を発生する”ある”という大宇宙の発生している波動とは逆の考え方を強めていきます。
”ある”でなく、「不足だ」という考えを強めているということです。


”ある”ということを学ぶために
”ない(不足だ)”を知る社会に生まれたわたしたち。
ないないと探していたら、実は一番近くにあった。
この青い鳥論が、自分を満たすという自愛になるのではないかと思います。
(この”ある”が経済的豊かさをもたらすために最も大切な柱になる考えの一つです)

 


ここまで読んでいただいて、自愛自愛と言いながら満たすを考えたことがなかった方は、どうしたらいいかな~と頭をめぐらせておられると思います。

 

自分の生活や自分自身に関わる”ある”に視点を移しておられるかもしれませんね。


ここで注意していただきたいことがあります!
自分を満たすための”ある”を何で満たすか?なのです。

 

他の何か」で埋めようとしてもダメなんです!!!! 


お腹いっぱい食べたから”満たされている”
欲しかったカバンが手に入ったから”満たされている”
先生に褒められたから”満たされている”
会社で評価されたから”満たされている”
海外旅行に行けたから”満たされている”
痩せたねと言われて嬉しかったから”満たされている”
「いいね」が沢山もらえたから”満たされている”
子供が進学校に入ったから”満たされている”
お酒を飲んで楽しいから”満たされている”
今”ある”と思える生活費や生活環境があるから”満たされている”
収入が安定しているから”満たされたいる”
今いる地位があるから”満たされている”  など

 

いろいろな”ある”という満たされ状況があると思います。


が、これらに共通しているのは、
何かがあって、
何かを言われて、
何かをしてもらって、
何かを得て、 というような
「何か」という対象物や対象者がはっきりとしていることです。


「何か」があるのに”不足”だとするより、一歩自愛への道は進んだのですが、
この「何か」がないと、”満たされる”ことがない心の状態が続きます。
満たされた心の状態でいようとするならば、
常に「何か」他のもので満たされるような状況を作らねばならない。
この「何か」を追いかけるほど、本当に苦しくなっていきます。(私も苦しかった時代がありました)


人間、もっともっと・・・・・と追いかけることになるからです。(満たそうともがくアリ地獄状態です)

 

食べ過ぎ
飲み過ぎ
ギャンブル
過度なショッピング などなど
ストレス発散の定番になっている事柄は、
どんな状況下にそれぞれの人があるので具体的な理由は異なりますが、
”満たされていない”が心の状態が共通しています。
”負”の波動を発生する考え方から起こるストレスの根源には”満たされていない”自分がいるからです。
それほど、この”満たす”ということは自愛の中でも大切なポイントです。

 


では、「何か」ではなく”満たす”考え方はないのでしょうか?

 


その方法とは
自分の心は自分で満たす!!!❤

 


つまり、
「何か」で満たすのではなく
自分の心で感じた思い自分を満たすということです。

 


例えば、
お腹いっぱい食べたので満たされたのでなく、
⇒お腹いっぱい食べられた満足感! おいしかった!と心が十分に満たされた

(こう考えられると少量でも心は満たせるのです)

 

マラソンを完走したので満たされたのではなく、
⇒苦しい時もあったけれど自分はよくがんばった!と心が十分に満たされた

(完走した結果に満たされたのでなく、完走した自分を認める心が自分を満たします)

 

いつも同じ仕事でつまらないけれど、お給料のためにがんばったでなく、
⇒いつも同じような中でも自分なりの楽しさをみつけて励めた!と心が十分に満たされた(楽しく仕事をしようと心を尽くした自分を褒める心や充実した心で自分を満たします)


こういうように、心で感じた思いで自分を満たすことができます。
反対に言えば、
心で感じていなければ、どんなにいい「何か」を与えてもらっても”満たす”ことはできないのです。

 

心が感じることができてくれば
例え人からは評価されなくても、また自分がうまくいかなかったなという時でも、悲しい気持ちや悔しい気持ちになったりもしますが、
心は瞬間瞬間に精一杯やっていて、いろんなことを感じながら自分の心を満たしているので、
結果がどうであれ、自分としては”満たされた”という感じが残ります。
(不快な感じで心が満たされたとしても、感じない虚無感は生まれてきません。心には思いが満ちているので、後悔しない生き方に繋がります。)


しかし、その反対に、気の向かない飲み会に行ったけれども、結局つまらなかったというのは、
自分が行きたくないのに無理して行って時間をつぶして自分の心を満たすという
”自愛”とは逆の行為ですから、”不足”というつまらなさや虚しさが残って当然と言えば当然なのです。

 

心が感じなければ、
いくら「何か」で満たそうとしても
決して満たされることはありません。


心なんです、肝心要は!!

 

感じる心を取り戻し、比較せず、自分は自分だと人の目を気にせず
そしてその瞬間瞬間を感じながら生きる。

それが、心を満たす生き方。

(だらだらも心に決めてだらだらすると自愛なのも前々回の「だらだらのススメ~時間を尊ぶ者、自愛を修む 」ブログに書いた通りです)

 

これが、

なんとなくで過ぎる毎日から脱出する方法です。
虚しい毎日から脱出する方法です。


だから、特に何か取り柄があったり、すごいことが出来なくても、自慢できる何かがなくても、大きな目標がなくても、大きなことができなくてもいいのです。
人の目を気にせず、自分らしく毎瞬間毎瞬間を心を込めて感じて生きていれば”満たす”ができるのです^^

心ここにあらずでは、勿体ない時間を過ごしてしまいますから・・・


究極は、生きているだけですでに”ある”を達観することなのだと思います。 

                               寧楽感恩                                        

 

 

追伸;次回は「自分の心は自分で満たす」ができないことで起こってしまう相談の際に多い事例をご紹介したいと想います。

あなたもすでに代表選手!

 

愛と調和を以て、自分の命を輝かせる。

 

という宇宙の流れに乗る生き方をするためには、
最たるものとして”自愛”! これに尽きます!

 

いくら”快”の波動を発生する考え方や思考癖を持ったとしても
この”自愛”がなければ、がんばってもがんばってもなかなか苦しい現実が変わらない。
それくらい”自愛”が大切なのです。(鑑定をしていても本当に実感します)

 

”自愛”と言っても
いろいろありますが、
その中でも
「自己認証」「自己受容」・・・生まれて来たのはよかったのか? 
「自己否定をしない」・・・私はダメな人なんです
「存在価値の認識」・・・生きている価値があるのか?   など
あなたの命そのものの尊厳についての自愛は、命の根の部分でないかなと思います。
生き方・生きるということに疑念を持ち、自分なりの答えを探せず苦しんでいる方も多くあると思います。


そういう私も以前は言葉で頭ではわかっても、何か心でしっくりこない。否定するなと言われてもでも疑問が残る、そんな感じでした。
そういう時期を過ごし、みなさまにお話しできる今があります。
私の神様はかなりユニークというか、人とは違うアプローチでの宇宙の法則的生き方を教えてくれています。
命の尊厳についても同じく、頭の固かった私に「ほう~、そうか」という伝え方をしてくれました。

 

記事を書こうかなと思ったのはオリンピックの前半ごろだったのですが、
オリンピック・パラリンピックはもう終わってしまいました。
遅くなったのは、

だらだらのススメ~時間を尊ぶ者、自愛を修む - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

で先に”愛の三大神器”に自愛と宇宙の関係を書いて次に自己の命の尊厳という順序があったからです。
先に前回のブログを読んでいただいてから、今回分を目を通してくださると、より理解いただけるかもしれません。

 

さて、今日のテーマ始めます。
「あなたも すでに 代表選手」 まさに言いたいことはこれです。

 

私たちは、誰もが

魂の親が選びに選び、
この世に生み落とした、
愛と調和を学ぶ代表選手。


開会式という誕生から始まり、
閉会式という死で終わります。
大会期間は、それぞれが自分の役割を果たしながら命を輝かせます。


そして、大会期間中は選手村で過ごすことができ、

食べるもの・寝る場所は保証されているように、
閉会式というそれぞれの死が来るまで、
食べる物や寝る場所、空気、経済面など、生活できるものを魂の親が何としてでも与えるという”ある”というシステムの中にいます。
(ここでは詳しく書きませんが、未来に経済的な面で心配のある方は心配しすぎて生活の困難を引き寄せることはやめましょう。
 また、お金を含む経済面に関しては、愛と調和に基づくものでない、反対の自分のエゴやストレス発散、名誉見栄などに使う場合には、神様は”気づき”のために苦しい状態を作られる場合も多いです。)

 

 

生まれた時点で「代表選手」なのです!!!!
生まれた時点ですでに代表選手として唯一無二の存在なのです!!!

 

 

だから、
オリンピック選手それぞれが堂々と輝いているように
あなたの魂の親に選ばれたあなたも堂々と胸を張っていればのです!!!

人と比べることなく、
自分に向き合い、自分に最適だと感じることに取り組めばそれでいいのです。
大会中には、緊張したり、苦しかったりと、葛藤したりと、本当にいろいろな感情に出会いますが、
そんないろいろな感情をひっくるめて”大会を楽しむ!!”、大会出場者という命あるものだけにスペシャルな経験が許されています。

 

仕事ができなくても
友達がすくなくても
貧乏でも
容姿がどうであっても
健康でなくても
人から好かれなくても
不器用で要領が悪くても
自分を否定したり、生まれたことを否定したり、存在価値を否定したりしないでいいのです。
わざわざあなたの劣るところを自分で探して落ち込まないでいいのです。

 

どうして?って?

 

生まれた時点で
あなたは すでに 代表選手だからです!!!

 


私も、自己否定するのを辞めようとか、人から認められることで存在価値を感じる自分を辞めようとか、生まれたことを後悔するのを辞めようとか、いろいろな考え方を変えようと思っては自己を尊ぶこと、”自愛”ができないことに難しさを感じていました。

 

自己否定するのを辞めようとか、人から認めらることで存在価値を感じる自分を辞めようとか、生まれたことを後悔するのを辞めようとかいう方法で”自愛”をしようとしたのですが、この方法ではなかなかできなかったというわけです。で、これは違うと。


言い方を変えると、
「自己認証」「自己受容」
「自己否定をしない」
「存在価値の認識」という角度から自分の存在価値・存在を感じるという”自愛”を目指すことを辞めました。諦めたという方がいいと思います。

 


こんな風にとことんまでやって、諦めて、神様に預けた結果もらった答えが
「あなたもすでに代表選手!!!」

 

さらに、「生まれてもって”ある”のに、なんで”ない”をわざわざ考え苦しむの~!」と。


前者が、自分には”ない”という宇宙の法則とは反した視点からの考え方。
それに対して後者の「あなたもすでに代表選手!!!」は、自分には”ある”という宇宙の法則に則した考え方なのです。

”ある”ということが前提の宇宙神理があるので、”ない!”を前提にすることは大きな勘違い。
(私たちが生まれたということ自体、”ある”で始まる宇宙の法則に則した上で命が始まっているからです。)

 

あなたは生まれもって、あなたの魂の親が決めた代表選手。
唯一の存在。もうすでに開会式も終わり、大会期間まっただ中にいるのです。

 

だから、
自分が生きている意味がないとか
自分はダメな人間だとか
罪悪感を感じるだとか
価値のない人間だとか
”ない”を探してこれではダメだと、
”ある”自分になろうと「何かがあるから・できるから価値がある」という人間を目指そうとしないでいいのです。そもそも”ある”んですから!!


そもそも、”ある”というこの世(選手村)に生まれた、”ある”という唯一の存在なのに、自分から”ない”をあら捜しして苦しむ必要はないのです。


生まれた時から、
すでに選ばれた代表選手なのですから、
無条件に唯一の存在だと自分に胸を張っていいのです!!


すると、
「何もできなくても、取り柄がなくても、唯一の存在である自分が、
一生けん命、その時自分がベストだと思う選択をし、
ベストだという行動をする、
それで十分なんだ。」
と頭に入れることによって、次第に”ない”という価値の自分・尊厳のない自分探しをしなくなります。(人と比べて、どうしてできないとか自分で落ち込まないといけないのか? これ自分いじめです。)
⇒次に、できない自分、取り柄のない自分、価値のない自分を考えるのがどうでもよくなってきます。
⇒そして、「昔はそんなことで悩んだな~」と過去の話になってきます。

 


だから、自分の存在の価値を疑ったり、自分の存在の有無を考えたならば、
そちらは”ない”視点からの自分のあら捜しになるので、いつまでたってもそれでは解決しないので辞めましょう!

 

代表選手として
”ある”という選手村に生まれてきたあなた。

誰が何と言おうが
あなたがこの世(選手村)にいるということは消えない事実。
するっとまるごと、どんな自分も価値存在意義があると包んで・認めてあげてください。

 


生まれた環境や社会で、人と比べてしまう習慣がつき、
生まれたこと自体が尊い存在だと教わってこれなかった私やあなたへ

 

生まれたということだけで、すでに選手村に入るくらい尊い選手だということ

 

この宇宙神理のシステムを忘れないでいることが”自愛”です。
そして閉会式まで、一緒に思いっきり楽しみましょう! 
                          同じ選手村にて 寧楽感恩

 


ウルフルズ - ええねん

大学時代、なぜか購入し、でも封も開けずに(今も)いたCDがこの歌でした。えらいノリノリだなと関東にいた頃の私には関西のノリが懐かしかったのもあると思います。呪文のように「ええねん」が出てきます。頭が爆発しそうな時には、こんな自愛ソングをどうぞ♪ 私もあまり聞かない感じのド関西ロックです。神様、あんな昔から私にすでに”自愛”ってメッセージ送ってくれてたんだな~~~

だらだらのススメ~時間を尊ぶ者、自愛を修む

だらだらしてはいけません!
ごろごろしてはいけません!

だらだらしているんだったら、何かしなさい!
ごろごろしているんだったら、何かしなさい!

だらだらしているのを見ていると、イライラするから!
そんなところでごろごろしていると、邪魔だから!

 

本当に私も小さい頃から、
躾けが厳しい母親(そういう母は少しでも休もうとすると人間自体がなまくらになるとよく言っています)に、そのように教えられ、私自身もあれやこれやと技術や語学を学び、月間誌を編集するなど、今の私の考え方になるまでには、本当に生き急ぐように、ただ上を上を見ていた生き方をしていたと思います。


際限なく頑張ってしまう根性だけはあったので、
「これではいけませんよ!」と、一旦止まりなさいと言われんばかりに、八方は塞がるわ、死に直面するわとのた打ち回っている内に人生の転機が訪れ、
今のように神様の声に耳を向けるようになりました。


過去の私のように、何かを懸命に追いかけ、自分を顧みる余裕もなく走って来ておられる方に、
そして走りすぎ休憩を余儀なくされている方に、
ようやくこのままではいけないと自分の立て直しを始め「自愛」生活に取り組まれている方に、
時間に追われて休むことが苦手な方に向けて、

 

だらだらすること、ごろごろするやのんびりするも含めて、
「のんべんたらりん」とすることについて”自愛”視点から書いてみたいと思います。

 

 

「自愛」 

 

 

宇宙の波動に同調し、スムーズにあなたが人生の流れに乗るには、
私たちがこの世で生きる意味でもあり、学びのテーマである
自愛し
慈愛す。(他を愛す)
己と和して
他と調和す。
をいかに日々の生活で体現していくかにかかっています。

 

”愛”や”調和”と漠然とした言葉では掴みにくいので、
”愛””調和”を基にした波動を発生する考え方・思いを、私はブログでいつも使っていますが”快”と呼んでいます。
したがってその中でも”愛”の中でも”愛”いう字がそのままつく「自愛」「慈愛」”快”の最たるものになります。

 

これに対して、その反対を基にした波動を発生する考え方・思いを”負”と私は呼んでいます。


だから、”負”の波動の波動を発生している考え方・考え癖・思いが多くなると
踏ん張って踏ん張っても流れに乗れず疲れ果て、なかなか宇宙の波動に同調できず、人生を辛く感じる状態になります。
まるで、流れに逆らい踏みとどまるとする川の石のように・・・
(私たちの魂の親である神様は、この宇宙の波動に乗れるようにと見守り、合図を24時間送ってくれています。あなたが苦しいと思っている時や停滞していると思っている時には、流れに逆らわないでいいよ~と神様は踏ん張るのをやめるようにと、合図を出してくれているまさにその状況の時です。そうは思えない時でも)

 


ここまで大まかに説明しましたが
さてさて「自愛」。
何を自愛するのか?

 


一般的に書かれているものは
今私が書いていたような考え方や思いなどの心の「自愛」が多いと思います。


しかし、私の神様がおっしゃっているのは
忘れてはならない3つの自愛として
①心
②体 
③時間 
3つを挙げておられます。
「愛の三大神器」とも命名したいくらいです。


①は、すでに上に書きましたのでわかっていただけると思います。
②の体。前回のブログ 体は生命維持用宇宙服★ - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

を参考にくださればと思います。
そして、③の「時間」です。


私も最初「時間」?と思いました。
しかし、②の「体」と同じで、こちらも命尽きるまでという意味では有限なのです。
スピリチュアルの世界では、とかく言われるようにパノラマ式になっていて過去も未来も現在もないと言いますが、それはそちらの世界のお話です。
我々はそんな中に生きてはおらず、時間という過去⇒未来へと時間のベクトル旅行をしています。
実際に、私もセッションをしていますと、未来や過去の映像を見ますが、そこには「過去」「未来」が存在して伝達されます。だから、この世では時間軸を持って対処せざるを得ないのです。


だから、この世にだけ与えられたシステム・・・魂制の「心」、
この世にだけ与えられたシステム・・・時間制の「時間」、
この世にだけ与えられたシステム・・・宇宙服制の「体」、
ともに限りのあるものとして、大切に尊ばれる”愛”の神器なのです。


時間を自愛する・・・・とは?

 

先ほど書いたように
時間を大切にする
時間を尊ぶ
この感覚、人のよってはこれに似た感覚でしょう。
この感じが時間の自愛ではないかと私は考えます。

すると、
より丁寧に生きようとする気持ちが出てきませんか?
心を込めて生きるということにも繋がりませんか?

 

でも、ここで注意をしてもらいたいことがあります。
このブログの冒頭で書いた昔の私に言いたい言葉になりますが
「時間を大切にするのは、時間がないと言って、がむしゃらに、体を壊しながら焦って、(名誉地位・収入・技術など)向上することではない」ということです。


当時も忙しいので、時間を大切にしていました。1分1秒がとにかく惜しく。
眠れないと、時間がないと眠らなきゃと思って、余計に眠れなくなったりと、時間との闘いと言ってよかったと思います。
それは、「自愛」からの時間を大切にするという感覚とは全く違うものでした。
時間も大切にしているようで幸せを感じる時間にできておらず、
体は無理をすればなんとかなると「自虐」同然、心も”負”の波動を発生する考え方のオンパレード。こんなではいつか転ぶしかなかったのですが・・・

 

「自愛」からの時間を愛すということ。同時に、体も愛すということ。心も同様です。
自分がより幸せを感じるため、自分らしく命を輝かせるため与えられた神器の時間なのです。

 

自分の時間を大切にする「自愛」。
それが心に定着してくると、
あなた以外の存在にも時間がありと他者の時間も大切にするという「慈愛」も自然と生まれてきます。

だから、遅刻も少し考え直さなければなりません。
自分が遅れるということは、相手を待たせてしまい「慈愛」に少し欠けていることになりませんか?
やむを得ない事情や交通事情の場合は仕方ないにしろ、
遅れる場合には、一報を入れるなど配慮をしたいところです。
自分の時間が大切なら、相手の時間も大切にする。
マナーだからでなく、相手を思いやる気持ちの「慈愛」から習慣にしたいものです。

 


時間を大切にするとなると、
「だらだらしてはいけないのですか?」という疑問が湧いてくる方もあると思います。
最後に書いてみたいと思います。


簡単に言うと、
「だらだらして構いません^^」
「ごろごろして構いません^^」


でもここで神様が大切なことを教えてくれました。
この時に、どう思ってだらだら・ごろごろするかなのです。

 

もし、あなたが
「わたしだけごろごろ休むのは悪い」と思うような罪悪感
「無理してでも起きていないと」と思うような体の自虐
「本当はごろごろしてはいけないのに、してしまっている」という自責
「無駄にだらだらしてしまった」という後悔 など
”負”の波動を発生する考え方や思いをしながら、ごろごろするのは辞めましょうということ。

 

だらだら・ごろごろするならば、
それは自分にとって「自愛」から必要なことと心で認めること。休むことも必要なのですから。
そして、
「この時間は(楽しく真剣に)だらだらするぞ!!!^^」自愛の意味合いを感じながら
正々堂々と心を込めて思いを尽くして、100%清々しい気持ちでだらだら・ごろごろする。すると、無駄にだらだらしたなんて思わないですから。だらだらはいけない事と思ってだらだらしても、心は疲れるだけでより心の悪影響です。
もし、家族の誰かがだらだらしていたら、「真剣に気合入れてだらだらしてね!」と言ってあげましょう♪

 

 

先日のセッションでも、
この”自愛”の考え方で腰痛が解消されたという方がいらっしゃいました。

腰痛 スピリチュアル的意味 - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

がんばらないで、お母さん! 腰痛 スピリチュアル的意味 - はひふへほっ。 笑う門には福来たる

腰痛は、ここにも以前紹介したことがありますが、自分の土台、自分にとっての基盤という自分軸からの自愛という神様の合図であることが多いです。


ご主人に悪いと、腰痛で横になりたくてもなれない自分に悩んでおられました。
その腰痛は、神様からの”自愛”をしましょうというメッセージだとお話をし、
家族も大切なのですが、家族に悪いと思わず、まず自分、自愛を心掛けてやっていだだくことを意識していただきました。
そして、ご本人が「しんどい時にはゆっくり休んでいいと思えるようになったら腰痛がなくなった。」とご報告いただきました。
の自愛、
罪悪感を持たずに堂々と休むことをした時間への自愛、
休むというへの自愛、
こ3つがポイントだったとはっきりと言えます。


本当は
『神様の三大神器』と『だらだらのススメ』という2つにわけて書こうと予定していたのですが、
いざ書くぞ!とやっていると1つになってしまいました。
するとこんなに長いブログになってしまいました。


だらだらする時には、張り切ってだらだらしましょう!!!

時間も愛してきましょう♪       同じ時間を生きるご縁に、寧楽感恩