はひふへほっ。 笑う門には福来たる

~視えない世界にアプローチ、”愛”と”調和”の宇宙の法則で、地に足つけてみんなで幸せ❤~

それも自分”見下し”が原因。“自愛”してるのに強烈キャラが出現する理由。(前)

今日は、
「”自愛”をしているのですが、まだ嫌な人が~~~」や、
「”自愛”をしているのに、なんだかもっと強烈な人が登場するんです~」や、
こんな風に”自愛”をしているのに神様の”気づいてね❤”エンドレスラブが続く方に書きたいと思います。時々いただく質問なので共有して、
2回に分けて書きたいと思います。


さて、まずは
基本的な宇宙の法則の考え方として
自愛すると、慈愛される(自分も愛される)
慈愛すると、慈愛される(自分に愛が返っくる)
だから、”自愛”を大切に!とお伝えしています。

人との関係において言うと、
温かい心の人と幸せな関係を築きたいと思われる方ほど、
人に合わす技術やトラブルを起こさないように生きる方法ではなく、
”自愛”を優先してやってみることで、
自分→自分 そして、自分→ 人 ということで
愛が循環して、自分に巡ってくる流れになります❤
これが、本来の”愛”の循環です。
器用に人に合わせるなどの小細工でなく、
”慈愛”がわかる”自愛”人どうしが引き合っていく、
そういう流れになるということです。

 


タイトルで強烈キャラと書きましたが、
強烈キャラというのは、嫌なタイプ・苦手なタイプ・イライラさせられるタイプ・当たられるタイプ・不機嫌で当たられるタイプ・明るい振りして愚痴タイプなど、
お付き合いをするのに疲れてしまう上司や家族・優越感好きの友人など、頭が痛くなる人たちで、
「振り回されたくないのに振り回される」人たちを称して強烈キャラとしました。
要は、エネルギーを消耗してしまう強烈な影響をもたらす人たちです。

”自愛”しているのに、こういう強烈なキャラからの影響が止まりませんという方は、この2点を自分に質問してみてください。


1点目、あなたは被害者意識のままでいませんか?
    あなたは拗ねてたり、いじけていませんか?

1点目は、以前のブログでも書き続けているように”被害者意識”に由来するものです。
これは、自愛の土台作り に関わることです。
自愛するにも被害者意識や拗ねやいじけがあると、
愛を与えても跳ね返したり、受け取らない、ざるのように愛が自分から漏れて行ってしまいますので、
被害者意識から出てくる拗ねやいじけがあなたの中にあるのに気づきましょうというサインとして起こっていることです。
宇宙の法則的に言えば、「あなたの”被害者意識”からの拗ねやいじけという思いが、その現実を引き寄せている」、
だから、はやく気づきましょう!ということで、強烈なキャラが出て来ているということです。

 

 

 次に2つ目、こちらが本テーマとしてお伝えしたい内容です。


2点目、自分を見下していませんか?
    自分をパワハラしていませんか?
    自分を癒せていますか?


2点目は、一言で”自愛”してますか?なのですが、
それだけ言っても難しいと思うので、どんな〝自愛”したらいいのかについて以下に書いていきます。
被害者意識から脱却、拗ねいじけの改善をしてきたのに、
または被害者意識も覚えがないし、拗ねやいじけも自分に思い当たりがないのに、
強烈なキャラが出てくる方は、こちらをやっている可能性があると思いますので、
自分に当てはまる部分があるか心に聞きながら読んでみてください。


まず、

①過去の自分に対して
②現在の自分に対して
過去と現在の2つの時系列でわけて見ることが必要です。


(今日は①の過去の自分に対して
 次回は②の現在の自分に対して をお届けします)

 

 ①過去の自分に対して

   A.【過去の自分】を見下していませんか?(”自愛”が出来ているか?)
   B.【過去の自分と同じような相手】を見下していませんか?(”自愛”と“慈愛”が出来ているか?)

 このA.とB.の2つで見ていきます。


   

まずは、A【過去の自分】を見下してはいませんか? に対してです。


愛の深化が進むと、反”自愛”で大変だった自分、被害者意識や拗ねいじけが少なくなった自分、
変化が自分でも自覚できるようになっていきます。
「昔のわたしだったら、こんな風に考えてただろうな~~」と自分で思える方も多いのではないでしょうか。

こういう深化が進むにつれて陥りやすい反”自愛”の考えがあります。
自分の成長を喜ぶ半面、過去の自分を「ダメな自分」にしてしまっていないか?ということなのです。


今の自分はよくて、過去の自分はダメ。 
今の”自愛”ができるようになっている自分は「上」、
できてなかった自分は「下」。
こんな風に、過去の自分に上下をつけて、「ダメ出し」を勝手にしてしまっていないか?ということです。
つまり、”自愛”があまりできていなかった自分を見下げてしまっている。
過去の自分にダメ出し・見下げるという自分にパワハラをしてしまっているので、
神様からの”気づいて!”という意味でも、パワハラがブーメランして、目の前にあなたにダメ出したり見下げたりするパワハラの相手が出てきます。

 

あなたが自分を愛すると、
相手もあなたを愛してくれる。という”愛”の循環ならいいのですが、
この宇宙の法則が、


あなたが自分にパワハラをするので、
相手もあなたにパワハラをする。

という望まぬ形の現実になっているのです。
「過去」の自分にダメ出しをしているので現在と関係ないと思われるかもしれませんが、
でも「過去」の自分であっても、”今”も「過去」の自分に見下し・ダメ出しをしているのですから、
過去だけに終わらず現在形になっており、「過去の自分」への見下し・ダメ出しをやめましょう!という合図として、今もあなたの前に強烈キャラがやってくるのです。

 


こんな場合の”自愛”的対処法は、
■過去の自分をダメな自分と勝手に考え始めたら、それは”姑”ですから考えるのをストップする
(どんな時も自分をダメだと否定したり責めるのは頭の中の世間体や名誉地位・社会性など思いこみたっぷりの”姑”です。だからストップしましょう。)
■過去のその時点の自分に対して、「精一杯やったね。がんばったね 」「つらかったのよく耐えたね 」など、
自分に対してねぎらいの”愛”のある言葉を掛けてあげる
(過去の自分をクリーニングする意味もありますので、ゼロフラットクリーニングをしてもらってもOKですし、自分へのダメだしでなく”愛”を掛けてあげてください)

そして、「過去の自分精一杯だったのだから、見下すなんて必要なし!!!」と何か出て来た時には、自分に言ってあげてください❤


一生懸命にやっていた過去の自分の”味方”にあなたがならないで、誰がなる!!!
あなたが自分の味方になることで、”愛”ある味方が増えてくるのです^^

この2つを主にやってみてください。


ここまでは、【過去の自分】に対して。
まずは、過去の自分をどのように自分で見ているか確認していただけたかなと思います。

 

 

 

 

そして、次に、Bの【過去の自分と同じような相手】を見下していませんか? に対してです。

過去の自分に似た「そうだから苦しんだよ」と教えてあげたくなったり言いたくなる人に出会っているあなたには是非知ってもらいたいなと思います。
自分が”自愛”の深化をすると、そうでなかった時よりも「明らかに」自分をわかり始めるのが人間です。
簡単に言うと、自愛できてなかった自分を知っているから、自愛できていない人を見ると、過去の自分を見ているようだから理解できる。
「経験者は語る」ならぬ「経験者はわかる」という、そんな感じです。


だからこそ、わかってしまうからこそ、ついつい、
”過去の自分”と同じような相手”を見下していないか? ということなのです。


もう少し具体的となると、
「あなたはいつもそんな風に考えるからいつもトラブル起きるんだよ」
「あなたはそんな風だからいつも人のせいにして愚痴ばっかり」
「あなたはそんな風に考えていては、いつまでたってもあかんわ」
「あなたがそんな風に考えているのだから、自業自得やわ」など
”そんな風に考えていたら・・・”と思ってしまうのは、
過去の自分がそんな風だったから、相手のことを理解できる。
でも、相手への共感だけにおさまらず、
「何言っているの、あなた!!」と言ったようにズバッと厳しい目線で相手を見てしまっているのです。いわば”愛”ではなく非難や否定になってしまっている。
こんな風に、過去の自分と同じような相手を見下していないかを疑った方がいいということです。

 

本来は、
過去の自分を認めて・ねぎらって愛で包んであげることができてくれば、
また、過去の自分も愛してOKを出していれば、
”自愛”が出来ていない相手に対しても見下したりダメ出しをしなくなっていきます。

過去の自分を受け入れて認めてダメ出ししなくなると、ダメな相手にもダメ出ししなくなるんですね。
”自愛”できてなかった自分にダメ出しするから、”自愛”できていない相手にもダメ出ししてしまう、ってことです。
過去の自分への”自愛”ができていると、人への“慈愛”も自然とできるのです。


こんな風に相手に対しての”慈愛”的対処法は、
■過去の反”自愛”で苦しかった自分と同じように苦しんでいるのだなと相手を認める。
 (相手は反”自愛”で大変なんだなと受けいれられなくても認識だけすればOK!)
■「現在の自愛に生きる私とあなたは選んでいる世界が違うのね」と認識する。
 (”自愛”が出来ていると「上」、できない相手は「下」にしてしまわないこと。
  ただ選んでいる世界が違うだけと認識をして、感情を入れるところまで自分をもっていかない)

相手に対しての”慈愛”として、
・今の相手を感情を入れずに(同じ土俵に立たずに)ただそのまま認識する
・今の相手をいい悪いで勝手に裁かない
・相手が反”自愛”を選んでいるということを尊重する

つまり、「あなたはそういう考えなのね~」「あなたはそっちを選んでいるのね~」という感じで、スルーという感じとも違って(無視になるので)、
「私は野球、あなたはサッカー、違う競技をやっているのね~」
「金星人と火星人、違う星の人なのね~」
という感じで、相手の信じるルール(”慈愛”と“自愛”を考えるか考えないか)を尊重しながらも、違うんだなと捉えると心がぐっと楽になります。


それぞれが「異なる」世界に生きていると心に落とすまでは時間が少し掛かるかもしれませんが、
「同じに合わせないといけない」と思わせるのは頭の思い込みの”姑”ですから、
それぞれが違うという個々の自由を認めることこそが、”慈愛”の一歩であり、
その結果、必然的なものは調和していきます。


「あなたはあなた、私は私」とそれぞれの世界(例えでいうとサッカーと野球といった競技)で違っていてOKと、
反”自愛”している相手は選んで反”自愛”をしているんだ(それで苦しがっているのも相手の選択)とある意味割り切っていないと、
あなたはずっと悶々としたり嫌な思いをしたり、合わないのに合わそうとしてエネルギーを消耗してしまうだけでなく、
反”自愛”の相手を否定することで、反”自愛”だった過去の自分までもを否定することに繋がっていきます。

すると、神様は”相手を使って過去の自分を否定するのをやめなさい!”ということがわかるまでエンドレスラブを起こしてくれています。
つまり、
過去の自分と同じような相手を「下」
”自愛”ができてきた自分を「上」
としていることに”気づいて”、上下の世界で生きるのをやめなさいというお知らせです。


過去のあなたと同じような反”自愛”の相手だなと感じたならば、
これは神様からの何か”気づけ!”のサインだなと思って、
「私は、あなたとは違う世界を選んでいるから!」とそれぞれの世界が違うことを認識して(あなたが納得できていなくてもOK)、
上下・否定する否定しない・勝負の世界からはさっさと脱出しましょう!
すると、
自分自身が宇宙の愛の波動を同調して、見えない世界からのサポートを得られるようになります。

相手の態度が急に変わったとか、部署が異動になったとか、優しくされるようなったとか、宇宙の愛と同調した分だけ、神業がちゃんと入ってきますから。

 

難しく考えないでくださいね。ただ、
過去の自分にOKが出すことができれば、
自然と過去の自分に似た反”自愛”をしている人にもOKを出すことができるようになりますよ、というお話です。
”慈愛”しなければと、そんな風に肩に力を入れる必要はありませんよ。
過去のがんばった自分に”愛”のあるねぎらいの言葉を沢山掛けてあげて、癒してあげてください。

 

 

 

★今日のまとめ

反“自愛”だったけど一生懸命だった過去・過去のその時の自分に◯を出す”自愛”を。

◎過去の自分を見下さない!ダメ出ししない!
◎過去の自分と同じような人を見下さない!ダメ出ししない!

 


過去の自分・過去の自分に似た人に
パワハラするとブーメラン❤               寧楽感恩

 

誕生日には”自愛”から❤

先日、誕生日を迎えて(大坂なおみ選手のおじい様と同日とはビックリ!)、
メッセージなど頂戴して、
1人でがんばるもん教で山登りの毎日だった一昔前の私では想像できない現実だと感謝でいっぱい、嬉しさでいっぱいで、
「自愛すれば慈愛される
 慈愛すれば慈愛される」
という教えを実感しているところです。

どうも私の命の応援をしてくださり、ありがとうございます!
この場を借りて、再度の感恩をお伝えしたいと思いました^^

今年、44になってしまった(私の気持ちでは34歳くらいのことしかしていない)のですが、
数字を見て若干、「4は幸せというけど、44のぞろ目か~~」と。
すると、浮かんできたのが
”for me❤、for all❤ ”
44ってじあい爆発の年ではないかと!!!

ということで、
同学年の44のみなさんは、特にダブルじあいに一緒に取り組んでいきましょう^^

 

 

誕生日と言えども、
「どうして生まれてしまったの?」
「こんな思いをするなら生まれなければよかった」
「なんで産んだの?」
「生まれることが奇跡って言われても」  などなど
生まれた環境や、過去から今における状況で、
素直に自分の誕生日を喜べない人もいらっしゃるのではないかと思うのです。

人から祝ってもらってもなんだか本心では喜べない、虚しさを覚える、
自分の命への疑問や責め、
自分自身に向き合えば向き合うほどそういう”負”の波動を発生する考え方の中の反“自愛”が出てくる時期もあると思います。


私もその気持ち、よ~~~くわかります。
そんな時には、本当の自分の心に蓋をしないでいいのです。
「なんで生まれたんや!!!」とちゃぶ台をひっくり返すように爆発していいのです。(でも、人に言ったり当たったりするのでなく、一人でやってください)
”本当の自分”に対して、
「でもね生まれたから喜ばないといけない」とか
「でもね、生まれたからにはいいことがあるから」とか
「生まれたのは何か使命があるから」とか
「産んでもらったんだから感謝しないといけない」とか
「幸せになるために生まれたんだから、がんばりなよ」とか
「生きたくても生きられない人もいるんだから、恵まれているよ」などなど、
こんな風に思わなくっていいのです。
自分を抑えつけないでいいのです。

生まれたこと自体を喜べとか、
人と比べたら命があるだけ恵まれているんだから感謝しろとか、
人間幸せにならないといけないんだとか、
使命があるから生まれているんだとか、
これらは全部、頭の”姑”が”本当の自分”に説教している・納得させようとしているのと同じなんです。
(宇宙の法則で言うと、自分が自分に説教をすると、自分に説教をする人を引き寄せる。自分が自分を納得させるようにすると、自分をコントロールしようとする人を引き寄せるという現実を引き寄せることになります。)

理屈を言われて理解はしている、 ⇒”姑”の言うことは理解してる
でも心はついていかない。            ⇒”本当の自分”はNOと言っている。

心がついていかない時には、”本当の自分”は「そうは思えません!、私は違うの~~~~!!!」と
声を発しているのですから、この声を十分に聴いてあげることが本当の意味での”自愛”です。
それなのに、途中で「そんなことは思ってはいけませんよ」的に頭の中の”姑”が話し出すと、
”自愛”が中途半端になってしまうんです。

やろうとしていた”自愛”が反”自愛”にシフトしてしまうんです。
だから、出せるものは出し切る。体の仕組みもそうなっていますよね。
心も同じです。まずは出し切るのです★


そんな風だと、
人から見れば、ものわかりが悪いことが”自愛”になるのかもしれませんね、角度を変えてみると。
”本当の自分”の声は、いい子・いい人・いい大人である”姑”の要求とは違うからです。
だから、誕生日だと言って、”本当の自分”が自分の命を素直に喜べない時には、
その自分に付き合ってあげることこそが、”自愛”でお祝いになります❤


誕生日当日、神様に聞きました。
Q.誕生日って何する日? 


A.感謝を自分にしろ! 
  お前がどれだけ頑張ったか、どれだけ苦しんだか、自分が思っているより遥か上を言っているのだぞ。感謝は祈りとなって、お前の知らない世界に到達する。


おじいさんの私の神様は、ちょっと偉そうに物を言います。前後いろんな言葉があったので、ここだけ抜粋をしましたが、最後の一文は少し意味ありげな感じの言葉でした。
でも、誕生日に何をするかは、

 

 

「自愛しろ!」 です。

 その「自愛」の中でも「自分に感謝」のようです。



この自分に感謝って何に感謝するの?と思うと思います。
ここでいう自分に感謝というのは、


慰労・ねぎらいを込めた感謝


ということだそうです。

・今現在への慰労・ねぎらいを込めた感謝

・今までの自分への慰労・ねぎらいを込めた感謝
という、「今」「過去」の両面。


これはすべて自分が自分に掛けてあげる言葉。
例えば、
「今まで生きてくれてありがとう❤」
「・・・・ことあってつらかったね、よくがんばったね❤」
「自分を大切にしようとしてくれて、ありがとう❤」
「もうしんどい、嫌!と思っても、耐えてくれてありがとう❤」
「あんな環境の中でも、よ~~~~くやってきたね。ありがとう❤」
「”愛”の足りない周囲で苦労したね。つらかったこと、よ~~~くわかっているよ❤」
「痛いところが出てきても、それでもよくやってくれたね、ありがとう❤」
「喜べないのに無理に喜ばないでいいよ。そんな私でいいからね❤」
などなど、

”本当の自分”の声に対して、どんな言葉であっても、
無条件に受け入れ聞いてあげて、
「よくやったね」「がんばった」などの慰労・ねぎらい、
「ありがとう」の感謝する。


これが本当の お誕生日の自分が自分にできる”自愛”の祝辞だそうです。
自分にプレゼントを買うもいいかもしれませんが、
”本当の自分”が悲しんでいるのに、プレゼントを買ってもその場しのぎにしかなりません。物で自分の心を釣ろうとしての、何の解決にもなりませんから。

それよりも、
自分自身が生まれたことを素直に喜べない時には、
生きることに疲れてしまって喜べないんだなと理解してあげて、
”本当の自分”に毒を吐かせてあげるのが先なのだと思います。


”本当の自分”の心に寄り添う
   ↓
”本当の自分”に本音を出させてあげる
   ↓
慰労・ねぎらいの言葉を掛ける
   ↓
感謝の言葉を掛ける


まとめるとこんな誕生日の”自愛”ですね。
こんな風に自分にできるようになると、自分以外の人にもできるようになります。
すでに、自分以外の人にはやってるわ!と思う方もあるかもれません。
まずは、自分からやってみることが大切です★

 

 

自分の誕生日を自分で祝えないこと、
すごく悲しいことに見えるかもしれませんが、
”自愛”の通過点なのですから、何も悲しむこともありません。
そういう時期もあっていいではないですか^^

いつか「そんな時もあったな~~」って日が必ず来るから大丈夫❤

 


寄り添って、癒して、愛に戻る。


それが”自愛”、愛の自分に戻ること。

 

誕生日にこそご”自愛”を❤

 


『4 me, 4 all』
『for me(自愛), for all(慈愛)!』
これからもみなさんが自分らしく命を輝かれますよう応援します❤
あんど、今年も宜しくお願いします。

                            寧楽感恩

 

自愛エネルギーを削ぐ見下し”かわいそう”癖 (後)

今回のブログは、もう2週間ほど毎日PCの前に座っては、
書いては伝わりにくいなとストップし・・・
書いていると、いろいろと関連して長くなってしまって(嫉妬・劣等感・承認欲求・勝敗などの自愛的説明を書いていたのです><)、
するとどんどん長くなってきて、要点の見えない記事になって、「これはあかん!」となりました。でも長くなりました。
で、”今回伝えたいことを短く書く方がいいな~~”と切り替えて書いていきます。

 

 

前回は、
かわいそうと思われて育った、
かわいそうと思われ・思うことで、
自愛と反対の「見下し」の習慣を身につけた「その子」について書きました。
かわいそうという「見下し」の考え方で”自愛”をやろうとしても、
「自分を見下しながら、自分を大切にしているんです」という矛盾に陥って、
”自愛”のアクセルを踏みながら反”自愛”のブレーキも踏んでしまって
結局は、自分のエネルギーを削っていますよというお話をしました。

 

 

今回は、その続き、このかわいそう癖→見下し癖がついていると、
大人になってもその苦しさは形を変えて自分で持ちだしてきますということをお話したいと思います。

特に、
「すごいと思われたい」
「認めてもらいたい」
「褒められたい」
「一目おかれたい」
「評価されたい」
「人に劣りたくない」
「自分の存在価値をわかってもらいたい、示したい」
「愛をもらいたい」
「人から見下されたくない」という意識が強い方、承認欲求が強い方には当てはまるのではないかなと思います。
いい人をやってしまうとか、生真面目や他人軸になりやすい方にも当てはまるかと思います。


前回に引き続いて、大人になっていくその子のお話を少し書きます。
その時に、今回私が伝えたいことの、自愛パワーが削られていく理由、
「いつも自分を●●って、■■態勢」だから。
これを考えてもらいたいと思います。

ヒントは、どんどんと育っていく自分の中の”姑”視点、”姑”的考え方。
”姑”とは、実際の「姑」さんではなく、
世間体や社会の価値観、地位名誉、お金への執着が強かったり、経験からの思い込みが強い、神様の”愛”とはちょっとこの世で作られた概念に偏っている意味の比喩として使っています。

 その子の続きを始めます。

 

 

「かわいそうな子と言われたくない!」
「みんなと同じようにできる子になりたい!」
「ダメな残念な子と見捨てられたくない!」
と、”かわいそうな子”と見下されてはいけないと思い、
自分の身の”安心”を得たいため、
母の価値観で生きることが正しい自分の生きる方向だと信じて生きていくその子。
母の価値観が正しいと思い込んで生きていくその子。


勘のよかったその子は、母の価値観を察するようになり、
母の顔色を伺うことができるようになっていきました。
母から褒められると自分が認めれたと安心し、
母から怒られないでいることは自分の安心になり、
どうすれば母が喜ばせられるのか? 母が満足するのか?を考え、
そればかりを気にするようになって、行動するようになっていきました。


そんな風に母の価値観が基準で生きていく中で、
母が優等生でオール5だったと聞かされると、
また、母に似てお習字が上手だねと聞かされると、
その血だからと「私はできて当然と思われているんだ。できないなんて許されないんだ」と
”できる”ということへの執着が始まりました。
”できない”ということは、その子には死活問題になっていったのです。
そして、母からは「あなたはやればできる子なんだから」と言われると、
なおさら「できて当然なのに! どうしてできないの?!」と怒られている気持ちになり、
「あなたを思っているのだから」いう心の言葉が胸に突き刺さり、
どんどんど心の負担になり、母の自分への応援が純粋な応援に聞こえなくなっていきました。


懸命にやっていてても数字や表彰に結びつかない時もあります。
そんな時には、
「もっとがんばれるのにやらない子!」
「言ったようにちゃんとやれない子!」
「どれだけやっても結果に結びつかないかわいそうな子!」
そんな風に、怒られ、切り捨てられるようにもなっていきました。
当然、母からの目に見えない見下しが続いているのです。


そして、
「本当はできる子なんだから、やればできる!」と
”愛しているから・・・言うの”と見えない脅しが続けられていきました。


母が言った「やればできる子!」を証明でき、
母に怒られるということはなく、満足してもらえると”安心”をすることを覚えました。
その子は、「できる自分」でいることがこの世で生きることで大切なのだと思っていきました。

 


その子は、人の5倍、努力できる子でした。
その子は、とてもとても忍耐強い子でした。
だから、結果がでるところまで必死に頑張ることができました。
時に思う結果にならないこともありました。
でも、「それだけやったのだから、結果ができて当然」というところまでより頑張れたので、
必死の努力に応じた結果がついてくるようになりました。
学校生活だけでなく、社会出ても、同じように引き継いでいきました。
子供の頃からの母の価値観をひきずり、
「見下されないように」という思いもひきずっていきました。

 

 

愛されたい、怒られたくないので、「できる自分」であり続けたい!


「できて当然」の自分。
できない自分は、ダメな自分。
「できない」なんて自分が認めない!
自分で自分を裁くようになる一方で、


自分を見下して裁くだけでなく、他人にも同じ価値観で裁き出します。
努力が足りなくでできない人は、ダメな人。
「誰だって私くらい努力をすれば、できるようになるのに、甘えるな!」と
できない他人を見下し、
努力をしない人を見下し、
自分も人もより見下し始めました。
できない人は”かわいそう”と見下すのも問題ですが、
できない人はかわいそうとも思わず、できない人を切り捨てる・・・
そんな風に厳しい目に変わっていったのです。
そして、「私はできるんだ!」と思うことで優越感と安心安堵を感じる・・・・
そんな風に自分を守り、自分の価値を見出していこうとしたのです。

 


そして、他人を意識し始めると、
当時に、その子は目標も高くなってきました。
その子は、自分よりもできる人を目標にするようになり、
「できる人はすごい人、すごい人になりたい!」と
ますます上を目指すようになります。
すると、もっと愛されて、もっと認められると思ったのです。
人からすごいと言われることは、また「わたしスゴイのよ!」と快感でもありました。


ここまでくると、母に愛されたいや認められたいという気持ちを発端にして、
愛されたい、認められたい対象が、見る世界が広がれば広がるだけ増えていきました。

 


そのためには、「すごい人にならければ!」・・・・
言い換えれば、今の私では足らないので、もっともっともっと頑張れなければ・・・
頑張って、身につけて、「もっとすごい人にならなければ・・・・」と。

 

 

すごい自分探しがどんどんと加速していったのでした。
山登り人生がどんどん加速していったのでした。


そうです、その子の神様はそんな状態を放置しておくわけがなかったのでした。

 

 

 

 

その子の話はここで一旦終わりです。
その子とタイプが全然違う方もあると思います。
でも、自愛をしているつもりだけれど、すぐに疲れるし体調が変わらないという方には、
自愛パワーが削られていく理由、
「いつも自分を●●って、■■態勢」だからをちょっと知っておいて欲しいと思います。

 


さてさて、どう感じましたか?
学校の点数やビジネスでの数字・結果など”姑”視点満載でしたね。
発端が、その子の場合には、母でしたが、
父の場合、両親、先生や身近にいた大人といった
”姑”的考えを持った人たちが必ずといっていいほど影響を及ぼして、その子に共感できた方もあったと思います。

 


そもそもの発端は、前回書いたような
母が悲しむから母からかわいそうと思われたくないという”かわいそう”癖でしたが、
それが社会に出ていく過程の中で、かわいそうと見下す・見下される対象が変わっていったという流れがありました。

最初は、ただ、かわいそうと思われたくない根本には、
母を喜ばせたい、喜んでくれたら愛されている・認めてもらえていると思いたいという
「安心が欲しい!」気持ちが奥底に隠れています。

それが、大人になるにつれて、
かわいそうと思われたくない
→できる子(できると思われる子)になりたい
→すごい子になりたい
と、変化していきました。


でも、この変化には落とし穴があって、
この変化は、”本当の自分”の変化とは言えず、
この変化は、”姑”視点になり他人軸によって変化を自分に強いた結果起こった変化なのです。
問題は、ヒントにも書きましたように、
「いつの間にか、自分でない”姑”を生きている」ということです。
もっと言うと、
「いつの間にか、自分でない他人軸で生きている」ということです。


少し砕いて心の動きを見ていくと
1.やりたい!・・できるが増える喜び・やりたい好奇心  
      ↓

 
2.できて嬉しい!・・褒められるのも嬉しい
      ↓ 勝ちへのこだわり⇒もっと努力!⇒努力してできた私はすごいのよ!
      ↓ 見下し癖があるので、
      ↓ ”できない自分は嫌い・怖い””劣らずに優っていたい!”

3.できて優越感!快感!・・①もっとスゴイ自分を求めて!・・もっと優越感が欲しい
              ②劣等感は嫌!・・・かわいそうな自分や劣った自分は嫌
      ↓

4.ずっと勝っていたい!優越感を味わいたい!・・いつでも自分を●●って、■■態勢

 こんな流れになると思います。

 

1.→4.になるにつれ、どんどんと”姑”の価値観・考え方が強くなっています。
1.→4.になるにつれ、どんどんと他人軸になっています。


1.の時点では、”本当の自分”のwantという「したい!」という心だったのに、
2.の時点では、褒められるという他人からの受け身が入り、他人の心を見出して、自分の心をよそ見するようになりました。
すると当時に、”姑”視点がどんどんと入ってくるようになり、
”姑”がいつの間にか”本当の自分”を押しのけて、
”本当の自分”のwantという声よりも、
「もっとできるように」「負けたくない、もっと勝ちたい!」という”姑”の声が優先されるようになっていきます。
それが、3.4への変化です。


褒められて優越感を持つ、
自分は人よりできると優越感を持つ、
こんな優越感は、ある意味中毒性のある”快感”です。
でも、違うんです。

 

「勝って気持ちいい~~~~~!!!」というのは、
多くの場合、人を見下して、
勝って優越感
勝って安心(自分の存在価値があると念押し)
勝って認められる
っていう”姑”が認められたいのです。
勝って気持ちいいのは、”本当の自分”でなくって、”姑”が大部分です。

 


これは、”本当の自分”の喜びではなく、”姑”の喜びなのです
できる・優る・勝つを目的とするのは”姑”なのです。


自分で自分ができるまで・優るまで・勝つまでやらせるという”姑”がいるのです。


できるまで・優るまで・勝つまで・・・
こんな風にいつも、あなたの頭の中の”姑”があなたを見張っているのです。
負けないようにと見張っているのです。
やらせようと見張っているのです。
1.の「したい!」というwantから始まるのであれば、
自分で自分ができるまで・優るまで・勝つまで「しっかりやれ!」なんて自分を見張ることはしません。無理を強いることもしません。
ただ、勝ち負けや優越感にこだわらす、楽しんでやりたいからやるという”本当の自分”だけが存在します(で、結果、やっている間にできるようになっている)

 


そして、
できるまで・優るまで・勝つまで・・・を目的とした、
つまり「もっと上を!もっと上を!」をと向上を強要する”姑”の考え方が、
いつも上を目指せという”姑”の考え方が、
更に自分を追いこむのです。いくらやっても”姑”からは、「上を見よ」と際限なく求められるのですから、追い込まれて当然です。

どんな気持ちに追い込まれるか?
できないといけないという焦り、
できない自分をさらけ出すのは怖い、
できない自分を認めるのが怖い、などという
できない自分隠しを始めますから、
できない自分の能力隠しを始めますから、
悪さをしてしまった人がいつバレルかと心臓バクバクしているかのように
四六時中、気を張って、絶えず恐れて緊張してと、安心とはかけ離れた状態になっています。

そう、
いつもピリピリして、
いつも緊張して、
いつもカリカリして、
ヒヤヒヤ・ハラハラ・ドキドキ・・・・

で、人のことも同じように見張る。


自分の頭の中の”姑”がいつも、”本当の自分”追いこんでいる。
それだけでも反”自愛”なのですが、

できるまで! 
優るるまで!
勝つまで!
とすごい自分と思われたい・思いたいために、優越感を得たいために
いつも誰かと比較をしています。

その誰かというのは
わかりやすく「他人」ということもあります。
しかし、
わかりにくいのは
自分の頭の中の”姑”。

自分の頭の中の”姑”が、”本当の自分”をいつも比較して、
”本当の自分”の粗探し・できない探しをして、
責めて、罰っそうとしていつも身構えているいるということになります。


自分の頭の中の”姑”と”本当の自分”は、自分の中に両方とも存在するので、
一般的に言えば、
自分で自分を罰っそうといつも見張っているのです。
自分で自分にしっかり勝てといつも見張っているのです。
ということになります。


優れ!勝て!と、
「しっかり!」
「ちゃんと!」
「できるまで!」
「手を抜くな!」
「もっと!!」
「まだまだ!」
「それではダメ!
「何をしているの!」
「・・・まで許さない!」
「できる人なんだから頑張れ!」 (心が1.の状態の人、自愛できている人なら純粋な応援になります。だから見張られている状態ではないのでOK
自分で自分をいつも土俵の中で戦わせている状態になっているのです。
これって、もう自分で自分を追い詰めるだけでなく緊張させて、
もう自分を脅していると言えます
これで、いつ心(”本当の自分”)がやすまるのでしょうか?

 


いつも戦っている心の状態では、
それは疲れるはずなんです。
それで、”自愛”してますって言っても、
いつも土俵にいて戦っている状態なのででエネルギーがどんどん減っているので、
自愛をしてもエネルギー補充が追いつきません。ざる状態です。
これでは、自愛エネルギーはどんどんと削いでしまうことになりますよね。

 


そろそろ声を大にしてお伝えしたかった答えが
なんとなく出てきたのではないでしょうか?

 


「いつも自分を●●って、■■態勢」
       

「いつも自分を見張って、臨戦態勢」

 

 ピリピリ、ピリピリ、神経や気が張りつめた状態で、
自分をいつも「負けたらあかん、勝て!」と見張り、
勝負の土俵にいる状態にしている。
⇒自分をいつも戦わせていて自分を大切にしていない反”自愛”です。

 


1.の時点では自分が「したい!」と純粋に思って楽しんでいたのが、
だんだんと自分の喜びが後回しになり、
母の喜びや誰かの喜びが自分への喜びにすり替わる。
本当の自分の喜びが何なのか?を見失っていくわけです。
で、自分がわからない、何をしたいかわからないという状態にもなるのです。

そんなふうに
”いつのまにか~~~”変わってしまった・・・・

”いつのまにか、土俵に上がって”勝つという快感に依存するように・・・・


見下す癖が
勝って人を見下す癖に変質し、
さらに
人を見下す優越感・勝つ「快感」というの中毒性にはまり・・・

だから、
見栄を張りたくなったり、
自慢したくなったり、
嫉妬したくなったり、
こんな気持ちは優越感の反対の劣等感さえも同時に生むことになります。

 


もう
自分を土俵に上げて、見張って、戦わせなくていいのです。


いつも臨戦態勢で、気を張っている状態なのですから、エネルギーがなくなって疲れてしまう・疲れがとれない・体調不良・いろんな不調となるのも当然なのです。


では、どうしたらいいかというと、
自分の中の”姑”がいつも優等生になるようにと見張ってる、
自分の中の”姑”が安心のためにと先回りして「やりなさい」と自分を見張っている、
そんな感じで何かをしようとし出したら、”姑”が出てきていると自覚すること。
すると、その時点でストップできます。

もし、それが難しいようならば、
心の余裕がなかったり、できるできないが気になったり、人と比べていたり、
緊張していたり、などなど、なんだかピリピリしている心の状態であれば、
それは”本当の自分”からのSOSなので、
「脱・臨戦態勢! 土俵からおりる!」と自分を戦いに向かわせないでください。

 


優越感や嫉妬、見下しは、誰かと比較競争するから出てくるのですから、
勝負自体しない ということなのです。
人との「勝負の世界から出る」ことが唯一の脱出方法と言っていいと思います。

私たちは、小さな頃から社会では比較ばかりされてきました。
しらない間に土俵に上がり、臨戦状態になることに慣れてしまっているところがあります。
勝負のない世界、
ただ自分のしたいことをして、自分で見守る、自分中心の世界。
ただ今を感じて、今を生きること。
そこには、勝負で勝つ快感はありません。
快感という刺激はありません。そこから”自愛”は始まります。

 

 

自分が見張っているから、人から監視・見張られいる(粗探しされている)。
自分が臨戦態勢でひやひやハラハラしているので、人からひやひやハラハラされる現実がくる。
自分が土俵に上がって優越感を求めるので、優越感をひけらかす人が出てくる。
自分が戦っているので、戦っている人が集まってくる。
これ、宇宙の法則です、神様が”自愛”に気づいてほしい故に起こる現象です。

 


すごい人になろうとしないでも
”自愛”として本当の自分の”したい”を追究して深化していれば
人からすごいと思われる何かが形作られてきます。

すごいと言われたい、優越感に浸りたいからノーベル賞を目指す人は誰ひとりいないのです。
”本当の自分”の声に従う勇気こそあれ、そこに戦いや土俵はないのです。
自分をいつも緊張させて脅している状況では、できることさえもできなくしてしまうのです。咲く花も枯らせてしまいます。
       
      

ちょうど今、ちちんぷいぷいという大阪のテレビ番組にでフィギュアスケートでGPファイナルで優勝された紀平梨花選手が出ておられるのですが、
運動神経の良さについて「負けん気が強いんですか?」と質問をされると、
「昔は、できて当然って思っていました。」と答えがありました。
なんと!今書いているテーマではないか!とシンクロ~~★と思う私。
(いつも見ない番組なのに、なんでか見ている・・・つまり神様のお知らせ)
心が耳ダンボになっていきまして。

で、今は??どうなの?どう思っているの?と答えを聞きたく番組を見ていると
「お世話になった方に恩返しをしたいと思っています。」と答えがありました。
”慈愛”です、これは。

また、見張って臨戦態勢をさせる自分を脅かす”姑”、自分を緊張させる”姑”を書いたのですが、ここでもシンクロ、
「緊張にはどう対応していますか?」という質問が。
「緊張するのは無駄だな~~って思います。」とのお答え。
土俵に上らない、自分を臨戦態勢にしていない、「おお!”自愛”だ!」と。


「練習をしたくないときには?」という質問には、
がんばって休みます。」という回答。
「やりなさい」「やらなければ」という”姑”の声に従わないで”本当の自分”の声に従くために、がんばって”休むという表現になるんだなと、またまた“自愛だ~~~!”と頷けてしまいました。

 

 

 

今年も残りわずかとなりました。
なかなかアップの遅いブログですが、
今年も沢山の方に読んでいただけて嬉しい限りです★


土俵でなく、
お花畑でよき年を迎えられますように❤     寧楽感恩

 

 

まとめ;心を怯えさせるほど、自愛エネルギーが減って疲れます><
    勝負しないでなくって、勝負の世界からは脱出を★★★

   自分が自分を臨戦態勢(塩対応)にしているから
   人からも臨戦態勢状態(塩対応)を受ける。
   (宇宙の法則が働いています)

自愛エネルギーを削ぐ見下し”かわいそう”癖 (前)

被害者意識やすね、我慢をやめることで”自愛”の土台が丈夫になってきている!
そんな嬉しい変化がおとずれている方が増えてきたな~と実感し、
自分もその輪の中にあることを嬉しく思っている今日この頃。

その嬉しい変化があるのですが、
なぜか「なんだか心が苦しそう」「なんだか半開きに戻ってる」「喜怒哀楽の喜楽が少ない」、
こんな感じで、”あともうちょっと”感がある。
ご本人も何かちょっとという心で薄々わかりながらでも核心がわからない、
そういう人に少しご自身で振りかえっていただきたいなと思って今日は書きます。

 

 


さっそくエピソードを書きますので、
その後、自分がいつもどの立場の視点でいるのか?を確認していただきたいと思います。

 


その子は、2000グラム程度の未熟児で、そく保育器に。
その子は、うまれつき膝の骨が分離する病気でした。
その子は、生後3か月で親戚のミス(虐待の可能性も大)で太腿の大腿骨複雑骨折で入院3か月。両足に爆弾を抱えました。
その子は、1歳になると保育園に預けられるが、かかりつけの医者に皮肉を言われるほど土日になると高熱発症。
その子の幼い頃の一番大きな記憶は、母親がどんどん見えなくなっていく恐怖と不安。
その子は、幼稚園に行っても前から3番目ほど小さく、やせぽっち。足腰は弱いし、体質も弱い・・・
幼い頃、その子は、ずっとずっと母の心の声を聞いていました。時には、声も聴いていました。

「◯◯ちゃん、かわいそうやね」
「◯◯ちゃん、なんでいつもそうなの」
「◯◯ちゃん、できないね」
「◯◯ちゃん、はやく!いそいで!(ヒステリーを受ける)」
「◯◯ちゃん、あんたがおらへんかったら(よかったのに)」


その子が見るお母さんは、
「私をかわいそうだと思っている」
「私のせいで、お母さんは悲しんでいる」
「私のせいで、お母さんは苦しがっている」
「できない私のせいで、お母さんは喜べない」
そう感じていました。


だから、その子は思うのです。
「私はかわいそうな子なんだ。
 私がかわいそうで、至らない子だからお母さんが悲しがっている。
 お母さんに笑ってほしい!
 お母さんにできる子になって苦労をかけてはいけない!」と。

その子は、お母さんと少しでも繋がりたい、お母さんを喜ばせたいと思って、
その子は、お母さんが喜ぶ姿になるまで、どれだけ苦しくても頑張り出す習慣になっていったのでした。

悲しいかなその子には、
本来子供があるべきはずの「愛されたい」という思いももありませんでした。
お母さんを喜ばせたいという思いばかりで、
自分のせいでお母さんが苦しみ、いつか捨てられるのではないかという不安から、
必死にお母さんについていこうとする思いばかりで、
「愛される」という言葉が辞書にない世界に住んでしまい、
言い方を変えれば”愛”よりも「捨てられない」世界に生まれたようになっている。


自分が意識のないまま「愛される」という言葉のない世界にいた人には
いつか來るのです、「愛」というものが存在する世界があったんだと知る日が。
いつか來るのです、「愛されたい」と思う日が。そして、「愛されるためには努力をしないといけない」と。
いつか來るのです、「愛されている人をうらやましい」と思う日が。そして、「益々愛から遠ざかる”すね”が始まる」と。
それがまた別の苦しみを生んでいく。
その思いは両親に出ずに、パートナーを求めることに出たり、何かに依存する形で出ることもある。
でも、幼い日々にわかるわけがありません・・・・


幼き日、


お母さんが喜びは自分の喜び。


そんな風に
愛されることよりも、母の喜びを選ぶことが自分の喜びと勘違いしてしまった・・・


かわいそうな子とわが子を卑下する母でなく、あなたの子は素晴らしい子だよと証明しなければならないと勘違いしてしまった・・・

 


そうして、その子は、
「かわいそうな子と言われたくない!」
「みんなと同じようにできる子になりたい!」
「ダメな残念な子と見捨てられたくない!」
と、自分の身の”安心”を得たいために
母の心を生きる尺度にする術が自分の生きる方向だと信じて生きていくことになるのです。

 

この「その子」が大人になるにつれての変化編は次回のブログ、後篇で見ていきたいと思います。(という予定でいます)
今日はここまでです。


このお話を読んだ時に、
あなたはどちらの立場で見ていましたか?

 

 

お母さんですか?
その子ですか?
両方ですか?

 


そして、
もしあなたの心の中に「その子」「お母さん」に対して
”かわいそう・・・”という感情が出てこないのであれば、
すでにあなたは”自愛”パワーを削る考え方にはあまりなっていない状態。
他に”自愛”パワーを削る考え方になっている理由があると考えていいと思います。

 


その子のお話を読んで、
「お母さん」「その子」に対してどういう思いが出てきましたか?

 

 

それぞれの人で違う思いがあると思います。
何にも思わない人もいるかもしれません。
自分に似ているなと思う人がいるかもしれません。
十人十色、それが人です。

 


では、その思いについて、この二つの思いに焦点を当てて、
どちらが大きいかを考えてみてください。

 


かわいそう
悲しい


どうですか?
この話では難しいならば、
あなたが今置かれている状況、
あなたの生きてきた時間、
あなた自身に置き換えて、考えてみてください。
あなたは、あなたを かわいそうと思う時が多いですか?
例の「その子」の話をしたのは、あなたの「感じ方・捉え方」をあぶりだすために示したものですから、
もしここで「かわいそう」と全く出てこなかったあなたは、”以下は読まないでいいくらいですからね。

 

 

①かわいそう  悲しい
②かわいそう  悲しい
③かわいそう < 悲しい

 

①.②の人は、「かわいそう」が強すぎです。
その理由とともに、”自愛”との関係を見ていきます。

「かわいそう」と「悲しい」。
見ている視点が違う感情だということです。

 


かわいそう・・・・2人称または3人称
悲しい・・・1人称


悲しいは自分が悲しいですから、1人称。
あくまでも、自分が自分で感じる1人称。
魂と繋がっている”本当の自分”のfeelingという意味での、思い・感じです。


でも、かわいそうは違います。
自分で自分をかわいそうと思うのは、1人称のようで違います。
だから、かわいそうは2人称。3人称としました。
何かその違いがわかりましたか?


そうなんです。
かわいそうの時って、”対等”な立場でのfeelingではないのです。
かわいそうと思う方が、「上」の立場になっていて、
かわいそうと思われる方が、「下」の立場になっている。


かわいそうと思う時には、何か誰かを「見下している」ということになるのです。

だから、
他人をかわいそうと思うと他人を「見下す」ことになるので、反”慈愛”。
自分をかわいそうと思うと自分を「見下す」ことになるので、反”自愛”。


一見、「かわいそう」というような感情は、優しい感情のように見えるのですが、
しかし、厳密に”立場”という視点から分析すると、
いつも「上」「下」があるということになります。”対等”ではないです。


この優しそうに見える感情のその奥にあるからくり。
それは、自分の中の”姑”的考え癖(思い込み)が存在が原因です。
この自分の中の”姑”的思考は、世間一般の概念(神様が反”自愛”とする能力・地位名誉・金銭主義、世間の常識・知識などの思い込み)ですから、
”愛”基準の尺度ではないわけです。
大きくとらえると「できるできない」「あるない」で優劣づけされた尺度が基準になっています。
できる「上」 > できない「下」
ある「上」  > ない「下」


”愛”でなく「上下」でもって人を判断ようになりやすいのが、”姑”的考え方です。
だから、自然と優劣が出てきてしまい、「見下す」という考え方の発生に繋がっています。


かわいそうと思いやすい人は、この”姑”が常時口を出しやすくなっていて、
この自分の中の”姑”的考えを意識しないで、放置しておくと、
すぐに人を「見下す」だけでなく、自分をも「見下す」ことをしてしまいます。
いわば、常時自分にダメ出し、あら捜し、見下そうと、自分の頭の中の”姑”が自分を見張っている・・・・見張っているだけでなく、自分をマウンティングしています。
それでは、疲れてしまいます。⇒だから自愛パワーが削がれてしまいます。

 


「かわいそう」と言われ続けて、自分を「かわいそうな人」と思い込んでしまっただけ。
それは、思い込んでしまっただけなので、あなたにも誰にも罪はありません。


「かわいそう」と思ってしまう人、その子のお母さんも含めて、
人を「見下す」意識は到底ないと思います。
けれど、そう思ってしまう人も、その子のお母さんもそのように「思い込まされてしまった」だけなのです。
ただ、”気づく”ことができたらなら、意識的にやめていけば、それで生活の中での連鎖も止まります。

 

 

 


お母さんから引き継いだ、
誰かから引き継いだ、
「自分を下に見て、かわいそうと思う」という
”姑”の考え方をもとにした視点は自分のためにもうやめてあげましょう!


自分を「下」に見る、
つまり自分を見下す・卑下することがなくなれば、
周囲の人も、あなたを下に見たり、見下すことがなくなってきます。
あなたが、あなたをマウンティングをやめれば、人もあなたをマウンティングすることがおさまってきます。
(思ったことは現実になった宇宙の法則が発動しますので)

 


悲しいことが起こったら、
「悲しかった」だけいいのです。
「かわいそう」と”姑”視点になる必要はないのです!
その自分を下げる”姑”視点、無駄に多いのです。


出来ないことに出合ったら、
「できなかったな」だけでいいのです。
「なんで出来ないの!ダメな子!」と”姑”視点になる必要はないのです!
その自分を下げる”姑”視点、無駄に多いのです。


悔しいことが起こったら、
「精一杯やったね。よくやった。」と愛だけでいいのです。
「悔しい!なんでもっとしっかりやらなかったの!」と”姑”視点になる必要はないのです!その自分を下げる”姑”視点、無駄に多いのです。


羨ましく思ったら、
「私はあの人みたいにしたいんだな」と愛で認めてあげるだけでいいのです。
「羨ましいなんて嫉妬くさい。ハシタナイ。どうせ無理だよ、あなたには」と”姑”視点になる必要はないのです!その自分を下げる”姑”視点、無駄に多いのです。

 

 

 

”自愛”をするという意味でも、
自分が何を感じたか?
それだけで完結していいのです。
自分を自分で「見下す」、そんなことまでしないでいいのです!
追加して考えるならば、「次はどうしたいの?」と自分に問いかけるだけでいいのです。

 

 

悲しいだけでもつらいのに、
自分の中の”姑”がその自分をさらに追い込んで、ますます自分をつらくしていく・・・


自分まで母親視点(”姑”的考えの視点)になって、
自分を責め始めたり、見下したりするのは、自分へのパワーハラスメントですから!!!


”自愛”をいくらしても、このように自分で無意識にパワーを削いでいることがあるのです。
例えば、自己憐憫(わたしはキャンディーキャンディー病と称しています)もその一つですからね。

 


かわいそうな人はいないのです! 
ただ必要な経験をしているだけ。
そして、かわいそうと見下して心配しないでも、
自分には、ちゃんと死ぬまで生きる力がちゃんと宿っているのです❤
(自分以外の人にも、同じようにちゃんと力が宿っているので、「信じてあげる★」それだけでいいのです)

 

 

●今日のお話しを少しまとめると


あなたは「悲しい」と思うだけでいい。
お母さん的立場で”姑”的考え方になって「かわいそう」まで思う必要はないのです。


自分の中の”姑”が、自分を「見下し」しているだけなのですから・・・・
もういいでしょう、自分で「見下し」プレーをするのは★
自分で自分を見下さない❤ 自分に失礼です。

 


対誰かに対しても同じこと。子供や体の調子が悪い方にも同じこと。
怪我をした人を見た時には
”見下ろす反慈愛”視点で、「かわいそう」「大丈夫や(上から目線で)」よりも、
”自分と対等な貴い存在として慈愛視点(共感・同じ情という同情)”で、「痛そう」「大丈夫(安心視点)」。
人に「かわいそう」と言われたら、
「かわいそうじゃないもん、痛いけど><」と思っていたらいいのです。


できないことがあっても、
どんな自分であっても、
「かわいそう」なあなたはどこにも存在しません。

 

 

”自分を見下しながら、自分を大切にしているんです。”
あれ?、矛盾しているなと”気づいた”なら、”自愛”しているってことです^^

                                           寧楽感恩

 

自分を被害者意識に戻らないコツ★ ■に籠らず、◯に出す!

「そろそろブログシーズンだな~、神様、何かテーマあるかな」と考えていると、
ここ数日、”いい人との出会い”があったんですと、
書道の生徒さんやセッションのお客様から報告がたて続いていることが頭によぎりました。

このいい人との出会いというのは、恋愛でのパートナーが見つかったことではなく
共通していたことは「自分のことを素敵だと認めてくれる方」との出会いです。
この仕事を辞めてもプライベートでもお付き合いしてほしいとか、
そのままのあなたでいてほしいとか、
●●さんと知り合えてよかったとか、
損得目的でなく、駆け引きでもなく、裏心があるでなく、
心から自分の存在を喜んでくれる、存在を肯定してくれる人が周りに現れているということです。


この方々に共通するのは、
①クリーニングをして ・・・負の波動を愛の力でフラットに戻す
②被害者意識(我慢やすね)を減らして ・・・自愛の土台をつくる
③自分の本音(好き嫌いなど快・不快の感じ)に従い ・・・自愛する
このように、自愛しながら自分らしく生活をしていただいたことです。
①→③へ、完全でなくても進んでおられるということです。
だから、とにかく”本当の自分”の心に正直になっておられます。


大きくはこの3つの柱です。
被害者意識への取り組み方はここのところブログで、期間を持って書いていますので、
自覚を持って取り組んでくださっている方には、何かしらの変化があることと思います。

しかしながら、②の被害者意識を抜けたかなと思うとまた戻ってしまう方というのもおられます。
これも今まで生きてきた方の考え癖ですから、それはそれでいいのです。
徐々にやっていけばいいのですから、自分のペースが自愛のペースです❤


でも、ずっと②へ行っては③の繰り返しをやるのも、つらいものです。
できるものなら③へスムーズに行きたいではありませんか^^
ということで、今日は③、つまり自愛の前提の土台をしっかりと固定させ、被害者意識に戻らないコツを書いていきたいと思います。


タイトルにも書きましたが、このコツとは


に籠らず、◯に出す」です。
(自分を知るという自愛のために、■と◯を自分なりにちょっと考えてみてください^^)

 


具体的なヒントとしては、
昔むかしに占いサイトで鑑定をしていた時の一番多い質問です。
「彼はどう思っているんですか?」
「彼はどうして・・・するんですか?」
「彼はどうして・・・と言うんですか?」
これって、「■に籠らず◯に出してみないままで、どうして本人に聴かないの?」とよく思ったものです。
聞けないのは”関係が壊れる”と恐れから聞けないのはわかりますが、
”聞いて関係が壊れる”と思っている間は、自分は好かれていないから好かれたいという思いや、
壊れた困るという思いがあるので、結局宇宙の法則で、自分でなって欲しくない未来を引き寄せてしまうということになっているのですが・・・

 

 

さて、■と◯について見ていきます。

自分が②で示す被害者意識になっている時の自分の心を振り返ってみてください。
私がセッションでいろんな方をお話を聞いたり、自分の経験からすると、
心がクローズしている、半開きの状態になっています。
被害者意識(ダメだの自己否定・自責や、すね、ひがみなど)、
それに加えて被害者意識からくる我慢・不満と
”負”の波動を発生する考え方のオンパレードになっていると思います。


そして、そもそもこの②の被害者意識が強くなる人というのは、
芋ずる式に1あるものを10にも20にも膨らましてしてしまう考え癖があります。

未来に対して、
こんな私だから、こうだからこうなって、こうなったら、こうなって・・・・となって欲しくない・望まない未来を妄想するのも得意です。不安の妄想が得意です。

また、
過去に対して、
あの時はこうだった、それはあの時がこうだったから、あの人がああだったから・・・と掘り起こしても何も解決せず、自分が”不快”になる思考の連鎖が得意です。

 

”不快”という嫌な思いになったことを思い出しては思い続ける。
”不快”という嫌な思いになるように自分を結び付けては想像し続ける。


起こってもない未来に対して、
起こってしまった過去に対して、
悶々とし続ける癖です。


起こってしまった過去に対して悶々としている
悶々の自分だから、未来も光のない不安なる未来を悶々と見てしまう癖です。

ようするに、ぐるぐるが得意な人です。ぐじぐじ考えるのが得な人です。
これをやっていると、ずっと意識的に自分は被害者なわけですから、なかなか自愛の土台ができてこないわけです。


この悶々とする癖のある人は、
心が傷ついた経験あって、
それを言葉として表現してこなかった、できなかったから、
自分の心の中で、悶々とすることを身に着けてしまったのです。

「そんなこと言ってはいけません」
「言い訳はいりません」
「できないなんて言ってはいけません」
「わかって欲しいなんて甘いこと言ってはいけません」
「人と同じようにできないなんて言ってはいけません」
「失敗はしてはいけません」
「人と劣ってはいけません」
「みんなと合わせられないのはダメな人です」
「あなただけできないのはおかしいです」
「頑張れない人はダメな人です」
「あなたを好きではありません」
「太っていているのはダメです」
「あなたの意見は聞いても無駄」
「あなたは愛されない」
「丸くおさめるためには自分を出してはダメ」
「与えられたことは一人でやり抜きなさい」
などなど、
こんなあなたの世間の価値観・社会通念・失敗の経験・常識・しきらりなどを大きくひけらかす頭の”姑”がいつも大々的に支配しているからです。


”姑”が、ず~~~~~っとあなたを責めたり、批判や否定、後悔をさせたりと、
“自愛”でも”慈愛”でもない愛とは真逆の言葉を
いろいろとずっとあなたに言い続けている状態だから、心を表現する隙も与えてもらえなかった状態と言えます。
当然、”姑”に責められている・コントロールされている”本当のあなた”は、どんどんと萎縮してしまて、ますますもぐらになっていきます。
どんどんと閉じて、”本当の自分”を出せなくなっていきます・・・・
そのうち”本当の自分”を忘れてしまいます。自分らしさを失います。


その結果、”本当の自分”がいなくなって、”姑”があなたを乗っ取ってします。
あなたがもし、やりたいことがわからない・好きがわからないならば、
”姑”が”本当の自分”を乗っ取ってしまっているからと言っても過言ではありません。

 


上に書いたような状態は、自分自身が”姑””役をして、”本当の自分”もいる。
二役を一人で演じて、それも自分で自分をいじめているプレイ。
それではず~~~~~っと自分で自分を被害者にしてしまいます。
それが、ぐるぐる・悶々癖です。


こんな風にして、自分でどんどんと深く深く入っていく。
自分で自分をどんどんと沈めていくのが、悶々癖です。


だから、②の被害者意識に戻らないためには
この悶々癖をやめることが大切です★

 


そろそろ答えがわかってこられましたか?

 

 

 


答えは、
内に籠らず、外に出す

 

 

自分の心の中に籠らないで、外に表現していきましょう!
ということです。

 


ここで注意して欲しいのは、
無理やりに心に籠らないように考え癖を付ける ということではありません。
思ったことを思ってはいけないと自分で抑えたり、打ち消すことではありません。

”思う(感じる)”ことは自由ですから、“思う”こと自体が”自愛”です。
だから”思う”ことを自分から取り上げてはいけないのです。

当然この”思う”は、喜びや楽しみ、平穏、幸せといった”快”ジャンルに含まれるものだけではありません。
イヤだと思うこと、つらいこと、怒りやイライラ、痛みといった”不快”ジャンルに含まれるものも入ります。
”喜怒哀楽”とはよく言ったもので、すべて”思う(感じる)”ことは自由として与えられたものなのです。だから自分で取り上げてしまっては反”自愛”なのです。


”不快”のジャンルに含まれる”思い”をできるだけ持ちたくないのは誰でも同じ。
けれども、この”不快”のジャンルの”思い”を「悪いもの」として扱う必要はないのです

キラキラスピリチュアルをやってしまう人は、この”不快”の”思い”を除外しようとしてしまいます。あるのを無いように、見ないようにしようとするから、より拡大化されてしまうのです。


この”不快”ジャンルの”思い”は、神様から「自愛が足りませんよ」という合図なのです。
だから、
この”不快”ジャンルの”思い”から逃げない! 蓋をしない! と言うことの方が”自愛”なのです。
”不快”ジャンルの”思い”に出会った時、
その思いに向かい合い自分を知り、どのように対処をするか? 
それが本当の意味での”自愛”の方法であり、過程です。

 


だから、
自分の中の悶々とする思いを”内に籠めて”いてもどうしようもないのです。

”内に籠めて”いると、それが磁石となり、思ったことは現実になるという宇宙の法則に従って、
同じように悶々に繋がる”不快”ジャンルンの”思い”にまたなるような現実が引き寄せてしまいます。
その都度、「早く自愛をしましょう!」と神様の思いが寄せられることになるのです。
同じような問題や嫌なことが起こるのは、このロジックです。神様のエンドレスラブです❤

 


まずは”内に籠らない!”と自分自身で決めてみてください★


このように、自分で一旦決めることから第一歩!!

 


ここで、一つ、私”内に籠ってない”と思っている人、普段明るく振舞っている人、
こういう方ほど”内籠り”には注意してください★
明るい人ほど、実は内に籠っていることも多いあります。
悶々としている”不快”に思う自分を隠そうとしてしまって、明るく振舞ってしまう・・・逆をやってしまうんですね。
すると、あなたを粗末に扱う人が集まってきます。あなたを軽視する人が集まってしまいます。
なぜなら、あなたがあなた自身を粗末にしている思いが現実化してしまうのですから。

少しの時間であろうが、長い時間であろうが、うじうじと内に籠ってしまう自分がいるのを明るさで誤魔化しては自分が可愛そうです。
ずっと”本当の自分”の悲鳴や悲しみのつらい声を自分で誤魔化してしまうのですから・・・それはあなたたあなた自身を粗末に扱っているのにほかなりません。

 


”不快”ジャンルの思いに出会った時には、しっかり感じる!
ひきずって”内に籠らない”!がポイントになります。

 

 

 

そして、その次のステップとして
”内に籠もらず、外に出す”の”外に出す”をやっていきましょう!


”内に籠もらせない”ためにも”外に出す”って大切なのです。
内に籠る人の大半は、外に出すことが苦手。

それは、
「言い訳は聞きません」
「できないは理由になりません」
「ダメって言ってはいけません」
「あなたの感情は聞いていません」
「わかって欲しいなんて甘いです」 などなどと

言われた経験でもって身に着けてしまった思い込みである
頭の中の”姑”の考えがあなたを支配してしまって、
自分の気持ちを言えなくなってしまっているので、外に出せなくなっている。


今まで生きてきた経験の中で、

言っては叱られる、
言うと失敗がばれるのが怖い、
言っても無駄、
どうせわかってもらえない、
これ以上傷つきたくないとか、
これ以上自分が見下げられたくないとか、
そんな苦い思いがあるから、外に出せない。その気持ちもわかります。

けれど、自分の気持ちが言えないというのは、言わないというのは、
この頭の中の”姑”に言われ続けるのを避けるための自己防衛のようで防衛でない方法なのです。
ただ固まってしまったように内に籠ってしまうという方法は、防衛法ではないのです。


そこで、”自愛”に基づく対処方法が、
”外に出す”ということになるのです。

自分の思いを表現するという”自愛”があります。
だから言葉を神様は人間には与えてくれました。
表現していいのです!
表現する自由があるのです!
伝えていいのです!

相手の反応はどうであっても、
相手が自分の期待する反応をしなくても、
どんな反応が来ても構わないのです。(反応に、一喜一憂しないでいいのです)
とにかく表現する!表現する”自愛”をする!
外に出す”自愛”ができれば、宇宙の愛の波動に同調できるので神業が起きます。
(相手の反応を気にしている時点で他人軸になっているので、”自愛”ではありません)



”外に出す”表現する時に、”自愛””慈愛”として忘れないで欲しいことがあります。
①本心を素直に伝える
②相手を攻撃しない(心も言葉も)
この2点です。


つらいならつらい、
わからないならわからない、
悲しいなら悲しい、
できないからつらい、
困っているなら困っている などなど
「音を上げた弱い人」「迷惑を掛ける人」「できない人」と思われても構わないという勇気を持って
自分の素直な本音である”思い(感じ)”を伝えてみましょう!
また、必要であれば、「私は・・・したい」という意思を伝えてみましょう!

 


・わからないのに、わかろうと頑張りすぎるから、「わからないのにどうしよう。。。また、前みたいになるかも」と悶々だけでなく、過去を芋ずる式に出して更に悶々します。
・悲しいのに、明るくしようと頑張りすぎるから、「私悲しいのにわかってくれないし。。。なんでわからないの?」と悶々だけでなく苛立ちも出てきます。
・できないのに、1人でやり遂げないといけないと頑張りすぎるから、「私ばっかり苦労して。あの人は・・・してるのに」と悶々だけでなく苛立ちも出てきます。

こんな感じで被害者意識で内に籠っていると、「どうせ私のことなんか・・・」と自分で勝手に孤立して、ますます生きにくくなってしまいいます。


だから、「どうせ私のことなんか・・・」と諦めの境地にならずに、
表現する自由という”自愛”を思い出して、実行してください。

人の言葉で傷ついたなら、相手は攻撃せず、こういう理由で傷ついたと心を素直に表現すること。
わからないなら、相手は攻撃せず、こういう部分がわからないから教えて欲しいと心を素直に表現すること。
嫌なことを依頼されたり、誘われたら、素直に断りを表現すること。
悲しい時には、相手を攻撃せず、こういう理由で悲しいのでと心を素直に表現すること。


職場で自分が仕事ができないので、内に籠ってしまうとか、
家族がどうせわかってくれないと思って、内に籠ってしまうとか、
パートナーがどうせわかってくれないと思って、内に籠ってしまうとか、
それでうまく進まなくなっている方が多いのです。

 

 

言わないとわからないのです、相手は!
言わないと伝わらないのです、あなたの思いは!
勇気を出して!


”内に籠る”で反”自愛”をやってきた人は、
”外に出す”という”自愛”をやるだけで、
出会いの質や状況が変わってきます。
今日のブログの冒頭に書いたように、
あなたを肯定してくれ、あなたと同調する”自愛””慈愛”の人を引き寄せることになります。


言ったら悪いなと思う罪悪感は捨ててくださいね!
傷つけたら悪いなと思う罪悪感は捨ててくださいね!
自分の思いを伝えるのが”悪”では、自分を守ることさえできなくなりますから
その罪悪感は、頭の”姑”があなたに与えているものです。
”姑”が先回りして、
「そんなこと言ったら相手が嫌がるかも」
「そんなこと言ったら相手が困るかも」
そのように思わせてきたなら、それは完全に勝手にあなたの思い込み。
相手がどう思うのかは、勝手に推察する必要はないのです。
言う前から相手がどう思うかと他人軸になっていては、何も始まりません。


素直に心を表現して、それが通じない相手ならば、
それだけの相手なのです。
私の経験でも、事実を挙げ思いを伝えたことがあります。
相手の反応は、冷たく愚痴ばかり言ってきてと答えがありました。
冷たく相手が感じたのでは、事実を淡々と伝えたから。
悲しいや嫌だと私の思いを愚痴扱いする人は、「愚痴と人の思いの判断もつかないのか~残念。人の思いを引いては自分の思いをすべて愚痴と思っている人なのだ」と思って、差支えありません。”自愛”と“慈愛”の勉強具合がそれぞれに違うのですから、相手を説得する必要もありませんし、
無理してそういう人にわかってもらう必要もないと思っていてちょうどです。

本当に”自愛”を知っている人であれば、
あなたの本心を聞けば尊重してくれるのです❤
言いづらいことを言葉にしてくれたと”共感”してくれるです❤


言いにくくとも伝える勇気を持って、
相手の顔色を気にせず、怖がらずに“自愛”として”外に出す”をやってみましょう!!    


”内に籠らず、外に出す”が習慣になっていくと、
今までどうして自分をがんじがらめにしていたんだろう?
こんなに楽に生きられるのね❤と実感するときが必ずやってきますから。

感じたことを素直に言葉で気兼ねなく伝えることのできる関係広がりますから!
変に気を遣って頭を使うことのない素の自分が受け入れられ自分らしくいられる関係が広がりますから!


自分の思いを伝えることで、”自愛”が進むことで、
今まで関わりの人と合わないなとか、自然に疎遠になったとしても、
反”自愛”をしていた自分に合っていた時のご縁だと思って、
悪いなとかご縁を追いかけようとしないで構いませんからね。


          外に出して、自分で自分をこじらせない❤ 寧楽感恩    

【重要】愛❤と幸せ★の膨らむ「正しさ」とは?

”自愛”をするために、その土台作りために、被害者意識を減らしていきましょうという内容をずっと書いてきました。そんな中、セッションをしていてもなかなか言葉が入っていかない方に多いパターンの方に見られる傾向があるので、その点について書いてみたいと思います。「でも」が口癖になっている方にも参考になると思います^^

 

しっかりやっているのに
ちゃんとやっているのに
頑張ってやっているのに
あなたのためにやっているのに
みんなのためにやっているのに
どうしてわかってくれないの?
どうして反対するの?怒られるの?
何が悪くてうまくいかないの?

 

「でも」と言いたくなる状況も増えていきます。
こういう思いが積み重なっていくと、
どんどんと追い詰められているように思い、
不満不平だけでなく、我慢はとうに過ぎ、被害者意識も爆発します。
そして、どんどん自分自身を閉ざしていく・・・・
ひねくれるし、ひがむし、すねるしと自分で自分を悪化させていくことになります。
心の余裕もなくなり、
心はとても重く、”負”の波動の塊になってしまうわけです。
どんどん重箱の隅をつつくように、小さいことに敏感に反応しては、また嘆く。
孤独とつらさのスパイラスに入っていきます。


でも、そこに一貫してある思い(考え)っていうのがあると思うんですね。
自分が手放す方が幸せになれる思い


セッションをしている時も、
この思いが強い方ほど、「でも」と言う・・・・・


わかりますよ、自分をわかってもらいたいという思い。
わかりますよ、「そうだよね」と言ってもらいたい思い。
わかりますよ、あなたの考えを認めてもらい思い。
わかりますよ、あなたの考えを実行してもらいたい思い。


それこそ「でも」と言いたくなる、その思いがあると、
あなたに来ているはずの”気づき”に”気づけ”なくなる。
せっかくあなたの魂の親である神様が幸せになって欲しいと合図を送っているのに
自分から跳ね返してしまって、また神様からは”気づく”まで似た状況を与えられることになります。エンドレスラブが来つづけます。

 


さて、この「思い(考え)とは何でしょう?

 


ヒントは、
私は普段の生活はもとより、セッションでも、ブログでも、
できるだけ意識して使わないようにしています。
”本当のわたし”が押しつぶされて、頭の思考全開の”姑”ほぼ100%で生きていた私は、
この「思い」が強すぎたために、苦しみました。
どこまで神様のエンドレスラブは来るんだ!と、この「思い」に”気づく”まで、
生きるのがつらかった。どちらかというと、自分で生きにくくしていました。


私がこの「思い」に気づかないでいるかぎり、
神様の媒介として登場してくれている目の前の人だったり、
目に映ったり、耳で聞くものもすべて神様からのメッセージとして受け取ることはもちろん、受け入れることもできなかったから。
すると、いつまでも”気づく”ことはなく、
苦しい思いが更に苦しい現実を引き寄せるという宇宙の法則通りに人生が進んでいたのです。

 


なんとなく、この「思い」、ひらめきましたか?

 

 

 


答えは正しさ
ブログのタイトルでピンときた方もあるかもしれませんね^^

 

 

 

もっと言うと、
「自分の正しさの押し売り」 
というような自己の「正しさ」です。

 

 

 

そもそも「正しさ」は誰が決めるのでしょう?
ここで言う「正しさ」とは、1+1=2のような人間が決めた絶対的なことに対してでなく、
生きている中で遭遇する答えがひとつでなく、さまざまな”愛”にもとづく回答が出せるものに対してです。

 

 

私も物心がついた時には、自分の頭にある”姑”の言うままに
自分が「正しい」と思うことを堂々を主張していました。
生きにくかったですね、本当に。

 


でも「正しさ」とは、誰が決めるのか
神様からのお知らせを受けている中で教わりました。
セッションの中でも教わりました。

 

 

例えば、
AさんとBさんがどちらも自己の「正しさ」を主張して口論をしています。
どちらが「正しい」のでしょう?


分かりやすく言うと、どちらも「正しく」ありません。

 


「正しい」を決めるのは、人間ではないということ。

 


そもそも「正しい」を決めるのは、
個々の魂の親が決めるのであって、
また魂の親の親である宇宙の神様が決めるのであって
人間ではないのです。


個々の経験や常識、学んだことからの頭の”姑”が主張する「正しさ」は、
一見正しそうなのですが、本当の「正しさ」とは言えないのです。

 

 

 


「正しい」かどうかは、あなたの神様が決める!

「正しい」がどうかは、AさんならAさんの神様が決める!

 


(「正しい」がそれぞれでバラバラなら、混乱してしまうのでは?という質問が来るかもしれませんが、後でも書きますが、この「正しさ」は宇宙の愛の波動にの取った宇宙の法則にのっとっているので、あなたが考えずともあなたの神様がいろんな方の神様が、すでに調和をして決めてくれています。
それぞれ人にとって「正しさ」が異なっても、”愛”の波動の範囲なのですから、それは「正しい」になるのです。宇宙は愛で調和が取れているのです。)

 


「神様は正しさを決めるとしたら、あなたはどうすればいいのか?」というと、
あなたは、その時その瞬間に、
”本当の自分”の声にできるだけ従って、
”愛”をもって、その声に従って思いついた・ひらめいたやり方で、
「ベストを尽くす」「最適をする」しかないのです。


そして、、そのあなたの思った「ベスト」「最適」が、
「正しかった」かどうかは、神様が見せてくれる現実という未来でわかることになるのです。


神様的に
「正しかった」ならばあなたにとってそのままGO~~!のニュアンスの強い現実がやってきますし、
「ちょっと違う」ならばあなたが再度挑戦する・再度同じトラブルになる現実がやってくる。

 

 例えばで見てみると、

例えば①.AさんとBさんが同じように教わって仕事を始めても、Aさんはスムーズに行く。同じ方法でやっているのにもかかわらずです。
例えば②.Aさんが昔やってダメだったけれど、今やるととヒットしたというような場合。

 

例えば①は、Aさんの神様的にはその方法は「正しい」になるのですが、Bさんの神様はBさんに違う方法を見つけてくださいと合図を出したのです。
例えば②は、のAさんのタイミングや様々な学びの度合いで神様的に「正しい」となったので、その状況になったと解釈できます。

 

 

だから、「正しさ」というのは、神様に預けてしまってください^^
でも、自分で「正しさ」を見つけようとする人もあると思います。
そうなると、頭を使って”姑”全開で考えると、余計に遠回りになります。
”本当の自分”には、答えが神様から伝わって来ているはずですから。
もしくはですよ、自分で”愛”が一番感じられる方法はないかと思いを巡らせてください。


正解を見つけようとするのは、私たちがこの社会で習慣にしてしまっていることですが、
正解を探そうとする方が、遠回りになるのです。頭を使わない、心や直感を使う^^
だから、「正しい」は神様に預けてしまってしまうと考える方が、変に苦労して正解探しをしないですむのです。”頭”を使って正解探しをするよりも、“自愛”になることをしているほうが、結果的に進みも早くなるのです。

 

 

 

次は、私が経験でお会いする苦しくなっている人のタイプに多いのは、
「あなたが正しいと思ってやったとしても、あなたの神様は、そう思ってないから~~><」
というアドバイスをしたくなることが結構あると言えば、あるのです。
こういうタイプは、セッションをしていても、その方に言葉がなかなか入っていかないタイプです。「でも」というバリア、被害者意識バリアが邪魔しているからです。

 


このタイプの方は、宇宙の法則の”類は友を呼ぶ”で、
自分が「正しい」を主張するから、同じように「正しい」を主張する相手を引き寄せて、ぶつかるので、やりあってしまうので、お互い相手に嫌悪感があるので、
人間関係は苦しくなっておられる。苦しい状況もやってくる。

 

 

自分が「正しい」という気持ちを一旦横に置いて、神様に預けてしまうと、
”自分はこれが最適と思うけれども、神様的にはどうなのかな?”
”自分はこれが最適と思うけれども、相手はどう思うかな?”
そんな風に、「正しい」を押し売りしようとしていた一方的な”負”の波動全開ではなくなり、目の前にいる人と同じ土俵に立つこともなくなり、
心に余裕も生まれ、時には相手の言葉を通してのあなたへの神様の言葉も素直に受けることができるようになります。


すると、問題解決への糸口になる神様の言葉も受け取れる上に、
あなたが相手の声を聴こうとする”慈愛”をするのですから、相手もあなたを”慈愛”してくれるようになるという、
生きやすくなる環境を自分で作っていくことができるようになります。


「正しい」意識が強かったり、自分は「正しい」思ってやってきたと自己正当化の癖が強いと、
子供のようにふてくされて相手の話を聞く姿勢になったり、
否定されるのを防ごうという防衛反応過剰で対等の関係の姿勢になれなかったり、
人の言葉や思いを受け入れる姿勢になれなかったり、
自分の正しさを大切に思うので相手を裁いて見るようになったり、
自分だけの「正しさ」が主となる”正義感”を振り回まわしたり

と、いつも自分は「正しい」という立場でいるので、
人や出来事を受け入れることができず、
だんだんと、何かのせいにしたり、”他人軸”になったりもしがちです。

 


人や出来事を受け入れる ということは、
そのを通して、
その出来事を通して、
あなたの神様が送ってくれている”自愛””慈愛”してねというメッセージを受け取る ということ。
”受け入れない”まま自分の「正しさ」を主張していては、
ますます神様も「ちょっと考え欲しいのに・・・”気づいて”欲しいのに><」となり、
考えてくれるようになるまで、エンドレスラブで何かしら起こしてくれるのです。


どんな状況においても、
立場が変わると見方が変わります。
立場が変わると大切にしたいものも変わります。

社長と社員、
親と子供、
キリスト教イスラム教、
日本と他国、
それぞれの立場で幸せを求め、愛を求めるのは当然なのですが、
おのれ側の「正しさ」を主張するがために、
相手側を攻撃する、批判するという敵対関係になるようなことを、
神様が「よくやっているな、もっとやれ!」と言うわけがありません「間違っているから、”気づき”なさい」と言われて当然です。

 


人間の思う「正しさ」は人間の創り出した価値観の”姑”の「正しさ」なのですから。

「正しい」の主張をしたくなった時には、
また「正しい」を意識しないできた方には、

 


対処法として、

「逆もまた真なり」
「正しさは神様が決める★」
と心でつぶやいてみてください。

 

このように思うことで、
自分から発している”正しいのに何を言っているの!”という相手への攻撃波動が消えます。

 

 

では、
神様にとって「正しい」とは何か?


あなたが幸せになる方向、
あなたが自分を愛す(自愛)方向、
あなたが他人を愛す(慈愛)方向、
あなたがこの地を愛す(地愛)方向。

”快”の愛の波動に同調する
宇宙の法則にのっとった方向である、思いや行動です。

 


この方向からずれると、
あなたはあなたの神様から合図が送られてくるのです。
”ちょっとその考え方変えてね~。気づいてね~~”と。

 

 

私は私なりにですが、
セッション中、ブログでも
「正しい」をという言葉はできるだけ使わないように意識をしています。

その上で、セッションではあなたの神様、ブログなどの私的な活動ではわたしの神様にとって「正しい」方向を問いかけ、答えをもらいながら、
”それはちょっとずれていますね”
”それは間違っていますね”
”まずいですね”
”それはちょっとおかしい”というような
「神様の正しさ」とは”ずれている””間違っている””まずい””おかしい”などの表現をしています。
逐一「神様の正しさとは・・・」なんて前置きはしませんけれど。

 


私自身の生活では
「自分なりに最適だと思っているけど、どうかな?」
「自分なりに最善を尽くしたけれど、どうかな?」
と、神様からの合図が入るかもしれないと心の余裕を持つように心掛けています。
このように思うと、
自分が絶対だと主張する気持ちも抑えられますし、
人の話も偏見なしに、自分をわかってほしい波動全開で話すことが控えられるからです。
心も軽くいられます^^

 

 

 

 


「正しさ」を主張すると、相手からも主張される。
「正しさ」を伝えようと攻撃波動を乗せると、相手からも攻撃される。

 


自分でそういう現実を作るのをやめるために、
みなさんも、それぞれの方法を見つけてください★
私よりももっといい方法があることもあるでしょう。

 


神様から「正しくない」合図が出た時には、
あなたが少しでも早く宇宙の”愛”の波動に同調できて、
幸せになってもらいたいからのお知らせなので、
素直に受け取って、そして、落ち込まず、被害者意識にならず、
「神様なんで!!!恨んでやる!」って思う必要ないですから。
(一瞬思ったら、打ち消さず、どどっと思いに浸りまくって、そのあとには、”愛”のある言葉を掛けてあげてください❤”自愛”です)


昔私は、そんな風に、
自分にも神様にも喧嘩を売っていました><
→そりゃ苦しいはずですわ。しんどいはずですわ。
→”姑”ばっかりで”本当の自分”が死んでしまってたはずですわ。
(今の私は思います 笑)

 


そうそう最後に、
神様の「正しさ」はひとつではありません!!!
神様そんなケチでありませんから。

何かがあって、あなたの思う答えが
”愛”に裏付けられた宇宙の法則にのっとっていれば、
その範囲であれば、

神様的には「正しい」としてくれるのですから、OKです。
だから、ひとつではないのです。方法ややり方、考え方はひとつでないのです。

 

だから、セッションで言葉や青写真が降りる時には、
いくつかのパターンで来るのです。
そして、あなたがどんな心で、どんな方法を取るかによって、
神様からが与えてくれる青写真が変わってくるのです。(思ったことが現実になる宇宙の法則があるから変わってきます)
つまり、選択する未来(起こってくる未来・引き寄せる未来)が変わってくるのです。

 

 

                            寧楽感恩

自愛のための土台作り、もう一つの落とし穴!

昨日からこのブログを準備し、仕上げましょうと始めようとしていた
今さっき、また母が
「お母さんが悪いねん・・・」とまた●●ておりました。
なぜ、お父さんが勝手に怒っている理由がお母さん?
なぜ、病気の総合商社になっているお母さんをまだ責めるの?
いつもいつもシンクロへのナイスなタイミングな母に感謝をしながら、
ということで、今日も書いていきます。

 

 

 

愛の種を植えると、愛の芽が出て、愛がどんどんと育つ。
でも、土壌ができていないと、いくら種を植えても愛が育つのは難しくなります。


前回まで、「我慢ポイントがわからない人へ」と
・自分が我慢していることがわからない
・自分は我慢していないと思い込んでいる
・自分の「感じ」という感覚がわからない
・頭の”姑”的考えが強すぎる
・我慢を我慢だと認識できない
そういう方のために、「我慢ポイント」とはこういう場合に出てきますよと
ご紹介をしてきました。


そして、「我慢ポイント」探しは、
自愛のための土台作りであり、
自愛を受け入れることのできる自分に戻るため、
自分だけでなく人からの”慈愛”を受け入れることのできる自分に戻るため、
愛不足と思われるあなたにまず知っていただきたいことです。

 


我慢が得意な人の心の動き構図は、


イライラ・怒り・始終つらいといった”負”の波動を発生している心の状態
            ↓ (どうしていつもそんな心の状態?)
     悲しみを伴った不平不満が生まれる
            ↓ (どうして不平不満を持つの?)
          我慢している
            ↓ (どうして我慢するの?)
    すねたり・ひがんだり・しなけば、などの被害者意識を持っているから

 

と、100%こんな心の動きが、頭の動きが行われています。
だから被害者意識を少しでも減らしていくためには、
このサイクルを止めるために、「我慢している」自分に”気づく”、そこからなのです。
だから、「我慢ポイント」探しが、本当のあなたを知る”自愛”でもあり、自分で取り組みやすい土台作りの方法としてお伝えしました。

上の場合の被害者は自分であり、
加害者は自分でない「他人」「出来事・状況」と自分以外です。
そう、自分以外なのです。


これがヒントということで、
自愛の土台を育たなくしているもうひとつの●●る「癖」を考えてみてください。

 


この心の癖があると、
スピリチュアル的エネルギーはどんどんと減っていきます。
体の不調も多くなります。
自分以外の何かからの被害者意識の底にある「我慢」よりも強い、自分を弱める「癖」でもあります。なぜなら自分は24時間自分を相手にしているからです。

 

 この●●るの上の心の動き構図的に書くと、
自分を●●る
 ↓(そんな自分をど思う?)
自分を罰する・悪いと罪悪感を覚える
 ↓(そんな自分はどうなるの?)
どうせ自分なんてと、すねて・否定して・・・・
 ↓(そうやっていくとどうなるの?)
自分が加害者で、自分が被害者にもなる


自分を●●て、
自分で自分を悪者扱いして、罪悪感をかぶせていじめて、
そして、「どうせ私なんて」「どうせダメだし」「自分が嫌い」などと
自分をすねさせて・否定させて・嫌いにさせて、
挙句の果てには、被害者も自分で加害者も自分と、
ひとり二役のエンドレスプレイをするわけです。


そろそろ●●がわかってきたのではないですか?


●●・・・・とは?

 

 

 


答えは、責め です。

 

 

自分で自分を責めた時点で、”自愛”の土台・前提が崩れてしまうのです。


この土台が崩れていると、
自分を認めたり
自分を褒めてあげたり、
感謝をしたり、
自分を幸せを感じさせてあげたり、などなど
いくら自分に”愛”を送り込んでも、吸収できずに終わってしまう。
愛の失調状態になるので、”自愛”が進まなくなります。

 


何かあれば「すみません」「私が悪いんです」とその場を取り繕うとしたり、
自分に非がないのに謝ることで相手の機嫌を損なわないようにしたり、
とにかく謝ることが人間関係をスムーズにする方法と考えていたり、
人のせいにするとはダメなことだと宇宙の法則や引き寄せの知識で覚えていたり、
と、こういう習慣がある人は要注意です★

 
私も過去そういうように思っていましたし、
引き寄せの知識や宇宙の法則を知ったり、真面目な方ほど
そんな風に思っておられる傾向にあるのもセッションを通じての質問でもわかります。

 
でも、これ一見なのです。
一見、すごく関係性をうまく作っていけそうなやり方なのですが、
あくまで一見なのです。
長い目で見ると、宇宙の愛の波動とは共調しないやり方です。
宇宙の流れに乗れずに、苦しくなっていくやり方です。

 

 

なぜなら、
先ほど書いたように、
他人や何か他の要因を加害者にして自分が被害者意識にはしていませんが、
自分で自分を責めて自分を加害者にして、更に被害者にもしているのです。
これって本当に「たちの悪い」自分いじめになっています。
(だから人からも責められたり・嫌がらせやたちの悪いことを受ける引き寄せも起こってきます><)


自分で自分を責めることで、
自分が加害者になり、被害者にもする。
これで、”自愛”をして愛の波動を受け入れましょうと言っても
どこに愛の入る余地があるのですか?ということになります。


自分で自分の愛を受け取る土台がない人は、
他者からの愛を受け取ることができないのも当然です。
どちらにせよ”愛”を受け取る土台ができていないからです。
受け取れないのですから、愛だけでなく、表面的な部分でしか感謝も受け取れません。

そういう人ほど、人からの愛を求めて「愛されたい」「与えて欲しい」が思いが強いです。
だから、益々「愛されない」「与えられない」という現実が来ます・・・・宇宙の法則でもあり、
そして、あなたの神様が”愛”を受け取るあなたに戻ってもらいたがっているからです。


関西弁でいうと
「なんでくれへんねん><」
「いくらあげても、あんたが受け取ってくれへんやん!」と
このやりとりを一生やっていても苦しいので、
神様としては早く”愛”の受け取れる土台ができてないことに”気づいて!”とずっとメッセージを送っているのです。

 


「責め」が自分が”愛”を受け取れなくしている原因だとわかれば、
さっそく「責め」を減らしていくのが善は急げというわけです。


具体的に生活の中で自分が自分を責めていることを
自分で自覚していくことが必要となってきます。

この「責め」の黒幕は、自分の頭の”姑”です。
つまり、魂の繋がった”本当のあなた”ではありません。
”本当のあなた”は魂の親と繋がった愛の魂を心いっぱいに秘めているのですから、責めません。くれるのは愛だけです。

あくまでこの”姑”とは、
この世で生まれて、後天的に自分の頭の中でこの世のしきたりや常識を詰め込んだ思い込み・刷り込まれたものです。
神様が視点にしておられる”愛”でなく、
死んであの世に持って帰れないお金や名誉や地位、仕事の出来高、成果結果などが重要と思わせるものも頭の中の”姑”です。

 


だから、”責めない自分”を作っていく上では、
ある意味本当のあなたは”姑”に嫌われていいし、嫌われた方がいいのです。
”本当のあなた”は、”姑”に愛されないでいい、
自分に愛されればいいのです★

 

生活の中の自分「責め」と、考え方の切り替え方を少し紹介すると、
・失敗してダメだと自分を責める
 →失敗がダメだとは”姑”が決めただけ。失敗をする自由があり、改善すればそれでOK!
・できないからと自分を責める
 →できないからダメな人だと決めるのは”姑”。できることもあるし、できるできないはただの条件、人によってそれ違うんだから、できない自分でも何も悪くもはずかしくもない。条件であなたの命の価値は決まりません!
・みんなと同じにように生きられないと責める
 →魂はそれぞれ違う ので生き方も適齢期も好みも全部違って当たり前。
・認められないといって責める
 →”姑”に認めれるために、ひいては誰かに認められるために生きているのではありません。自分で自分を認めていればいいのです! ”姑”に認められるということは、”本当の自分”から、ずれているということですから。つまり自分らしくない。
・すぐに自分のせいにして・自分が悪いと自分を責める
 →特に理由もないのに自分に罪をかぶせない!

 

 

こんな感じに「責め」ていることって、生活の中に沢山あると思うのです。
特に、できない・ダメ・自己否定・比較ダメージなどなど、こういう思考が働いた時は、
必ずと言っていいほど「責め」ています。これが引き寄せの本でもよく書いてある、頭の雑音でもあります。

 


この「責め」について、もうちょっとわかりやすく教えてくれないかなと神様に問いかけていましたところ、
「責め」を時間的に砕いて見ていくと、
この「責め」も大きく3つあると、アドバイスが降りてきました。

①【寿命まで全時間】人生まるごと・命そのもの
  わかりやすく言えば、自分の存在そのもの、命そのものの否定、今までの生きてきた時間の「責め」。
  「どうして生まれてしまったの!」
  「私なんて生きる価値ないわ!」
  「今までの人生ろくなことなかったわ!」
  「後悔ばかりの人生TT」
  「死んだ方がましだ」
  「生きている意味がない!」
  「死んでも生きていても同じTT」
  など、今まであなたが生きてきた時間そのもの、生きている命のそのもの
  人生と命を否定して責めるというパターンです。
  (自分に価値がないと思ってしまっている人は過去のブログで、あなたの命は無限の価値があると知ってみてください

あなたもすでに代表選手! - はひふへほっ。 笑う門には福来たる 、「無限の価値」「プライスレス」のキーワードでも出てくると思います。)


 私は、「死ぬ間際になって、後悔しながら死にたいですか?」と時々質問をすることがあります。あなたが死ぬまでの命の時間を死の間際になって、後悔したり、自分の人生を嘆くというのでは、あまりにも自分が悲し過ぎではありませんか!!
どれだけ自分が自分を責めて生きてきたかってことなんです。
最期の瞬間に、「やりたいことが出来なかった」と後悔をするのであれば、
やりたいことがやれない自分を責めて生きてきた、そういう思いが大いに秘められている可能性があります。
  
あなたの人生・命、これはあなたそのもの、あなたの存在全体を意味します。
あなたの存在全体に大きなバッテンを付けて、自分全体を否定してしまっては、
”愛”を受け取る価値がないと自分を否定しているところから始まってしまいますから、
”愛”を受け取るのは難しくなってしまうのです。すると、“自愛”も“慈愛”も遠くなります

 

あなたの命、人生を否定しているのに、”今”の自分を「認め」て”愛”を受け取るって、
そりゃ~誰だってできないと苦しむと思います。
あなたはあなたの魂の親が生みだした唯一無二の存在で、無限の価値がある最高傑作なんです!!!だから、あなたがあなた自身を「責め」る必要はそもそもないのです❤

今までの人生・時間、酸いも甘いもすべて精一杯だったのですから はなまる!!!
 
  
  
 
②【過去】過去のその瞬間の自分
その時を思い出すパターンですね。思い出して自分を「責め」る。
これ、”負”の波動を発生する考え方をする方の得意技とも言えます。
  自分でわざわざ今の出来事と過去の出来事をリンクさせて、さらに自分で「責め」て追い込む・・・
なぜか嫌なことがあると、過去とすぐに結びつける癖がある。 
うじうじ・ぐるぐるが得意な人も、過去にはまり込んで「責め続けて」、
「それでは、”今”どうするか?」と未来に心の切り替えができない癖ですね。
 
  「あの時、ああやってれば」
  「あの時、あんなこと言わなければ」
   
この②のパターンは、「たら・れば」がキーワードになるのでわかりやすいと思います。
過去の自分の選択した行動・言動のせいで、今の自分がこうなってしまった・・・・
というわかりやすい「責め」です。

今の自分を否定したい・認めたくない、もしくは否定している・認めていないから、出てくる「たら・れば」ですよね。
もし、今の自分の状態が幸せであったり、納得できていれば、後悔の念混じりの「たら・れば」は出てこないはずだからです。
  
  過去のその瞬間にそう選択した自分を「責め」を受け続ける自分、
  もうそんな自分から解放してあげませんか?
 

本当にあなたが被害意識をやめ・責めるのをやめ、”愛”を受け取れるようになった時、
あなたが”自愛”をできるようになった時、
その未来のあなたは、「あの時の自分はあれが精一杯だった」と過去の自分を愛おしく言えるように変化しますから。
  セッションでも、「あの時の自分があったから」「あの時が嘘みたい」「変化した自分がわかるんです、嬉しい」などの嬉しい報告をお聞きしています。みんな”愛”にもどれるんです。

 

必ずそんな未来はやってきます^^
まだやって来ないなら、まだまだそれは”愛”を受ける土台を作る伸びしろがたっぷりということです★焦らずに「責め」癖を取って行きましょう。

 


③【現在】今の自分
これは、わかりやすいですよね。
今、生きているこの瞬間にあなたがあなたを「責め」ているかどうか。
  
 「失敗した!」
 「できなかった!」
 「また食べてしまった!」
 「また無駄なものを買ってしまった!」
 「また余計なひと言を言ってしまった!」
 「電車に乗り遅れた!」
 「また▲▲さんに怒られた!嫌われた!」
 「■さんよりできない!」
 「■■さんみたいになれない!」
 「(容姿の)どこどこが嫌い!」
 「まだまだ足らない!」
 「私一度聞いただけでは、わからないんです・・・」(担保が欲しい気持は責めたくないから)
 「わからない・・・><」(どうどうとわからないと自分を責めないで質問すればいい)

 

と少しだけ書きましたけれども、自分が被害者意識になりやすい、
また、すぐにすねてしまう・ひねくれてしまう・諦める・逃げる・人を斜めに見る人は、「責め」癖があります。
 誰から「責められてそんな自分を「責め」たくないから、これ以上自分を責めたくないから逃げる・諦める・・・・
 このような「責め」癖がついてしまうと、いくら自分の命を輝かせると自分らしさを発揮したいと思っても、
発揮する前に、逃げる・諦めるのですからいつまでたっても咲く花も咲きません。

いつでもどこでも、自分が精一杯やった、その時の自分がベストだと思って出した答えと行動・言動は、人からどう思われても自分で認めて、自分から賞賛されていいのです!自分で自分を誇っていいのですから❤

 

 

また、このほかに「責め」にリンクする感情として
 ・恥
 ・落ち込む 
 があります。

 恥は、恥ずかしいという意味合いよりも、「恥」(生き恥の恥)なんですね。
恥と思うのは、できないあなたを恥とする「誰か」や「あなた」がいるために、
起こる感情です。だから、自分を「責め」ることがなければ、恥じることはないですから。
恥と思えば、自分を責めたなと自覚してください。

 

 落ち込むは、②の過去のその瞬間の自分を「責め」るに含まれます。
もう起こってしまったことに落ち込む。
今起こったことでも、もう過去になります。
自分が思っていたこと、期待していたようにならなかった時に人は落ち込みます。
落ち込むとね、”負”の波動を発生する考え方の得意な人は、すぐに自分を責め始めます。
 「どうしてああしてしまったの?」過去を後悔したり、
 「つらい」と感情のループにつかったままにするのが上手なので、
落ち込んだら責め、責めては落ち込みと、悪循環に自分で入ってしまいます。

 

 

このように①~③の時間軸による「責め」パターンがあることを覚えてもらって、
自分が今持っている思いや感情が、「責め」にあたるのか、
自分で自分に寄り添う、もう少しきつくいうと最初は「監視」するつもりで、
「責め」る自分が出てきた時には、大切な人が自分を責めている時に寄り添うように、
十二分に自分が責める理由を聞いてあげながら
「責めないでいいよ!精一杯やったんだから❤」
今の自分、過去の自分、自分の人生全体、生きている時間全体を認めてあげてください!

 

 


さてさて、今日のブログでは、まとめると、


不満になるほど我慢して、
その我慢のせいですねて被害者意識に陥って、
”愛”をはねのけ受け取り下手なあなた、
その原因は、
「他者(他の事由)」と他でもない「自分自身」。


「自分から」自分のせいでと他人のせいにしてはいけないと思っている人は、
自分を責めてしまいます。

とにかく、
人も自分も責めない!
人と自分のせいにしない!
できないとすぐに自分を責めない!
できないからダメな人と自分を勝手に罰しない!
自分で自分を罰して、すねて被害者意識にならない!

 


「責め」るには時間軸の三つのタイプがありますので、
自分の責め癖を一つずつ発見しながら、
責めをやめていってください★

そして、

落ち込むも責め、恥じるも責め、ちょっと要注意★

 

 

自分が自分を責めると、人からも責められるようになります。宇宙の法則ですから。
すると、人は被害者意識が強くなり、できない自分だからと責められる理由を探して自分を責めます。
「責め」を辞めよとの神様の合図なのだと知り、
この「責め」が「愛」に入れ替わると、あなたの人生はどうなると想像しますか?

「愛」でいっぱいになるに決まっているではないか!と声を大にして言いたいです。
今まで「責め」でいっぱいだった人ほど、「愛」でいっぱいになると思います^^

 


沢山の”愛”が入る自分に戻りましょう!

 

 

「責め」をやめると、
神様が「よく気がついたね^^」と
宇宙の愛の波動と同調が出来たことで
神業的に現実も何かしら変えてくれますから❤

 

 

                   寧楽感恩


P.S
それでも出来ない自分を、失敗した自分を責めてしまうあなたへ
そんな時には、「ドンマイ」という慰めよりも
「ナイストライ!」と、自分に経験を与える”自愛”ができたのですから自分褒めの一言を❤
責めないで、トライして経験する”自愛”ができた自分を愛いっぱいに抱きしめてあげてくださ❤❤